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Interview
インタビュー

主観的な人生の満足感、それが幸福度。

ルート・フェーンホーヴェン
エラスムス大学名誉教授
2020.11.20
主観的な人生の満足感、それが幸福度。

2012年に、オランダ・ロッテルダムのエラスムス大学に創設されたエラスムス幸福経済研究所(EHERO)は、世界各国民の幸福度を発表することで知られている。自国がランキングでどの位置にあるのかは、誰もが気になるものである。同研究所では世界幸福データベースも運営し、ここに収められた約12,000件の幸福に関連する科学論文と約30,000件の調査結果は、世界中の幅広い研究者や政府、企業が利用する。1960年代から幸福を研究し、それを同データベースの構築につなげたルート・フェーンホーヴェン名誉教授は、幸福を計測するために主観的な幸福感に着目したと語る。「幸福学の父」とも呼ばれる同教授に、幸福への社会学的なアプローチについて聞いた。

(インタビュー・文/瀧口 範子 撮影/Jeroen Bouman)

自分の人生がどれだけ好きか

ルート・フェーンホーヴェン氏

── エラスムス大学幸福経済研究所(EHERO)は世界でも早くから幸福度調査を行っている研究室です。若い頃から幸福という概念に関心を持たれていたのでしょうか。

関心を持ったのは1960年代、社会学を学んでいた学生の頃です。1970年代に入って、ローマクラブ*1が成長の限界について発表し、経済成長に代わるものは何なのかと考え始めました。十分な富があるのならば、次に目を向けるべきはウェルビーイングだろうと思いましたが、ではそのウェルビーイングとは何なのかという疑問に直面しました。そして、人々は幸福であればいい気持ちのウェルビーイングの状態になれるという一つの回答にたどり着いたのです。幸福研究に足を踏み入れたのはそこからです。

── 指導教授からは、「幸福を計測するのは不可能だ」と言われたそうですね。

哲学では、「幸福」という表現は良い人生、特に道徳的に良い人生を指すのに使われます。何が道徳的かの見方は人によって異なりますから、教授の言ったことは正しいのです。ただ、私が計測したかったのは幸福そのものではなく、人々がどれだけ自分の人生を楽しんでいるか、自分の人生がどれだけ好きなのか、です。それは人々の頭の中にあり、単純に問うことができるものなのです。

── 幸福は非常にわかりにくく、その内容も変わり続ける曖昧な分野です。しかし、あなたの幸福研究は個々人の主観的な幸福感を基礎にしています。そのアプローチは最初から見えていたのでしょうか。

もちろんです。幸福に関心を持っていろいろ読み始めたところ、違いがわかってきました。多くの幸福研究は、専門家が考えるいい人生、言わば保護者的な視点から見た幸福に焦点をあてていました。その一方、人々が自分の生活をどの程度気に入っているのかに目を向けるべきだという、少数派の意見もあったのです。しかし、後者の視点は実証研究では用いられていませんでした。それなら、やろうではないかと乗り出したわけです。

── 個人的な幸福感を基礎としながら、最終的にはその集合体として国民の幸福度が研究の対象ですね。

社会学者としては、社会が研究対象ですから。明らかに問わねばならないのは、ここはいい社会なのか、です。1960年代当時、学生の間では共産主義が一番いいとか、資本主義もそれほど悪くないといった観念的な議論がありました。しかし、そうしたイデオロギーを戦わせるのではなく、その体制がどれほど住みやすいのかを問うべきだというのが私の見方でした。

ルート・フェーンホーヴェン氏

── 自分の人生がどの程度好きかを問う質問は、どのように砕くのでしょうか。

砕きません。単純に自分の人生全体にどのくらい満足していますか、と質問します。自分の人生が好きかどうかを幸福の定義としていますから、それを1〜10のスケールで尋ねたり、「とても好き」「まあ好き」「あまり好きでない」といった選択肢を与えたりします。この方法なら、少なくとも大人なら誰でも答えられます。

── その一方で、幸福な人々の共通点は食べるものに困らず、社会的なつながりを持ち、意味ある仕事があることだという研究結果も発表されています。この部分はどのように見出されたのでしょうか。

