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Science Report
サイエンス リポート

経験とセンスからデータサイエンスへ、MIが変える新材料開発のパラダイム

文/伊藤 元昭
2022.12.07
経験とセンスからデータサイエンスへ、MIが変える新材料開発のパラダイム

新材料開発での競争の論点が、開発者の経験とセンス勝負から、データサイエンスの活用の巧拙へと変化してきた。マテリアルズ・インフォマティクス (MI)と呼ばれる、ビッグデータ解析や人工知能(AI)などを活用した、新たな研究開発のパラダイムが発展している。将棋や囲碁などの世界では、AIを活用して、人間では思いつかないような新手が発見されるようになった。同様に、新材料の開発においても、有用な特性を持つ材料を高効率に開発できるようになった。これまで日本は、材料開発の分野で世界をリードしていると言われてきた。その背景には、材料開発には地道で緻密な実験が不可欠であり、これが勤勉な日本人の特性に合っていたことがある。ところが、MI活用の拡大によって、材料開発がビッグデータの構築、情報処理設備への投資などの勝負へと移りつつある。MIとはどのような技術であり、材料開発の進め方をどのように変え、世界にどのようなインパクトをもたらすのか解説する。

古くは青銅や鉄鋼、紙の発明から、近くは照明の消費電力を劇的に低減した青色発光ダイオードや電気自動車(EV)の性能向上のカギとされる全固体電池などまで――。新材料の発明・発見が、文明を飛躍的に発展させた例は枚挙に暇がない。

これまで知られていなかった新材料の登場は、新たな応用、新たなビジネス、新たな生活や社会活動を生み出す、鉱脈や油田の発見に等しい出来事である。このため、科学者や技術者の研究開発によって画期的な新材料が生み出された際に、多くの研究者は、その物質がどのような性質を持つのか徹底的に調べ上げ、産業界の多くの企業が、その潜在能力を生かした応用の創出に取り組んできた。

そんな大きなインパクトを秘めている新材料の研究開発が、ビッグデータ解析や人工知能(AI)など最先端の情報処理技術とデータサイエンスを活用することによって、急加速してきている。「マテリアルズ・インフォマティクス (Materials Informatics:MI)」と呼ばれる材料開発の新たなムーブメントである。既にMIの実践によって、眼を見張る成果が数多く出てきている。そして、これまで以上に速いペースで魅力的な特徴を備えた新材料が生み出され、画期的な応用製品の市場投入が進み、生活をより便利に、山積している社会課題を解決できる可能性が出てきた。

新材料の開発が、最先端の情報処理技術とデータサイエンスを活用するマテリアルズ・インフォマティクスで加速
[図1] 新材料の開発が、最先端の情報処理技術とデータサイエンスを活用するマテリアルズ・インフォマティクスで加速

経験とセンスの勝負だった新材料開発

これまで新材料の研究開発は、長い時間と多くの人員、巨額のコストが掛かる研究開発の代表のような領域だった。新材料を発明・発見するための研究開発に数十年、それを実用化、量産適用するためには、さらに十年以上の時間を要するのが普通だったのだ。

しかも、新材料の発明・発見・実用化までに研究者は、物理化学の理論に基づいて新材料の組成や製法に当たりをつけ、思い当たる条件に基づく試作を作成し、しらみ潰しに検証を繰り返す必要があった。このため、効率よく価値ある新材料を生み出すためには、専門的な知識や経験、そして研究者のセンスが求められた。実験を繰り返し進める中で、実験に失敗して、偶然、新材料を発見したという例も多くある。

さらに、生み出した新材料は、必ずしも新たな価値を持つ工業製品に応用できるとは限らない。むしろ、何の役にも立たない新材料の方が多いのが普通だ。応用すれば役立ちそうなのに、特殊な素材や製法が必要で量産できない新材料も多くある。価値ある新材料の発明・発見は、研究者にとっては出会いのようなものかもしれない。

