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燃料を補給しなくても、電力を充電しなくても走り続けられるクルマ――。電気自動車(EV)よりもはるかにクリーンで、しかも利便性と運用コストを劇的に改善する夢のようなクルマが実現するかもしれない。東京大学の西林仁昭教授のグループは、大気中に含まれる窒素と水から常温常圧でアンモニアを合成する技術を研究開発し、既に実用化に向けた道筋が描かれた状態に到達している。しかも、同様の研究開発を進める世界中のグループに比べて、同グループの技術の生産効率は2ケタ以上優れており、最も実用化に近い。世界の脱炭素時代のエネルギー活用の潮流を一変させる巨大なインパクトを及ぼす可能性を秘めた技術の研究開発に挑む西林教授に、この研究の意義と進捗状況、実用化に向けた展望について聞いた。
(インタビュー・文/伊藤 元昭 撮影/山中 智衛〈アマナ〉)
西林 ── 確かにアンモニア(NH₃)は、水素キャリアとしての重要性を語られることが多いのですが、近年ではアンモニアを直接燃焼させて発電に利用するなど二酸化炭素(CO₂)を排出しないエネルギー源としても話題になっています(図1)。一方で水素(H₂)が次世代のエネルギー源として注目されているのは、再生可能エネルギーで水を電気分解して作ることで二酸化炭素を排出しないからです。ただし、水素は分子が小さすぎるため、貯蔵と輸送が難しいという本質的な扱いにくさがあります。このため、アンモニア自体を簡単に生成できる仕組みが出来上がれば、扱いやすさにおいて勝るアンモニアが次世代エネルギーの本命に躍り出る可能性があります。
しかしアンモニアの役割は、エネルギー源だけではありません。水素活用が話題になるはるか以前から、人類が食料を確保するために欠かせない農業用肥料として活用されてきました。将来の水素社会の中でアンモニアの重要性はますます高まっていますが、現時点で既に人類が存続するための重要な物質であることはあまり知られていません。現在の人類は、人工的にアンモニアを生成し続けない限り存続できないとさえ言えるのです。
人間の体は、核酸、アミノ酸、タンパク質で出来ており、これらの物質の分子には窒素原子(N)が含まれています。地球の大気中には窒素ガス(N₂)が約80%も含まれていますが、人間は大気から直接、窒素を取り込めません。呼吸によって大気を吸い込んだ際にも、活動に必要な酸素ガス(O₂)だけ取り込んで、窒素ガスはそのまま排出します。体を構成する窒素は、地中に含まれる窒素肥料、言い換えればアンモニアを吸収して育った植物、もしくはそれを食べた動物を食料とすることで取り込んでいるわけです。
あらゆる生き物が生きていく上で欠かせないアンモニアは、自然界では、空中窒素固定菌と呼ぶバクテリアが作り出しています。しかし、自然界に存在する空中窒素固定菌の働きだけでは、現在の人口に見合う量の食料を作り出すことができません。既に地球上で生み出されているアンモニアのうち、約半分が工場で人工的に合成されたものになっています。この点を鑑みれば、アンモニアを人工的に合成する技術を確立できたからこそ、現在の人口を支えられていることがよくわかります。
西林 ── 現在、工業的にアンモニアを量産する際には、「ハーバー・ボッシュ法」と呼ばれる方法が使われています。鉄などを含む触媒上で水素と窒素を高温(400~600℃)、高圧(100~300気圧)の環境下で超臨界流体状態*1にして化学反応を起こし、アンモニアを合成する技術です(図2)。
ハーバー・ボッシュ法は、効率的な大量生産に向いており、工業用として代わる技術がない完成度と威力を持つ偉大な発明です。しかし、サステナブルな社会の構築に向けて脱炭素化を目指す現在、本質的に不都合な課題が顕在化してきました(図3)。
まず、水素と窒素を化学反応させるための高温高圧環境を作り出す際に莫大なエネルギーが必要です。窒素分子は2個の窒素原子が三重結合でガッチリと結びついており、アンモニアを合成する化学反応を起こす際、窒素分子を原子に分解する過程で結合を断ち切るための大きなエネルギーが必要になるのです。
加えて、化学反応させる物質のうち窒素は大気中から得られますが、水素は化石燃料を原料として作り出す必要があります。工業的には、メタン(CH₄)と水(H₂O)を原料として水素(グレー水素)を作っているのですが、副産物として二酸化炭素も生まれます。また、この水素を作り出す工程でも高温環境下での化学反応が求められ、大量のエネルギーを消費します。