それも単純です。各国の幸福度を計測し、それを食糧事情や医療などのサービスの状態、教育などと照らし合わせ、そこに相関関係があるかどうかを計算するのです。だいたい、先進国の方が人々は幸福であると言えます。ただ、こうした相関関係でもはっきりとは見えてこないのが「自由」なんです。食糧に困らず、安全でそれなりの社会的なつながりがあれば、どの国でも幸福レベルは0〜10の中で6にはなります。そして、日本がそうですが、加えて面白い文化があり洗練された食事やアートなどがあれば、もっとプラスに向きます。しかし、さらに幸福を左右する要素が自由です。その社会が自分の生き方を選べる自由を与えるのならば、もっと幸福度が高くなります。

この点で見ると、日本は集団社会的環境によってあまり高い得点を得られません。一方、北ヨーロッパ、特にスカンジナビア諸国は、いい生活環境と富があり、福祉国家であることに加えて、職業や結婚における個人の自由度が高いのです。

── 幸福は一般的に言葉で表現されるわけですが、この研究所ではそれを数字化しました。数字化する価値は何でしょうか。

数字はより客観的であり、数字化することによって政治的議論を起こし、この社会が正しい軌道に乗っているかどうかを判断できます。例えば、もっとテクノロジーを発展させるべきだとか、個人主義を広めるべきだとか、教育をさらに施すべきだといった議論は分かれ、どの意見が正しいのかはわかりません。しかし、幸福度調査によると、それらを備えた現代社会の状況はだいたい人間の本性に合っているのです。人間は、狩猟時代から農耕社会を経て、今や脱産業時代に入りましたが、歴史上寿命は最長で、幸福になっています。

最大の可能幸福度は8.5

ルート・フェーンホーヴェン氏

── EHEROには、多数の幸福研究を保存したデータベースがあります。これは幸福度調査の結果を利用して行われた研究なのでしょうか。そして、こうした研究はオープンソース*2になっているのでしょうか。

1970年代にデータベース化を始めた頃は、研究数も少なく一人で管理できました。しかし、データベースはその後どんどん拡張しています。今では15人のボランティアのチームが管理しているものの、研究の数は増える一方で、それでも難しくなってきました。最近、各国にアソシエートを任命して、彼らが独自に研究結果を加えるなどしてオープンソースで管理しています。

── 幸福度調査を始めて以来、急に幸福レベルが上下したケースはありますか。

下がったケースの方が目立ちます。例えばシリア内戦やウクライナ危機の時がそうです。一方、急に上昇したことはなく、だんだんと上がっていくということが多いのですが、その顕著な例はデンマークです。すでに世界一幸福な国なのにまだ上がるという興味深いケースで、幸福度は1970年代の7.4から、今では8.4となっています。つまり、50年間で1ポイントも上昇したのです。スタート時点が低ければそれもあり得ますが、彼らはすでに幸福だったのですよ。最大の可能幸福度は8.5と見ていますが、それに近い数字です。10になることが決してないのは、社会がすべての人々を幸せにすることは不可能だし、また人生にはいずれ死ぬという悲惨があるからです。

── デンマーク人が、もうこれ以上はないというほどに幸福になった背景は何ですか。

まず裕福な国だということがあります。そして民主主義国家ですが、その民主主義が人々の生活に影響を与えるかたちで浸透しています。国としてのアイデンティティーも強く、自由度も高いのです。自由度は70年代からさらに伸びました。第二の女性解放の波はことにスカンジナビア諸国で成功しており、家庭と仕事を両立することが本当に可能になっています。もちろん高い税金を払ってのことですが…。

エラスムス幸福経済研究所(EHERO)

── 何を幸福と定義するかについての人々の考え方は変わっているのでしょうか。例えば、スウェーデンでは豪華な生活を求めないで、適度な豊かさをよしとする傾向が強いと聞きます。アメリカでも、無駄なモノを所有しないシンプルな生活を理想とする若い世代が育っています。

変わるのはどんな人生が最良か、自分の理想を何とするかであって、自分の人生が好きかどうかという意味での幸福の定義は変わりません。それを頭痛で説明しましょう。頭痛はどの国でも同じですが、なぜ頭痛が起こっているのかという原因はそれぞれ違います。文化によっては頭の中に悪魔がいるとか神の罰だと考えるでしょうが、一般的には生化学的に脳の異常だとされます。つまり、その説明は色々あっても、頭痛という科学的な概念は変わらないということです。