こうした困難な研究開発が求められるからこそ、新材料による青色発光ダイオードの実現に貢献した日本の赤﨑 勇氏、天野 浩氏、中村修二氏にノーベル賞が贈られたように、社会に大きなインパクトを与える発明が高く評価されてきた。MIは、そうした経験とセンスに基づく伝統的な新材料開発のアプローチを一変させつつある。

将棋の棋士がAIで新手を見つけるように価値ある新材料を発見

では、MIとは具体的にいかなるアプローチで実践する新材料の開発手法なのだろうか。MIを端的に表現すれば、「材料に関する莫大な量の実験やシミュレーションなどの結果をビッグデータとして蓄積。それを機械学習や深層学習(ディープラーニング)をはじめとする現代的な情報処理技術とデータサイエンスの知見を生かして解析することで、求める機能や性質を持つ材料を設計・製造するための指針となる情報を抽出すること」となる。

これまでの材料開発でも、コンピュータによるシミュレーションで物質の機能や性質を検証する手法は普通に行われていた。ただし、シミュレーションで検証する条件や検証対象となる物質の挙動を模したモデルを作るのは研究者だった。コンピュータは指定された条件、モデルに基づいて、計算していたにすぎない。前述したMIの定義から、伝統的な新材料開発の手法との間にある注目したい差異を抽出すると、以下の3点に集約できる(図2)。

伝統的な新材料開発とマテリアルズ・インフォマティクスに基づく新材料開発の差異とMIでの成果を左右する要因
[図2] 伝統的な新材料開発とマテリアルズ・インフォマティクスに基づく新材料開発の差異とMIでの成果を左右する要因
作成:伊藤元昭

まず、①研究者の属人的な経験ではなく、コンピュータ上に蓄積したデジタルデータに基づいて研究開発の指針を得ること。

扱う対象がデジタルデータであるため、複数の研究者の元に散在しているデータを統合して巨大なデータベースを構築したり、それを複数の研究者で共有・共用したりできる。もちろん、これまでにも学術論文や特許出願など公開情報の形で、研究開発の成果は共有されてきた。しかし、各研究者・研究機関の元には、文献化したものよりも多くの情報が蓄積されている。こうした秘蔵された情報の中に、人知れず有用な情報が埋もれている可能性があったことは否めない。MIの実践効果は、データの量と質、さらにはデータベースの質と量によって決まると言える。

次に、②研究者の主観的センスや能力を頼りにするのではなく、コンピュータの人間を超える計算能力と既成概念に囚われない客観性を基にした情報の整理・絞り込み・傾向の抽出を行うこと。

近年、将棋や囲碁などの世界では、プロ棋士が、AIの解析結果を参考にしながら画期的な新手を探し出すのがトレンドになった。人の経験やセンスは、いつの時代も新たな潮流を生み出すために欠かせない要素だったが、その一方で、固定概念に縛られて斬新な発想を阻害する面があった。もちろん、AIだけで新材料を大量創出できるわけではない。しかし、人間だからこそ、経験豊富な専門家だからこそ生じがちな目の曇りを、機械が払拭してくれる可能性がある。MIの実践効果には、利用する情報処理技術の適切さとコンピュータの計算能力、そして得られた結果を適切に解釈して新材料の発明・発見に展開できるデータサイエンスの知見が大きく影響すると言えるだろう。

そして、③新材料を発明・発見してから機能や性質を調べて応用を開発するのではなく、欲しい機能や性質を持つ新材料の組成や製法を逆算的に見つけ出すこと。

ある意味、この点が伝統的な新材料開発との最大の差異かもしれない。MIに基づく材料開発では、応用先を明確に想定し、そこでの経済価値を高める機能・性能を持つ新材料を狙い撃ちし、短期間で研究開発する。もはや、価値ある新材料は、出会うモノではなく、意図して出会いにいく時代になったと言えよう。このため、MIに基づく材料開発は、いかなる新材料を生み出すのかを競う、企画力の勝負になった。

