No.002 人と技術はどうつながるのか?
Topics
エンターテイメント

日本ならではのAR技術やインターフェース技術に期待

このように、日本人研究者によって開発されたAR技術やインターフェース技術には、本質を見極め、むだな要素を排除したものが多い。「ミュージックボトル」は、ただのガラスの瓶をそのまま音楽のコンテナとコントローラーに使い、スイッチなどは一切搭載していないミニマリズムのお手本とでもいうべき実装だ。「ハグビー」は、一見して人間と似ても似つかない奇妙な外観だが、抱きかかえて通話することで、確かに人間と対話しているという感覚に陥る。触覚は、視覚や聴覚に比べて情報量が低いとされているが、だからこそ容易に騙されてしまのであろう。乳児が成長していく過程でスキンシップが欠かせないように、触覚はより原始的、本能的な感覚であり、リアリティの強化に重要な役割を果たしているのではないだろうか。「MM-Space」は、スクリーン自体長方形のままで、動きも単純化されており、落語や歌舞伎などのミニマリズムの極地「見立て」を彷彿させる。スクリーンの動きを映像と連動させることで、テレビ会議におけるリアリティが大きく強化される。「PINOKY」は、各関節に付加される動作方向は一つだけというシンプルなデバイスであるが、ぬいぐるみ自体がすでにデフォルメされた存在であるため、多少動きが大雑把であっても、それが外観にマッチし、「命を吹き込まれたぬいぐるみ」が現実にあったらこんな感じだろうなという、説得力が感じられる。

こうしたAR技術やインターフェース技術の根底には、華美をよしとせず、質素なたたずまいに美を感じる、日本の伝統的な美意識があるように思う。現実世界は確かに情報的にリッチではあるが、それらを忠実にARやVRなどの技術で再現しようとしても、かえってどこか嘘くさく感じてしまうことがある。いわゆる、ヒューマノイドロボットにおける「不気味の谷」と同根の問題であろう。不気味の谷現象は、ロボットの外観や動作が人間に近づくにつれ、より好感的、共感的になっていくが、ある時点まで近づくと、突然強い嫌悪感に変わるという現象のことだ。人間がすべての手本であり、外観や動作を人間に近づけていくという考え方では、不気味の谷を突破するのはかなり先になってしまうだろう。

しかし、ミニマルデザインをベースにしたAR技術やインターフェース技術では、そうした不気味の谷現象は起こり得ない。現実世界をヴァーチャルな仮想現実の中で完全に再現しようと試みるより、現実世界の何を「抽出」すれば、人間にとってリアリティが感じられるのかということを追求していくことがインターフェースの世界においては、重要ではないだろうか。これからも、そうした本質的なものを見極める能力に長けた日本人ならではのAR技術やインターフェース技術に期待したい。

Writer

石井英男

1970年生まれ。東京大学大学院工学系研究科材料学専攻修士課程卒業。
ライター歴20年。大学在学中より、PC雑誌のレビュー記事や書籍の執筆を開始し、大学院卒業後専業ライターとなる。得意分野は、ノートPCやモバイル機器、PC自作などのハードウェア系記事だが、広くサイエンス全般に関心がある。主に「週刊アスキー」や「ASCII.jp」、「PC Watch」などで記事を書いており、書籍やムックは共著を中心に十数冊。

Copyright©2011- Tokyo Electron Limited, All Rights Reserved.