No.007 ”進化するモビリティ”
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交通インフラ・交通システム

地球に開通した新しい"道"
− 北極海航路をめぐる現状

 

  • 2014.11.14
  • 文/淵上 周平

2005年夏、世界の交通と流通の歴史を塗り替え、国際政治のバランスをも変える可能性のある重大な自然現象が観測されていた。気候変動を原因とする北極海の氷の減少により、これまで不可能とされていた、北極海沿岸を通過する氷の無い新しい"道"が開通したのだ。北極圏を通るルートの存在は昔からもちろん知られていたが、厚く膨大な氷に阻まれ、世界中のほとんどの船舶は南回りを余儀なくされていた。もし北極海沿岸を通って東アジアとヨーロッパを移動することがかんたんになれば、世界の交通網と流通のシステムは間違いなく変わる。時間とコストの短縮による経済への影響や、外交・軍事の変化など、地政学的な大変動が起こることも予測される。北極海航路の過去、現在、そして未来を見てみよう。

1979年9月(左)と2001年9月(右)の北極海の海氷の様子の写真
1979年9月(左)と2001年9月(右)の北極海の海氷の様子
出展:米コロラド大氷雪データセンター
(National Snow and Ice Data Center : NSIDC) / Google Earth

外務省ウェブサイト"北極~可能性と課題のもたらす未来"
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol107/

北極海航路前史

北極周辺の海路は、先住民のイヌイットや海の開拓者であったバイキングたちによって少なからず探索されていたが、その活用に本格的に動き出したのは、オランダやイギリス、デンマークなどのヨーロッパ北部諸国人たちであった。スペインやポルトガルが、アフリカ大陸の南端、喜望峰を回る南回り航路を独占していたために、後発組だった北部諸国は北回り航路を目指した。大航海時代に入ると、北アメリカ大陸の北側を通って太平洋と大西洋を結ぶ北西航路、および、ユーラシア大陸の北(ロシア沖)を通って太平洋と大西洋を結ぶ北東航路(北極海航路)の開拓に、商人と船乗りたちはしのぎを削るようになる。結局、船による北西航路の横断に成功したのは20世紀に入ってからのことで、南極点到達で知られるアムンセンがそれを成し遂げた。1903年-1906年の出来事である。

一方、北東航路、通称「北極海航路」は、1878年、蒸気船でストックホルムから横浜へたどり着いたスウェーデン系フィンランド人のノルデンショルドによってはじめて開拓された。

北極海の航路を開拓するために、たくさんの船乗りたちの挑戦があった。その前に立ちはだかったのは、氷だった。氷に道を阻まれ、また船を押しつぶされ、たくさんの命が失われてきた北極航海の歴史。氷を突破するために頑丈な砕氷船が開発され、無線技術、蒸気機関や化石燃料によるエンジンの進化によってようやく、北極海航路を通行できるようになったのだ。その活用をリードしていたのはソビエト連邦(現ロシア)である。軍事的な重要性から、北極海に面した国土の北側に多くの軍需産業を配置し、原子力砕氷船レーニンなどの活躍により北極海航路を切り拓いてきた。ソ連崩壊後、北極海航路の利用は衰退し続けていたが、21世紀に入って北極海航路の「道が開いた」こともあり、いまロシアは再び戦略的な取り組みを続けている。2010 年には4航海、2011 年には 34 航海、2012 年には 46 航海と着実に北極海航路の輸送実績が上がっているのだ。

航路の精度、つまり北極海の海氷がどこまで溶けているかを把握するために、人工衛星からの観測データが重要な役割を果たしている。たとえば日本の水循環変動観測衛星「しずく」には、高性能マイクロ波放射計という観測装置が搭載されており、北極海氷の状況をセンシングしている。マイクロ波は雲を通過することができ、気象条件の影響を受けにくい特徴がある。熱を持つ物質はすべて電磁波を放射しており、その放射特性は物体の状態や種類によって変わってくる。海氷の発する電磁波も、温度や熱さ、冠雪の状況によって変わってくる。その電磁波を、衛星から放射するマイクロ波によって観測し、海氷域を連続的にモニタリングすることが可能になったのだ。

釜山からヨーロッパへの海路の写真
[写真] 釜山からヨーロッパへの海路。赤は南回り航路。青が北極海航路。
出展:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Northwest_passage.jpg

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