思ってもみなかった組成・構造で、優れた特性を持つ新材料を続々と開発

MIを適用した新材料開発の成功事例を、日本での実践例を中心にいくつか紹介したい。

物質・材料研究機構(NIMS)は、MIを活用してメタノール燃料電池用の酸化触媒を設計。高い触媒活性を示すプラチナ(Pt)、パラジウム(Pd)、金(Au)で構成する触媒の最適組成を発見した(図3)。この開発では、以下のような手順で最適組成を探っていった。まず初期データとしてランダムな組成を17点選択。そこから回帰モデルを活用して発現する触媒活性の傾向を抽出した。そして、その傾向を基に、組成の条件を満遍なく変化させて、より多くの人工データを生成する。次に、優れた触媒活性が得られそうな組成に当たりをつけて、より精度の高い組成を得るための実験条件を10点抽出。そして、追加実験した結果に基づいてさらに回帰モデルを回し、さらに絞り込むための実験条件を10点抽出。こうした作業をもう一回繰り返して、目的とする最適組成を発見した。

各元素の成分を1原子%刻みで変えてすべてを実験すると5150通りの実験を行う必要がある。これに対し、MIを活用した開発では、47回の実験で、従来比1.4倍の触媒活性を示す最適材料の発見に至っている。しかも、得られた結果は、Pt:Pd:Au=59:40:1というものであり、従来の常識では実験することがなかったと思われる組成だという。

物質・材料研究機構による、MIを活用したメタノール燃料電池用の酸化触媒の開発
[図3] 物質・材料研究機構による、MIを活用したメタノール燃料電池用の酸化触媒の開発
出典:物質・材料研究機構

次もNIMSの取り組み例である。同機構は、世界最高性能の熱遮断膜材料を、MIを利用して開発した。NIMSが以前から保有していた無機材料のデータベースに、対象となる材料に関連した85件の論文から新たに抽出した情報を加えてデータベースを補強。それを対象にして、機械学習を利用して傾向を探った。そして、候補となる8万種類以上の材料・組成・構造の候補を効率よく絞り込み、実験で確認すべき材料の組成を抽出。結果的にビスマス(Bi)とシリコン(Si)のナノ複合薄膜が、既存の熱遮断コーティング材であるYSZよりも遮断性能が5倍以上になることを突き止めた。

京都大学とシャープは、共同で、MIを用いた2次電池材料の開発を行った(図4)。シミュレーションとデータサイエンスを複合的に用いたMIによって、従来の6倍以上に当たる2万5000サイクルの寿命(毎日1回の充放電で70年に相当)を持つリチウムイオン2次電池の正極材料を発見した。この研究では、まず量子力学の原理に基づいて原子構造や特性を予測する第一原理計算を数千種類の条件で実施。その結果を対象にしてMIの手法を活用して高効率にスクリーニングすることで、最適な化学組成を発見した。

MIに基づいてリチウムイオン2次電池の正極材料を開発した際の、LiFePO4の原子の一部を他の元素で置換した場合の体積変化の計算結果例
[図4] MIに基づいてリチウムイオン2次電池の正極材料を開発した際の、LiFePO4の原子の一部を他の元素で置換した場合の体積変化の計算結果例
出典:京都大学

東京工業大学のグループは、MIを用いて、希少元素を用いない赤色発光半導体を発見・合成した。同グループは、シミュレーションによって発光に関わる電子物性を高精度に計算しただけでなく、構造安定性についても同様に計算。これによって、583種の既知・未知化合物から赤色発光し、なおかつ安定して存在可能な材料を効率よく選択した。そして、選択した条件で実際に合成し、予想通りの赤色発光が起きることを確認している。この開発例でも、発見・合成した材料は、従来の材料開発手法では思いもよらない元素の組み合わせだったという。

MIによって、日本の材料メーカーの強みが無効化される可能性

新材料の発明・発見は、これまで日本のお家芸と呼べる領域だった。これは、長年にわたる地道な実験の積み重ねという作業が、日本人の真面目にコツコツと仕事を進める国民性と相性がよかった面がある。

