No.025 特集:テクノロジーの進化がスポーツに変⾰をもたらす。

No.025

特集:テクノロジーの進化がスポーツに変⾰をもたらす。

Expert Interviewエキスパートインタビュー

スポーツにおける“適温”がパフォーマンスを向上させる。

2020.12.21

内海 夕香
(シャープ株式会社 研究開発事業本部 材料・エネルギー技術研究所
第二研究室 課長兼TEKION LAB CEO・CTO博士(工学))

スポーツにおける“適温”がパフォーマンスを向上させる。

シャープが長年培ってきた液晶の技術を潜熱蓄冷材の開発に応用し、スポーツ分野で成果を挙げている。2019年には競技前のプレクーリングの効果に着目し、スポーツ用品メーカーやアスリートのトレーニング指導などを手掛ける会社とともに、手の平を冷却して深部体温の上昇を抑制する「暑熱対策グローブ」を製品化した。+12℃をキープできる蓄冷材は、競技のブレイク中に筋肉を適度にクーリングする素材としても注目されている。人に役立つ“適温(TEKION)”について研究を続ける、内海夕香氏に話を聞いた。

(インタビュー・文/ノトヤ ナオコ 写真:黒滝千里〈アマナ〉)

冷蔵庫に搭載する蓄冷材から“適温(TEKION)”探しをスタート

内海 夕香氏

── シャープが得意としてきた液晶の技術をスポーツ分野へ転用し、人体を快適に冷やす。このユニークなコンセプトは、どんな経緯から生まれたのですか?

あるとき私が指を骨折したのですが、その時に医師や理学療法士から「痛み物質が拡散するのを防ぐために、氷で冷やすように」と言われました。でも「長く冷やすと凍傷になるので20分以内で」とも言われまして、「え?」と。確かに0℃で冷やし続けると痛みが出てきて、それが骨折の痛みなのか凍傷寸前の痛みなのか分からない。このまま冷却を続けてよいのかどうか素人では判断できないし、血行障害を起こしそうで心配になったので、このような場合の適温、人体を適切に効果的に冷やすための適温というものがあるのではないかと考え、「TEKION LAB」の蓄冷材なら任意に設定した温度を一定時間キープできるので、これを応用して何かできないかと思ったのです。

── 「TEKION LAB」は、蓄冷材を開発・販売するシャープ初の社内ベンチャーですね。液晶の開発で培われた技術が、どのように蓄冷材に活かされたのですか?

2010年に、エネルギーに関する新規材料を開発しようというミッションが立ち上がったことが始まりですね。エネルギーとは、光、電気、熱を意味しますが、当時のシャープは光の分野で太陽光パネルを、電気の分野では電池をすでに開発していました。残された熱の分野は手つかずだったので、液晶の技術を応用する研究が始まりました。

液晶とは、固体と液体の両方の性質を持つ中間の状態です。液体のようなどろどろとした相でありながら固体のような特性も持ち、そこへ電圧をかけることで分子の向きが変化し、表示が可能になります。しかし冬のスキー場で温度が下がると固体化し、夏のビーチで温度が上がると液体化してしまう。これを相転移と呼びますが、液晶においてはこの相転移が起こる融点と凝固点の幅をできるだけ広げ、どんな環境下でも液晶の状態を保てるように工夫をしてきたわけです。

ではなぜ液晶の技術が熱エネルギー材料の開発につながるかといえば、相転移にはもの凄いエネルギーの出入りがあるからなのですね。相転移温度を変える液晶の技術を応用できないかと考えたのです。氷は0℃で融けて水になるときに、周囲の熱を奪いながら固相から液相へ変化します。そこで、水を主成分としてさまざまな化学物質を組み合わせ、液体が固体になる凝固点と、固体が液体になる融点とを自在にコントロールし、設定した融点の温度を長く保つ独自の材料を開発しようと考えたのです。冷凍庫で固体化させた蓄冷材が融け始める温度を0℃以外の任意に設定することで、適温を必要とする様々な用途に使えないか、ということですね(図1)。

[図1]シャープが開発した潜熱蓄冷材
水ベースの材料に様々な物質を混ぜることで、融ける温度を-24~+28℃までの任意の温度で一定時間キープできる(開発中の温度帯を含む)。
出典:SHARP
シャープ蓄冷材について

しかし、開発に着手した当初はシャープの製品に載せることを考えていたので、人体の冷却につながる発想は全くありませんでした。最初の製品は2014年、停電の多いインドネシア向けの冷蔵庫に搭載する蓄冷材としての開発でした。

── 冷蔵庫に蓄冷材が必要なのですか? 日本の市場だけを見ていたら、その発想は出てきませんね。

東南アジアの駐在社員が、日中に数時間停電していたことを知らずに帰宅し、冷蔵庫の食品を食べてお腹を壊してしまったのです。そこで、冷蔵庫の庫内温度の+5℃を凝固点とし、+10℃を融点とする蓄冷材を開発しました。停電の際には+10℃で融けますが、その後液体になるまでの数時間は+10℃付近をキープするので、食材の状態が保たれます(図2)。従来の保冷材は冷凍庫でしか凍らせることができなかったので、これは画期的な製品でした。蓄冷材を搭載した冷蔵庫は2016年にエジプトにも展開しました。

[図2]冷蔵庫用蓄冷材
停電が多いインドネシアの冷蔵庫に搭載するために開発された。
出典:SHARP
シャープ蓄冷材について

液晶では凝固点と融点の間をできるだけ広げる努力をしてきましたが、この蓄冷材ではできるだけ近づける研究をしたわけです。現在では、-24℃から+28℃までの間で12段階の融点を設定することが可能になっています。そこには、凍結する凝固点を0℃以上に上げる、という隠れた技術もあるわけです。

そして2017年に、「適温で幸せを届けたい」というコンセプトで様々な可能性を追求するため、社内ベンチャー「TEKION LAB」が発足しました。

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