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Science Report
サイエンス リポート

半導体の市場トレンドを予測する「牧本の波」。日本の半導体産業再興にむけて、どう活かせるか?

文/伊藤 元昭
2023.04.26
半導体の市場トレンドを予測する「牧本の波」。日本の半導体産業再興にむけて、どう活かせるか?

現在、日本を含む世界各地で、自国内で半導体チップの製造体制を整備する動きが活発化している。現代社会の戦略物資となった半導体の自国内での安定調達は、自国の産業競争力や安全保障上の優位性を維持・強化していくうえで無視できない要素となったからだ。各国の政府や企業は、競うように半導体工場への大型投資を行っている。ただし、不思議なことに、新たに作った工場でいかなるチップを作るのかについては、あまり論じられていない。整備した工場を維持し、将来の再投資を促すためには、市場が求めるチップを見定めて、強い半導体事業のビジネスモデルを策定・実践する必要がある。将来求められる半導体チップとはどのようなものなのか。半導体業界には、日本人の名前を冠した未来の市場・技術動向を見通すための技術トレンドがある。「牧本の波」がそれだ。

エレクトロニクス業界には、技術やビジネスの将来を予測する際に利用する有名な法則がいくつか存在する。半導体チップ上の素子数が1.5年、または2年ごとに倍増するという「ムーアの法則」や、ネットワークの価値はユーザー数の2乗に比例して増大するという「メトカーフの法則」といった法則を耳にしたことがある方は多いのではないか。

これらの法則は、多くの場合、提唱者となったそれぞれの分野の権威の名前を冠している。数学や物理、化学などの定理・法則と同様に、そこに名を冠していること自体が、提唱者の権威の証となっている。

いくつかあるエレクトロニクス業界の法則の中に、日本人の名前を冠した法則がある。「牧本の波(Makimoto’s Wave)」である。牧本の波とは、端的に言えば、「半導体分野では標準化とカスタム化のトレンドが10年ごとに入れ替わる」というものだ。1991年に、当時日立製作所 常務として同社の半導体ビジネスを指揮していた牧本次男氏が提唱した。同じく半導体業界のトレンドであるムーアの法則は、1つのチップに集積可能な素子の数がどのように増大していくのか「量的変化」を示す法則である。これに対し、牧本の波は、エレクトロニクス業界ではいかなる半導体チップを求めているのか、現在や将来の半導体産業の市場環境を客観的に把握するために有用な法則として知られている。つまり、半導体チップの「質的変化」を示した法則だと言える(図1)。

将来、いかなる性質を持った半導体チップが求められるようになるのか
[図1] 将来、いかなる性質を持った半導体チップが求められるようになるのか
写真:AdobeStock

再興後の半導体産業で作るチップとは

現在、日本では、一度衰退した半導体産業を再興しようとする動きが活発化している。世界最大のファウンドリー企業であるTSMC(台湾)の工場を誘致したり、2nm以降の製造技術で作る先端半導体を生産する国策会社Rapidusが設立されたりと、生産能力を創出・増強する大きな動きが相次いでいる。これらでは、主に、日本国内の半導体需要に応えるチップを量産していくのだという。

では、具体的には、いかなる半導体チップを生産していくことになるのだろうか。「車載用や産業機器用、情報通信用など、国内での需要が高いチップを作ることになる」とユースケースは語られているものの、生産するチップの具体的な種類まで見通しがついているわけではない。

半導体ビジネスは、少品種大量生産が可能な標準化したチップを作るのか、それとも多品種少量生産が求められるカスタム化したチップを作るのかの違いで、ビジネスモデルや工場の運営形態、顧客への技術支援体制などが大きく変わってくる。市場の要求が標準化指向なのか、カスタム化指向なのかの見極めを誤ると、大失敗を招く可能性がある。そんな事態に陥らないため、ビジネスプランを策定する際に参照すべき有用な知見を提供するのが、牧本の波の役割である。

IC、プロセッサ、ASICと入れ替わる半導体の主役

端的な定義では、牧本の波の意義がピンとこない方も多いことだろう。少し半導体産業の黎明期からオリジナルの牧本の波で示されている2007年までの経過を、具体的に示しながら、牧本の波を説明したい(図2)。そこでは、時代と共に、半導体産業の主役を張るチップが、標準化とカスタム化の間で揺れ動く様子が見られる。

1991年に発表された当初のオリジナル版の牧本の波
[図2] 1991年に発表された当初のオリジナル版の牧本の波
出典:Electronics Weekly誌、1991

1947年にトランジスタが発明され、半導体産業が成長し始めた当初(1957年~1967年)、半導体メーカー各社は、技術仕様を標準化した個別のトランジスタやダイオードを開発・生産していた。仕様を標準化しておけば、ユーザーである機器メーカーはそれを組み合わせて求める回路を設計しやすくなり、半導体メーカーでは同一仕様のデバイスを大量生産できるようになるからだ。そして、ユーザーは、設計した応用機器の回路図に沿ってデバイスを配置することで、狙った機能・性能を実現する機器をカスタム開発していた。トランジスタラジオや初期のコンピュータは、こうした開発スタイルの下で作られ、小型化・高性能化していった。