── 社会学者としてはそのように見られるわけですが、個々人はいつも幸せを手に入れたいと願っている。これらは別々の問題だということですね。

そうです、別々です。ただ、何が幸せに繋がるかについての見当はあります。ただ、それが効くこともあればそうでないこともある。子供を持つことを例に挙げましょう。これはよくある問題です。ことに多くの女性にとっては、幸福な人生は母親になることで実現するとされています。出生率が低ければ、政府がそんな考えを推進することもあるでしょう。しかし、それは本当なのでしょうか。

調査をすると、明快な回答はありません。子供を持つ人々はより幸せな傾向があるという一方で、現実に子供がいると幸福度が下がります。ですから、実証研究が持つ役割は、子供を持てば成長するまでの20年間は幸福度が下がるという代償があるという情報を与えて、人々が知識に基づいて決断を下せるようにすることなのです。

別の例は、外国への移住です。この国は幸せではないので、もっといい国へ移住すればいいのではないかと考えるわけです。しかし、現実はそうではありません。移民として生きるのは、そこに生まれ育った人と比べると幸せ度が低いのです。健康に関する調査もしていますが、そこではどんな環境だと健康を保てるのか、人生でどんな選択をすると健康に悪影響があるかといったことを探ります。それを元により良い選択をして欲しいのです。

── 幸福度と他の要素との相関関係を調査した結果から、そうした視点が提供できるということですね。

その通りです。その情報を個人、組織、政府に提供するのです。しかも、現時点では提供できることがかなり増えています。もちろん、人生で直面する選択のすべてをカバーすることはできませんが、いくらかは役に立てるはずです。

仕事の生産性を上げるのは、人生全体に対する満足感

ルート・フェーンホーヴェン氏

── 幸福については、いろいろな表現があります。「ハピネス」、「ウェルビーイング」、最近は「マインドフルネス」という言葉も出てきました。どんな表現を使うかに決まりはありますか。

私が幸福と同意語だとしているのは、「人生の満足感」です。「ウェルビーイング」とは現象に関わるもので、何であってもいい状態に関して使われる言葉です。清潔な道路のような状況も指します。主観的なウェルビーイングになると、幸福もその一部ですが、そうでないものもあります。例えば、自分は優秀だと自尊心が高いとしましょう。それは主観的なウェルビーイングの一部と言えますが、傲慢になり、あまり幸せでないこともあるのです。

── 企業など、組織の幸福度についてはどうでしょうか。個人を超えた調査も行いますか。最近は、組織としての幸福度が生産性に結びついているという見方が出ています。

企業は生き物ではないので、企業が幸福だという表現はできません。そこで働いている人々が幸せかどうかという問題です。これは、幸福を感じる社員はよく働き、ひょっとすると昇給の必要性も低くて済むとか、労働不足の時代には職場での幸せ度を上げる必要があるといった文脈でよく語られることです。今では、職場での満足度を上げることを専門にするプロもいます。

実は、今ちょうど博士課程の学生とその調査をしているところです。ここで探っているのは、どんな幸福感や満足感が高い生産性につながるのかです。驚いたことに、それは仕事での満足感ではありません。それよりも、生産性を上げるのは自分の人生全体に対する満足感なのです。人生における満足感には感情的要素が含まれており、いい気分の人はだいたいいつもいい気分で、仕事でもその気分が続いて、その結果生産性が高くなります。ポジティブ心理学ではこの分野について多くの研究がありますが、いい気分の人は自分にだけ目を向けるのではなく、認識が広がり、新しい問題解決法を編み出すようなクリエイティビティーを発揮します。また彼らは、社交性があり活動的です。

ある意味でこれは企業にとっての難題となります。というのも、仕事をより楽しいものにして職場での満足度を上げることはできても、人生全体の満足度に影響を与えるのは難しいからです。いや、日本では職場が代理家庭のような面もありますから、西欧よりは簡単かもしれません。西欧では、プライベートな生活と仕事とは分かれていて、また職も度々変えるので、企業が社員の幸せ感に影響を与えるのは難しいのです。