特に、新材料開発では、日本企業の強みは際立っている。これは、新材料開発には長い時間がかかることを企業側が理解して、なかなか成果が出なくても、辛抱強く研究開発を継続してきたからだ。日本は、石油や鉱物など、材料を製造するための原料の産出に恵まれていない国である。それにも関わらず、材料開発での強みを背景にして、圧倒的とも言える高い国際競争力を持つ材料が数多く存在する。半導体分野での、シリコンウエハーや微細加工に欠かせないフォトレジスト、高純度フッ酸などはその代表例と言える。

一方、海外企業は、ビジネス上の成果を求める株主の声が大きく、しかも研究者の流動性も高いため、材料メーカーにおいても短期的な成果を求める傾向がある。このため、研究テーマ―の選択と集中が、頻繁に行われる。成果が出ないとみなされれば、ただちに研究開発が中止されてしまう。もちろん、企業経営の観点から見れば、研究テーマの選択と集中には一定の合理性があるが、こと材料開発に関しては画期的な新材料の創出から遠のく要因となる傾向がありそうだ。

ところが、MIの実践が本格化したことで、材料開発での従来の強みが無効化される可能性が出てきている。属人的な真面目さや経験の蓄積、センスの研鑽ではなく、戦略的なデータの蓄積とコンピュータへの投資、データサイエンスという材料工学とは別の専門知識の活用が成果を左右するようになる。さらに、経済価値の高い新材料を狙い撃ちで研究開発するアプローチは、本来、短期的成果を求めて選択と集中する海外企業の発想との相性がよさそうだ。

日本を震撼させたMIの威力

欧米や中国など、海外の研究機関や材料メーカーの多くが、MIによる新材料開発へと移行している。先鞭をつけたのがアメリカでのMIブームの先駆けとなる、2011年からオバマ大統領(当時)の主動でスタートした「Materials Genome Initiative(MGI)」である。その後、世界中でMIに関する研究開発プロジェクトが開始され、2014年からスイスが独自に「MaterialsRevolution Computational Design and Discoveryof Novel Materials(MARVEL)」を、2015年からはヨーロッパ圏で「Novel Materials Discovery(NOMAD)」が開始された。アジアにおいても、中国と韓国で2015年からMIに関する大型プロジェクトが開始されている。

そして、海外の取り組みの中から、日本政府や国内材料メーカーを震撼させる、MIの威力をまざまざと見せつける成果が出てきた。

2012年12月、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)と韓国のサムスン電子が、MIに基づいて、全固体電池向けの高性能な固体電解質を開発したと発表(図5)。原子同士をつなぐ電子の状態を求める第一原理計算シミュレーションと、結果を解析するデータサイエンスの手法を組み合わせて、リチウムと硫黄を組み合わせた新材料を生成する手法を求めるという内容のものだった。日本企業などを驚かせたのは、開発に着手してから成果を得るまでの期間が、約1年と極めて短かったこと、しかも一切実験をせずに最適な特性を持つ物質を探り当てた点だ。

マサチューセッツ工科大学とサムスン電子が、MIを活用して、たった1年で全固体電池の高性能な固体電解質を開発(開発した材料の結晶構造のイメージ)
[図5] マサチューセッツ工科大学とサムスン電子が、MIを活用して、たった1年で全固体電池の高性能な固体電解質を開発(開発した材料の結晶構造のイメージ)
出典:マサチューセッツ工科大学

全固体電池向けの高性能な新材料は、EV用のバッテリーをより安全かつ高性能にするためのイノベーションとなる技術として、日本で多くの大学や企業が、長年にわたって追い求めてきたものだ。実は、MITとサムスン電子が開発したものとほぼ同じ組成の材料を、タッチの差で日本の大学と企業が開発することに成功し、特許出願で先んじることはできた。しかし、伝統的な材料開発の手法で進めたため、開発に5年かかっている。この材料の開発競争では勝利することができたものの、今後の多くの材料開発において、日本の大学や企業も研究開発のアプローチを変える必要性に迫られることは明らかだった。前に紹介した、日本の研究機関や企業による、MIを活用した成果例の数々は、こうした危機感に後押しされる中で出てきたものである。

