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Science Report
サイエンス リポート

ITも、自動車も、暗号資産も…
「独自半導体チップ」の開発はトップ企業の必要条件

文/伊藤 元昭
2023.05.17
ITも、自動車も、暗号資産も…「独自半導体チップ」の開発はトップ企業の必要条件

Ralf Liebhold / Shutterstock.com

半導体チップを独自開発する企業が、ITや自動車、そして金融など、さまざまな業界で増えてきている。しかも、独自チップを開発する企業は、おしなべてトップ企業ばかりだ。あらゆる機器やシステムにおいて電子情報技術を活用したスマート化が進められる中、自社製品の機器やサービスの付加価値を向上できるカスタム仕様の半導体を入手することで、競合企業を一気に突き放す強いビジネスを展開するのが狙いである。機器メーカーやサービスプロバイダーの中の多くは、半導体のようなハードウェアの開発は専門のメーカーにまかせておいた方が、事業効率が高く、リスクも低いと考える傾向がある。自社内の半導体部門を分社化、売却して手放していった日本のIT企業や家電メーカーはその典型である。しかし、世界のトップ企業は、巨額の費用が必要な半導体チップ開発に耐える資金力を背景に、競合他社がやらない差異化手法だからこそ独自チップ開発に注力。強いビジネス体制をより盤石なものへと変えようとしている。

近年、さまざまな業界の大手企業において、独自の半導体チップを開発する事例が目立つようになった。半導体メーカー以外の企業が、自社製の機器やサービスの価値向上を狙って、自社で利用する半導体チップを欲しい仕様で内部開発しているのだ。こうした現象が見られる業界は、ITや自動車、さらには暗号資産(仮想通貨)のマイニングなど、極めて多岐にわたる。

独自チップの開発はトップ企業の証

機器メーカーやサービスプロバイダーが独自開発している半導体チップのほとんどは、機器やシステムの価値を決める中核チップである。代表例をいくつか紹介したい(図1)。

各業界のトップ企業が独自半導体チップを続々と開発
[図1] 各業界のトップ企業が独自半導体チップを続々と開発
Appleのパソコン向けCPU「Mシリーズ」のダイ写真(左)、Googleのクラウド向けAIチップ「Cloud TPU」の外観写真(中)、Teslaの自動運転向けAIアクセラレータ「D1」のダイ写真(右)
出典:Apple、Google、Tesla

最もよく知られているのはApple(アメリカ)の例だろう。同社は、自社製スマートフォン「iPhone」やパソコン「Mac」の頭脳となるSoC(System on a Chip)「Aシリーズ」や「Mシリーズ」を独自開発している。一般に、スマートフォン向けではQualcomm(アメリカ)、パソコン向けではIntel(アメリカ)などが販売する標準仕様のチップが採用されることが多い。これに対し同社は、OSやアプリケーションも自社開発している強みを生かして、これらと仕様を擦り合わせた独自SoCを開発することで、システム全体のコスト・パフォーマンスを飛躍的に向上させることに成功している。今では、同社の独自半導体チップは、自社で消費する分しか作っていないにも関わらず、2022年の世界半導体シェアランキングで10位に位置する存在感を示している。

かつては同社も、元々は標準仕様のCPUを外部企業から購入して機器を開発していたが、2008年にプロセッサ開発で実績を持っていた半導体設計会社、P.A.Semiを買収したのを皮切りに、半導体関連企業を次々と買収。独自半導体チップの開発力でビジネスを有利に展開できる現在の体制を継続的に強化している。Appleの成功を見て、同社と同様に、独自チップ開発を推し進めるスマートフォン・メーカーが増えてきている。

次に挙げたいのが、Google(アメリカ)である。同社は、データセンターに置くサーバー内でディープラーニング(深層学習)の学習処理を実行するAIチップやエッジ端末で推論処理を実行するチップ「TPU(Tensor Processing Unit)」を独自開発。高性能で効率的なクラウドサービスの提供を実現している。AI関連処理は、実行するタスクの種類によって処理内容が異なる。このため、仕様を専用化した独自チップの開発効果が大きな分野となっている。データセンター用チップを独自開発する動きは、Amazon(アメリカ)、Meta Platforms(アメリカ)、Microsoft(アメリカ)など他社にも広がり、クラウドサービスの差異化要因を生み出し、最大のコスト上昇要因である消費電力の削減を実現するための有効な手段となっている。