ルート・フェーンホーヴェン氏

── 今やテクノロジーは生活と切り離せなくなっていますが、テクノロジーは幸福度に影響を及ぼしますか。

影響は良い面と悪い面との両方があります。悪い面からお話ししましょう。人類は最初狩猟生活をしていました。その頃テクノロジーと言えば、火と弓矢があったくらいです。その後、素晴らしい発明が起こりました。鋤(すき)です。これでもっと多くの食料が生産できるようになり、それによって専門化が起こります。生産量が多ければ、鍛冶屋のような専門家を雇うこともできます。これは大きな進歩ですが、同時に農業のために人々を土地に縛りつけます。また、自分たちで消費できる以上の食料が採れると資源として溜め込むわけですが、それを奪う専門家が出てくるのです。彼らはマフィア的な支配階級で、後に貴族と自称します。彼らの間でも殺し合いをして、より大きな分け前を手にしようとしました。

当時の幸福度は不明ですが、人々がどれだけ健康で長生きしたかを計測することは可能で、農業時代、ことに封建時代の生活の質は落ちています。再び上昇に転じるのは産業革命後で、それ以来、生活の質、幸福度、寿命は現在まで伸び続けています。日本についてはやや違った現象があり、寿命は伸びたものの、幸福度は過去50年間変わっていません。長期的には上がっていくと思われますが…。

── デジタル・テクノロジーの影響はありますか。

幸福度とインターネット利用との関係を調査しましたが、唯一のネガティブな影響は特に若い年代で中毒気味な人々に見られたものです。彼らはオンラインでの知り合いはたくさんいても、現実世界ではそれほどいません。一般的には、インターネットは生活を向上させ選択肢を増やしてくれるものです。生活の基盤が安定していて幸福度が6であれば、デンマークの基準にまで持ち上げてくれるのは人生における選択肢です。ただ、選択肢を有効にするには、誰もその選択を禁じないことが重要ですが、同時に良い情報に基づいていなければならず、選択する度胸も必要です。そうしたことは、社会性、特に教育を通して取得するのです。

「ハピネス・メディエーター(仲介者)」が必要

ルート・フェーンホーヴェン氏

── 今、世界はコロナ危機に見舞われていますが、この時期の幸福度については調査されましたか。

しています。以前から「ザ・ハピネス・インディケーター」というプログラムを実施していますが、これはユーザーがどのくらい幸福感を感じているかなどを自分で入力し、その推移を見られるようにしたものです。同時に、年齢や性別、教育程度などが似た他の人々と比較できるようになっており、他の人々が自分より高ければ、「本当はもっと幸せになれるはずなのかな」と考えて何かを変えたり、あるいは自分が高ければ幸運なことがわかったりする、いわば自助的ツールで、効果もあります。研究者にとってはその時々のトレンドが見られるもので、それによるとコロナ禍の初期には幸福度が特に独身者の間で下降しましたが、現在は持ち直しています。

── 意外ですね。

もちろん長期的に見ていく必要はあります。しかし、少なくとも日本やオランダを含む先進国では、多少の下降はあっても、平均的には持ち直して大惨事にはなっていません。これは災害時にも通じるもので、当然直接影響を受けた人々は違いますが、全体的には最初落ち込んでも、そのうち国としての団結心が補完するようになるのです。経済危機でも同じようなトレンドが見られます。ことに裕福な国では福祉制度が充実しているので、影響は限られたものです。また、職を失っても、それは自分のせいではないというところが違いを生んでいます。

── コロナ禍によって、価値観が大きく変わったという声が聞かれます。同じ質問になりますが、主観的な人生全体への満足感を計測するというアプローチにおいては、そうした変化は計測対象外ということですね。

その変化は、何を幸福と感じるかの部分にあるからです。自分の幸せ感は自覚可能でも、なぜ幸せなのかは推察の域を出ません。再び頭痛の例を挙げると、空気汚染により頭痛が起こり得るとニュースが伝えたとしましょう。今度頭痛が起こると、人々は空気汚染が理由だと決めつけます。しかし実際のところは、本当の原因はわからないのです。心理学で「帰属」と呼びますが、幸せな生活へ導くためには帰属を正しく見定めなければいけません。子供を持つ例で言えば、全ての人が母親になって幸せを感じるわけではないのです。幸せ感が下がるリスクが高いのはどんな人なのかもわかっています。それは高等教育を受けた女性です。

ルート・フェーンホーヴェン氏

── 幸福のエキスパートとして、これさえあれば幸福になるといった万能薬的アドバイスを求められることと思いますが、それにはうんざりしますか。

万能薬的アドバイスとは、先ほどの健康の話で言えば、占い師が「月光の下で踊れば健康になりますよ」と言うようなものです。幸福についても、その手の人々がいます。あたかも研究結果に基づいたアドバイスを与えているように見せかけて、たいていはそうではありません。私自身はそうしたことはやりません。