1958年には複数デバイスを1チップ化する集積回路(IC)技術が発明された。そして、これがビジネスとして広く利用されるようになった時期(1967年~1977年)には、使用をカスタム化したICのビジネスが成長していった。それまでボードレベルでカスタム開発していた電子回路をチップに集積するため、当然、ICの仕様はカスタム化する必要があったのである。ICの適用による電子機器の小型化・高性能化・低コスト化の効果は絶大であり、テレビや電子計算機などはICを応用することで爆発的に普及していった。

そして、1971年には、ソフトウェアによって機能を自在に変更できるICであるマイクロプロセッサが発明された。マイクロプロセッサが量産されるようになった時代(1977年~1987年)には、システム設計の手法が、ハードウェアのカスタム化から、ハードウェアは標準化したうえで、ソフトウェアでカスタム化する方向へと見直されるようになった。その効果を最大限まで生かすことで、コンピュータの小型化が進み、現在のパソコンやスマートフォンへと続くシステム構成の潮流を生み出した。さらに、半導体チップの生産においても、少品種大量生産が可能になり、産業として飛躍する素地が出来上がった。

1980年代に入ると、コンピュータの性能が高まり、半導体チップを効率よく設計するCAD技術が急激に進歩した。これによって、ハードウェアである半導体チップをカスタム開発しようとする機運が再燃し、ASICと呼ばれるセミカスタムICビジネスが成長する時代(1987年~1997年)が到来した。マイクロプロセッサ上で動作するソフトウェアを書き換えればさまざまな機能を実現できるのに、あえてチップをカスタム化する理由は、その方が高性能化・低消費電力化・低コスト化・小型化の面で有利だからだ。ASICは、家電製品から産業機器まで広く応用され、多様な機器の電子化に貢献した。

ASICは有用なビジネスであったが、いくつか問題点もあった。ユーザーにとっては、チップの製造に長時間を要するため、機器を設計してから市場投入するまでの期間が長くなってしまうこと。一度、チップの仕様を定めたら、後から仕様変更ができないことなどだ。一方、半導体メーカー側にとっても、多品種少量生産のビジネスになるため、高収益な事業にはなりにくかった。そうした問題点を解決する技術として、1985年に、FPGAという求める機能のハードウェアをプログラムで自在に構成できる技術が発明された。そしてそれが広く利用されるようになった時期(1997年~2007年)には、再び、標準仕様のチップが主役になるようになった。

AppleやTeslaに対抗できるチップを設計できる国内企業

さて、オリジナル版の牧本の波では示されていなかった、現在と近未来はどのように動くのだろうか。法則をそのまま当てはめれば、2007年~2017年はカスタム化の時代、TSMCの日本工場が稼働を開始する2017年~2027年は標準化の時代、Rapidusがビジネスを開始する予定の2030年を含む2027年~2037年はカスタム化の時代ということになる。

拡張版の牧本の波
[図3] 拡張版の牧本の波
出典:IEEE Computer誌、2013年12月号

実は、牧本氏は、IEEE Computer誌の2013年12月号に掲載された論文「Implications of Makimoto’s Wave」の中で、2027年まで延長した牧本の波を発表している(図3)。

そこで同氏は、2007年~2017年をSoC(System on Chip)とSiP(System on Package)によるカスタム化の時代としている。Apple(アメリカ)の「iPhone」に搭載するチップやQualcom(アメリカ)のスマートフォン向けアプリケーションプロセッサのように、特定の大口顧客が設計したカスタムチップを大量生産することによって作る電子機器が消費者市場を席巻。つまり、少数の大口顧客がカスタム化したチップを作ることによって、カスタム化しながらも少品種大量生産が可能になり、応用機器の競争力も高まる時代になったというのが牧本氏の見立てである。こうした大口顧客が設計したカスタムチップを大量生産することで支えたのがTSMCというわけである。

そして、2017年~2027年は、チップの集積度が極度に高まるためカスタム化が困難になり、チップは標準化して、再びプログラムによる機器のカスタム開発が活発化するとみている。チップ上に集積するのは、CPU、DSP、FPGAなどの特徴が異なるプログラマブルコアであり、こうしたアプローチを「HFSI(Highly Flexible Super Integration)」と呼んでいる。

再興した日本の半導体産業は、こうした新たな特徴を持つチップを生産していくことになるだろう。重要なことは、日本国内に、こうしたトレンドに沿ったグローバルな競争力を持つチップを開発できる企業はいるのかという点である。現時点で、Appleなどと競争できる半導体チップを設計し、使い切れる力を持った企業は日本では見当たらない。しかし、Tesla(アメリカ)が独自チップを開発して競争力の高いクルマを開発しているように、トヨタ自動車が独自チップ開発を加速することもあり得るだろう。また、かつては自社でチップを製造していた富士通やNECがチップ設計で最先端を行く道もあるかもしれない。もちろん、新たな半導体専業メーカーが生まれ、成長していくことも不可能ではないだろう。牧本の波を参照し、国内の工場をフル活用した強い半導体産業が生まれることを大いに期待したい。

Writer

伊藤 元昭(いとう もとあき)

株式会社エンライト 代表

富士通の技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、日経BP社と三菱商事の合弁シンクタンクであるテクノアソシエーツのコンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動、日経BP社 技術情報グループの広告部門の広告プロデューサとして4年間のマーケティング支援活動を経験。

2014年に独立して株式会社エンライトを設立した。同社では、技術の価値を、狙った相手に、的確に伝えるための方法を考え、実践する技術マーケティングに特化した支援サービスを、技術系企業を中心に提供している。

URL: http://www.enlight-inc.co.jp/

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