西林 ── その通りです。これまで以上に大量のアンモニアを、脱炭素化しながら合成できる新たな技術が必要になってきます。ハーバー・ボッシュ法に代わる次世代型窒素固定法の開発は、時代と社会の要請だと言えるでしょう。私たちは、自然界の中で、化石燃料を使うことなく、常温常圧の環境下でアンモニアを作り出している空中窒素固定菌から学び、合成過程で二酸化炭素を排出しないアンモニアをグリーンアンモニアと呼び、グリーンアンモニアを作る技術の確立と、その社会実装を目指しています。
西林 ── レンゲなどマメ科の植物の根には根粒菌と呼ばれるバクテリアが共生しており、植物は、このバクテリアが作ったアンモニアを吸収・利用しています。そして、農学の研究成果から、根粒菌は、「ニトロゲナーゼ」と呼ばれる複雑なタンパク質からできた酵素で、大気中の窒素を固定していることがわかっています(図4)。窒素分子を分解してアンモニア分子を合成する過程で、酵素分子中の硫黄(S)で架橋*2された鉄(Fe)とモリブデン(Mo)といった金属が含まれる部分が活性部位となって、反応を促進させているのです。ただし、現時点では、反応機構について全容は解明されていません。
ニトロゲナーゼを人工的に作る研究も進められています。ただし、ニトロゲナーゼの分子構造は複雑で工業的合成が困難であり、なおかつ活性部位が空気中の酸素に弱く、しかもアンモニアの合成効率も高いわけではありません。つまり、工業的な量産技術としての適用が難しいのです。そこで、私たちは、ニトロゲナーゼと同じ機能を再現できる物質を作り出し、大気中の窒素と水から、常温常圧で根粒菌を超える高効率なアンモニア合成法の実現を目指しています。
西林 ── 窒素と水は、いずれも大気中の成分であり、それらを合わせると「霞」になりますから、「霞を食べて生きる仙人」のような、燃料や電力などを補給しなくても動き続ける機械を作ることができるでしょう。そこまで行けば、今まで人類が継続的に進化していくための課題であったエネルギー問題が、一気に解決する可能性があります。私たちの研究の最終目標は、そうした社会の実現なのです。
西林 ── 例えば、クルマの中に大気中の窒素と水からアンモニアを合成する機構を搭載し、ボンネットを照らす太陽光をエネルギーとして合成できるようにすれば、走っている時も、止まっている時もアンモニアを作り貯め続け、必要な時に利用できるようになると考えています。
合成できる量が足りなければ、同様の仕組みを備えたアンモニアスタンドで、作り貯めておくこともできます。同様に、各家庭で消費するエネルギーを、それぞれの家で作り出すことも可能です。現在の常識から見れば信じられない究極の地産地消を実現するエネルギー利用形態ですが、決して絵空事ではないのです。水素よりも、貯蔵や活用が容易なアンモニアだからこそ、こうした手軽な利用法が可能になります。
西林 ── 私たちは、水から水素を作り出すための還元剤としてヨウ化サマリウム(SmI₂)という物質を、さらには窒素の結合を解くための触媒としてモリブデン触媒を利用して、窒素と水から常温常圧でアンモニアを合成する技術を開発しました(図5、図6)。その成果を、2019年4月に論文にして発表しています。これは、水を原料として用い、触媒を活用してアンモニアの合成反応を起こした世界で初めての例です。モリブデン触媒当たり4000分子以上のアンモニアを合成可能で、1分間に117分子とニトロゲナーゼと同等の速度でアンモニアを合成できます。この成果が、現在の研究のブレークスルーとなりました。
西林 ── その通りです。ヨウ化サマリウムは、アンモニア合成後にSmI₂(OH)という化合物の形で回収し、電気化学還元することで再生・再利用できるように検討しています。このため、工業的にアンモニアを合成する手段として実用化できる可能性があります。
ただし、より手軽かつ効率的にアンモニアを合成できるようにするため、太陽光など可視光を利用したアンモニア合成技術の実現につながる研究も行っています。そして、現在までに得られた成果について、2022年12月に論文発表しました(図7)。