ただ、人々がより幸福な状態へ歩むのを助けるような「ハピネス・メディエーター(仲介者)」とでも呼ぶべき専門家が必要とされているのではないでしょうか。体調が悪い時に医者に診てもらうように、メディエーターのところへ行けば「仕事を変えた方がいい」とか、「いつも他人とトラブルを起こすのは自身の問題だから、精神分析医のところへ行ったらどうか」ということをアドバイスしてくれるわけです。今でも幸福アドバイザーはたくさんいるのですが、彼らは1、2しかない手持ちの商品を売りつけるだけです。そうではなく、診断をして、正しいところへ導いてくれるような専門家が必要です。

── あなたは幸福のエキスパートですから、いつも幸せですか。

幸せだと思いますが、平均的オランダ人と照らし合わせて例外的というわけではないでしょう。専門だからと言って自分に影響を与えることはありません。研究の対象と自分は別です。時々「自分ならこの分類に入るな」と感じることもありますが、すぐに研究モードに戻ります。

── 幸福度で言えば、どのくらいですか。

だいたい8か9でしょう。もちろん、その時々で低いこともあります。頭痛で機嫌が悪くなる時などです。それでも、全体としては自分の人生が気に入っています。いつもは不幸に感じているけれども、パブでビールを10杯飲んで高揚するというケースとは逆ですね。

── 幸福研究は、今後どのように発展するのでしょうか。

幸福研究は、急ピッチに発展中です。データベースを管理しきれなくなっているのも、そのためです。かつて幸福は哲学や心理学の対象でしたが、今では経済学はもちろんのこと、動物研究でも取りざたされるほど広い領域と関わるようになっています。その昔、運命や神の慈悲と見なされて、自分ではどうすることもできなかった幸福が、今や計測可能であるとわかり、科学的証拠を手にすることもできます。何よりも、不幸で終わるのだと諦めるのではなく、幸福な人生を実現することができるとわかったのです。健康と同じです。それならば手に入れようじゃないかと、人々は考えるようになったのです。

エラスムス幸福経済研究所(EHERO) エラスムス幸福経済研究所(EHERO)

[ 脚注 ]

*1 ローマクラブ
1970年にスイスで創設された民間シンクタンク。創立前にローマで会合を行ったことから、この名前となった。科学、経済、教育、ビジネスの専門家が関わる。1972年に発表した『成長の限界』で注目を集めるようになった。
*2 オープンソース
参加者が無償で利用、貢献できるプラットフォーム。ソフトウェアの開発においてソースコードを無償で公開し、自由に利用、修正、配布できるようにしたことで、よく使われるようになった表現。
Profile
ルート・フェーンホーヴェン氏

ルート・フェーンホーヴェン(Ruut Veenhoven)

オランダ・ロッテルダムのエラスムス大学名誉教授

世界各国の幸福度の調査を行い、幸福関連の研究に関するデータベースを運営する、「幸福学の父」と呼ばれる存在。現在は、同大学内の幸福経済研究所で研究、調査を続ける。早くも1960年代から幸福の研究の必要性を見通し、社会学的な視点から「主観的な幸せ感」を調査の対象としてきた。

Writer

瀧口 範子(たきぐち のりこ)

フリーランスの編集者・ジャーナリスト。

上智大学外国学部ドイツ語学科卒業。雑誌社で編集者を務めた後、フリーランスに。1996-98年にフルブライト奨学生として(ジャーナリスト・プログラム)、スタンフォード大学工学部コンピューター・サイエンス学科にて客員研究員。現在はシリコンバレーに在住し、テクノロジー、ビジネス、文化一般に関する記事を新聞や雑誌に幅広く寄稿する。著書に『行動主義:レム・コールハース ドキュメント』(TOTO出版)『にほんの建築家:伊東豊雄観察記』(TOTO出版)、訳書に 『ソフトウェアの達人たち(Bringing Design to Software)』(アジソンウェスレイ・ジャパン刊)、『エンジニアの心象風景:ピーター・ライス自伝』(鹿島出版会 共訳)、『人工知能は敵か味方か』(日経BP社)などがある。

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