No.013 特集 : 難病の克服を目指す

冒険とは、まだ誰も見たことがない世界に挑むこと。そう語るのは、登山家の栗城史多氏だ。重度の凍傷にかかって9本の指を失った今も、エベレストの無酸素・単独登頂に挑み続ける。大阪大学大学院工学研究科応用化学専攻の松崎典弥准教授も、挑戦と挫折を繰り返しながら、細胞の積層を制御する基盤技術の確立に成功。将来の再生医療に役立てるため、生体に近い3次元組織を生み出す歩みを着実に進めている。二人が挑み続けるのは、自分自身の「山」に向かう冒険だ。

(構成・文/神吉弘邦 写真/アマナ)

進化過程で失われたとされる機能

栗城 ── 僕自身の再生医療の話題ですと、2012年の秋に4度目のエベレストへ挑戦した時、重度の凍傷になったんですね。手だけではなく、足も鼻も凍傷になり、最終的に、手の指9本の第二関節から先を失うということになりました。ただ、切断する前にさまざまな治療方法を試みたんです。

本当に効くかどうかは、わからなかったのですが、最終的に選んだのが「マトリステム」による治療でした。たまたまNHKのテレビ番組で見た、アメリカで“ピクシーダスト(妖精の粉)“と呼ばれる、魔法の粉を使った治療法です。番組には、爆弾で指が吹き飛んだ米軍の兵士が出てきたのですが、その粉を付け続けたら失った指が1cmくらい伸びたという話でした。これはすごいと思って、受けてみたんです。

松崎 ── 結果はどうだったんですか?

栗城 ── 5mmちょっと位、伸びたんです。本来は指を切断した場合は切断面を縫わなくてはいけないんですが、そうすると切断した位置からさらに5mm短くなってしまうので、トータルでは1cm長くなった計算です。この1cmのおかげで、後に挑んだエベレストでも、何かを掴む動きがギリギリできるようになりました。

松崎 ── その魔法の粉といったものも、実は私たちの研究分野なんです。あれのほとんどの成分が私たちの身体の中にあるタンパク質です。パウダー状にしてあるので、もちろん細胞などは死んでしまっています。ただ、身体の修復機能に働きかける効果があるのはないでしょうか。

栗城 ── 人間の身体には、自分で修復する機能があるんですよね。

松崎 ── ええ。イモリなどのように身体の一部を切ってもまた生えてくるような生物と比べると、その機能は進化の過程で徐々に失われたと言われていますが、人間でもちょっとした傷だったら塞がりますよね。それは、まだ人間の身体にも修復機能が残っている証です。

これを利用したのが、iPS細胞などを使った再生医療です。もちろん細胞そのものが重要なのですが、細胞自身の周りの環境を整えてあげることも大事です。魔法の粉の場合も、環境を整えることでうまく幹細胞を機能させられるのではないかと思われます。

栗城 ── やっぱり人間の身体って、すごいですね。

松崎 ── 意外に簡単な話のように聞こえるかもしれませんが、細胞をくっ付けることはとても難しく、私たちはそのための糊の研究から始めています。

幹細胞は検証するのが難しい

栗城 ── 指の再生治療を研究している先生から聞いた話では、第一関節より先だとかなり再生がしやすいそうです。指の爪の部分に再生する細胞があるので、爪から上であれば魔法の粉が有効なのだとか。

松崎 ── 指は爪の根元に幹細胞がありますからね。

栗城 ── それを聞いて僕は、人間もプラナリアみたいに、身体の一部を切っても、再生する修復力が若干あるんだと思ったんです。

松崎 ── ええ。一応、学説的にはそのように言われていますけれども、誰もそれを検証できていないので、まだ未確認の分野なんですね。ただし、人体にはいろいろな種類の幹細胞がいることは分かっています。iPS細胞のように人工的に作った細胞ではなく、身体の中に元々幹細胞があるんです。

血管系には「造血幹細胞(ぞうけつかんさいぼう)」がありますし、骨髄には「間葉系幹細胞(かんようけいかんさいぼう)」があります。皮膚にも皮膚の幹細胞がいる、と言われています。

でも、人間の体はだいたい3〜4ヶ月に一回のペースでリモデリングされていますから、そのソースはすべて幹細胞から来ているとは言われています。どうやら身体のいろいろなところに幹細胞が送られ、そこで増殖して、身体を作っているのではないかと。

── 仮説が多いということは、医療分野では比較的、新しい研究になるのですね。

松崎 ── いいえ、取り組み自体は昔からあるのですが、それを解明するために検証して確かめるのが難しいという課題があるんです。

── すると、検査機器の発達などが待たれているのでしょうか。

松崎 ── そういうことも含め、これから技術の発展が必要だろうと思います。幹細胞は取ってきても、すぐに本来の機能を失ってしまうものが多いのです。そうするともう調べられないため、非常に難しいという面があります。

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