光触媒としてイリジウム(Ir)錯体(Ir(ppy)₂(dtbbpy)PF₆)を利用して、水素原子を含むジヒドロアクリジン(arcH₂)と呼ぶ物質の分子からプロトン(水素イオン)を切り離し、加えて、これまでに開発したモリブデン触媒を利用して窒素分子の結合を切ることで、アンモニアを合成する技術です。ジヒドロアクリジンは、水よりも、プロトンを切り離す際に必要なエネルギーが小さいため、実験用に利用しました。水から水素を作り出すためには、さらに強力な光触媒が必要になります。ただし、可視光によって水から水素を生み出すことは光触媒を改良すれば実現できます。つまり、大気中の窒素と水分を原料とし、可視光をエネルギー源として常温常圧の環境下でアンモニアを合成する技術を確立する一歩手前まで来ていると言えます。
西林 ── 触媒を使い、窒素分子から常温常圧でアンモニアを合成する技術は、社会的インパクトが大きな意義ある研究です。このため、世界中で多くのグループが、それぞれのアプローチで研究に取り組んでいます。ただし、成功しているのは、片手で数えられるほどしかありません。日本では、私たちのグループだけが成功しています。
しかも、私たち以外で成功しているところも、触媒活性という工業化を見据えた進捗度合いに関わる指標で比べれば、私たちに比肩できる成果は出ていません。触媒活性とは、一つの触媒、モリブデンあたり合成できるアンモニア分子の数です。
私たちの最初の研究成果における触媒活性は12等量でしたが、その後の継続的研究によって現在6万等量にまで高まっており、10万等量超えに向けた筋道も見えてきています。他のグループの合成系は最も高いグループでも約100等量ですから、ケタ違いの成果が上がっているのです。化学メーカーなど事業化を担う企業からは、既に工業化されている金属触媒の実績に近い値に到達しているという評価をもらっています。
西林 ── 実用化までトップを走り抜けたいと考えています。
西林 ── 最終的には、可視光を直接利用して窒素と水からアンモニアを合成する技術を目指しているのですが、前段階として、電気化学エネルギーを活用し、常温常圧でグリーンアンモニアを電解合成する量産技術を確立し、社会実装していきます。電気化学エネルギーには再生可能エネルギーも利用できるので、脱炭素化の効果も期待できます。
この取り組みは、国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)のカーボンニュートラル達成を加速させるためのイノベーション創出に投じられる「グリーンイノベーション基金」から、約23億円の支援(事業規模は約27億円)を受けて、2029年度以降の実用化を目標にして研究を進めています(図8)。通常、グリーンイノベーション基金は、大学の研究費に投じられることは少ないのですが、出光興産や再委託先として参画する日産化学、東芝など、さらには多くの大学、研究機関と協力しながら研究を進めています。
西林 ── 実験室レベルの技術と工業的な量産技術の間には大きな違いがあり、移行に際してクリアしなければならないさまざまな問題があります。まず、そもそも工業的にグリーンアンモニアを電解合成すること自体が初めてであるため、量産に適用可能なアンモニア製造プロセスや量産設備のあり方、そこで利用する触媒や原料の仕様や品質などを詰めていく必要があります。例えば、アンモニア合成のカギを握るモリブデン触媒の寿命を高める必要があります。電解反応を起こすためのカートリッジには、円滑にプロトンや電子を移動させるための電解質膜が必要なのですが、利用目的に即した電解膜を開発しなければなりません。さらに、電極部分もアンモニア合成、モリブデンと非常に相性のいい材料を用意するが必要があります。
西林 ── 実用化に向けては、アンモニア合成に関わる化学メーカーだけでなく、装置/設備メーカー、材料メーカーなど多様な業界の企業の協力を仰ぎ、もっと大きな規模、オールジャパンのレベルで取り組むことができればと考えています。
西林 ── 現在、カーボンニュートラル達成に向けて、再生可能エネルギーの活用を拡大する取り組みが世界中で進められています。ただし、得られる再生可能エネルギーの量は、その土地の自然環境や土地の特徴に大きく左右され、主力手段である太陽光や風力では日本は決して恵まれている国とは言えません。だからこそ、触媒によるグリーンアンモニア合成のような、どこでも利用可能な新たなエネルギー獲得手段が、とても重要になるのです。しかも、研究開発している技術が実用化できれば、大規模プラントを作るだけでなく、各家庭で利用するエネルギーを作り賄うことができる可能性すらあります。私たちは、世界を変えるという意気込みで研究に取り組んでいます。