過去の強みを未来の強みに変える改革を急ぐ

現在も、日本政府や国内材料メーカーは、MI時代の材料開発競争に対する強い危機感を抱いている。そして、数々の国家プロジェクトを通じて、また社内独自の取り組みによって、MIを活用する時代への適応を急いでいる。

2012年に開始した文部科学省の新学術領域「ナノ構造情報のフロンティア開拓」を端緒として、MIに関連した大型の国家プロジェクトが次々と立ち上げられた。例えば、2015年には科学技術振興機構(JST)がNIMSを中核とした「情報統合型物質・材料開発イニシアティブ(MI2I)」を発足。バッテリー材料、磁性材料、伝熱制御・熱電材料という具体的なターゲット材料を挙げてMIを活用した研究手法の開発を進めている。また、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は、2016年から「超先端材料超高速開発基盤技術プロジェクト」を開始し、産業技術総合研究所に取り組みの集中拠点が置かれた(図6)。さらに、機能材料コンピュテーショナルデザイン研究センターを中心にして、有機系機能性材料を対象としたMIを利用するための技術開発が進められている。他にも、MIに関連したプロジェクトは数多く存在する。

超先端材料超高速開発基盤技術プロジェクトの概要
[図6] 超先端材料超高速開発基盤技術プロジェクトの概要
出典:新エネルギー・産業技術総合開発機構

MIの活用に関して後手に回っている印象の日本の研究機関や企業だが、実は、MI活用時代においても優位性を維持できる可能性がある。先述したように、MIでは、データの質と量が得られる成果に直結する。しかも一般に、材料分野において、ビッグデータと呼ばれる規模のデータを入手することは難しい。日本は、これまでの新材料の研究開発の実績を統合すれば、他国よりも多くのデータを擁するデータベースを構築できる。これによって、有利にMIを実践できる可能性がある。重要な点は、これまで各研究機関や企業に散在し、それぞれで秘蔵していた実験データなどを、いかにして統合し、共有するかにかかっている。

既に、物質・材料研究機構が、「NIMS物質・材料データベース(MatNavi)」と呼ぶ、データベースの整備を進めてきた実績がある。そして、MI2Iの枠組みの中でMIの実践に向けた材料データプラットフォームセンターとして、さらに進化させる取り組みを進めている。MatNaviは12の領域(高分子、無機材料、計算状態図、電子構造計算、拡散、超電導材料、高温熱物性、金属材料、CCT線図、クリープ、疲労、腐食)のデータを揃える世界最大級の材料データベースであり、今後の本格的な活用にかかる期待は大きい。

過去の実験データをMIで活用するために解決すべき課題とは

材料開発を長く手掛け、潜在能力としてはMI時代にも強みを発揮できる可能性がある日本の研究機関や企業だが、解決しておくべき課題も多い。

まず、統合できれば強力なデータベースになる既存のデータが、ノートや表計算ソフトに記録されており共有できるデジタルデータになっていなかったり、部署や技術者個人が秘蔵して埋もれていたりする場合が多い。それにも増して重要な点は、1つのデータベースとして機能させるためには、同じ物質についての実験データを、統一した条件、できれば同じ実験装置や測定器でデータ収集する必要があることだ。企業や組織をまたがった過去のデータを、こうした条件に見合った形に整えて統合することの難しさは、想像に難くない。

海外勢もデータベースの整備を積極的に進めており、ここは国や地域の間での競争になってきている。一般に、欧米の企業では、R&Dのプロセスが全社的に統一されているケースが多い。人材の流動性が高いため、実験の手順やデータを記録する手順を標準化することで、業務の引き継ぎを円滑にする必要があったからだ。日本と欧米の材料関連のデータを比較すると、日本は分野を問わず満遍なく量が多いものの質に課題が残り、欧米は特定分野にデータが集中しているが質は高いと言える。

日本でも、データベース化する実験データの質の向上に向けた取り組みを、既にNIMSが先導して、MatNaviの整備の一環として進めている。散在し、実験や測定の条件が異なり個片化しているデータを統合し、質の高い材料データベースを構築する「マテリアルデータプラットフォーム事業」と呼ぶ取り組みである(図7)。大きく2つの方法でデータを収集し、集めたデータを統合・機械可読化して蓄積し、AIを使った解析などに利用できるようにする。日本政府は、同研究機構の取り組みを雛形として、日本の研究機関や企業での材料開発のデジタルトランスフォーメーション(DX)の実践を促す目論見である。

物質・材料研究機構が進める、マテリアルデータプラットフォーム事業の仕組み
[図7] 物質・材料研究機構が進める、マテリアルデータプラットフォーム事業の仕組み
出典:物質・材料研究機構

データ収集では、まずNIMS自身が保有しているデータを起点として、機械学習などで利用できる形でデータを蓄積。この際、失敗した実験データも含めてデータベースに収めるようにしている。ここに、専門家がAI活用による支援を利用しながら学術論文を読み取り、統合利用可能なデータを抽出して補強している。加えて、ロボットを使って実験データを自動収集できるスマートラボラトリー(かしこい研究室)の仕組みを整備して、MIでの活用に必要なデータを不足なく網羅的かつ効率的に揃えられるようにもしている。既に、実験ロボットだけでなく、NIMSが保有する140の実験装置や測定器をネットワークに接続してIoT化(図8)。測定したデータをただちにMIで活用できる形に補正・加工して、そのままデータベースに登録。解析結果を研究者が利用できるようにしている。こうしたデータ収集と活用を、日本の25の研究機関で行える体制を整えている。

実験装置をIoT化して、取得したデータをただちにデータベースに自動登録
[図8] 実験装置をIoT化して、取得したデータをただちにデータベースに自動登録
出典:物質・材料研究機構

また、材料開発では、材料を生成する際のプロセス、組成、特性、性能の4項目に関するデータを網羅し、それぞれの関係を明確にすることが重要になる。そこで、これら4項目の関係をつないで、材料開発を支援する「材料設計システムMInt(Materials Integration by Network Technology)」と呼ぶ情報システムを開発している。

さらに、こうしたデータの収集・共有の輪に、企業も参加できるようにする仕組みづくりも進めている。企業は、自社で行った実験の結果は、自社製品の競争力強化に向けて利用する財産だと考えている。このため、企業の枠を超えてデータを統合し、共有すれば競争力が高まるとわかってはいても、なかなか実験データの拠出に踏み出すことができない。

企業間でデータの共有を推し進める仕組み「マテリアルズオープンプラットフォーム(MOP)」
[図9] 企業間でデータの共有を推し進める仕組み「マテリアルズオープンプラットフォーム(MOP)」
出典:物質・材料研究機構

そこで、マッチングファンド方式でのデータ共有を進める「マテリアルズオープンプラットフォーム(MOP)」と呼ぶ仕組みを整備している(図9)。既に4つの分野(化学、全固体電池、医薬品、磁石)で企業が参加して、データやノウハウの収集・蓄積、AI解析ツールの開発共有を進めている。MOPでは、データの共有、MIによる解析を共同で行い参加企業の協調領域としている。データの共有が難しい場合には、実験用のサンプルをNIMSが預かり、データを収集してデータベースに登録する。そして、解析結果を活用した製品開発などは、競争領域として各企業内部で進める。

これまでの伝統的な新材料の開発手法で強みを持っていた日本の研究機関や企業にとって、MIへの適応は、まぎれもなく将来の存亡を賭けたチャレンジである。これまでの強みを、未来の強みに転化する取り組みには大いに期待したい。

Writer

伊藤 元昭(いとう もとあき)

株式会社エンライト 代表

富士通の技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、日経BP社と三菱商事の合弁シンクタンクであるテクノアソシエーツのコンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動、日経BP社 技術情報グループの広告部門の広告プロデューサとして4年間のマーケティング支援活動を経験。

2014年に独立して株式会社エンライトを設立した。同社では、技術の価値を、狙った相手に、的確に伝えるための方法を考え、実践する技術マーケティングに特化した支援サービスを、技術系企業を中心に提供している。

URL: http://www.enlight-inc.co.jp/

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