自動車業界では、Tesla(アメリカ)で先進的取り組みが行われている。現代のクルマは、「走るコンピュータ」と形容されるように、多くの車載システムがコンピュータによって制御されている。特に自動運転車では、その性能が安全性や快適性、機能に大きな影響を及ぼす要素である。同社は、自動運転システムの頭脳となるAIチップ「D1」を自社製システムに最適化して独自開発した。そして現在、大手自動車メーカーの多くが、自社または系列企業でチップを独自開発できる体制の整備を急いでいる。例えば、トヨタ自動車とデンソーは、2020年に、CASE(コネクテッド、自動化、シェアリング&サービス、電動化)時代に対応する半導体を独自開発する企業、ミライズ テクノロジーズを設立。次世代車に搭載する多様なチップを競争力の高い仕様で実現できる体制を整えた。

さらに、暗号資産を取引する金融関連業界でも独自チップの開発が行われるようになった。GMOインターネットは、暗号資産の取引データをブロックチェーンに保存するマイニングと呼ぶ処理を実行する独自仕様の半導体チップを開発した。マイニングとは、取引の内容に間違いや不正がないかを膨大な計算によって検証する作業である。その検証の対価として、先着1名に新規発行される暗号資産が与えられる。つまり、計算時間が速ければ、儲かるということだ。このため、高性能なコンピュータ(マイニングマシン)を保有していれば巨額の収益が得られる可能性が高まり、マイニングに仕様を特化した独自チップを開発するモチベーションになっている。

最先端チップはシステムそのもの、だからこそ独自開発したい

一般に、IT業界や自動車業界などの企業の多くは、ビジネス環境の変化に対する柔軟な対応を重視しており、電子システムのハードウェアの開発・製造にはあえて自社ではタッチせず、機能のソフトウェア化やクラウド化といった身軽な事業体制を取りたがる傾向がある。

ところが、こと各業界のビジネストレンドを生み出しトップを走る“横綱企業”に関しては、逆にハードウェア開発への関与を積極的に行っている。それどころか、最も大きな手間と巨額の資金を要する半導体開発を強化しつつあるのだ。実際、先に挙げた例を見てもわかるように、独自チップを開発しているのは、おしなべてトップ企業もしくはトップを目指す意志を持つ企業ばかりだ。もはや独自チップを開発できる体制の保有は、競合との厳しいビジネス競争に勝ち抜き続けるための必要条件であるとみなしているようにさえ見える。

現在、最先端のチップを開発するためには、製造費用を抜きにしても、1チップ当たり最低でも数億円、通常は数十億円もの資金が必要だ。当然、高度なチップの設計力も欠かせない。簡単に手出しできる取り組みではないと言える。では、なぜトップ企業は、こうしたリスクを負って、独自チップの開発に積極的なのだろうか。

まず重要なことは、現在の最先端の半導体チップは数十億個、場合によっては数百億個ものトランジスタを集積する規模に達しており、単なる部品の1つではなく、システムそのものになっていることだ(図2)。標準仕様のチップを外部購入したのでは、競合他社との差異化が困難になっているのである。

チップ上に搭載可能なトランジスタ数のトレンド
[図2] チップ上に搭載可能なトランジスタ数のトレンド
出典:Wikipediaのデータを基に、Hannah Ritchie氏とMax Roser氏が作成

しかも、標準仕様のチップを用いてソフトウェアだけで特徴を生み出す方法では、特定の応用に適したタスクを実行する際にハードウェアの過不足が生じることが多い。性能に余裕を持たせようとするとコストが上昇し、コストを削減しようとすると性能が足りないジレンマに悩まされることになる。このため、自社の機器やサービスの仕様に合わせたチップを最適設計するのが最善策になる。

独自チップ開発のハードルを下げるチップレットとRISC-V

とはいえ、独自チップの開発には、高度な技術と巨額の資金、膨大な手間を要するのは確かである。いかに有効な差異化手段であっても、トップ企業しかできないのでは、各業界の健全な競争環境が失われてしまう。ただし、こうした状況は解消されつつあり、独自チップ開発の裾野が広がりつつある。

より多くの企業が独自チップ開発に取り組む際に、キーテクノロジーとなるのが「チップレット」である。チップレットとは、これまで1チップ上に集積してきた大規模回路をあえて小規模な回路に個片化し、開発するチップの要求仕様に合わせてインターポーザと呼ぶチップレット間をつなぐ基板上に載せて大規模回路を構成して1パッケージ化する技術である。

チップレットを活用すれば、チップに搭載する回路のうち、競合他社と差異化したい部分だけを設計する技術・人材・資金があれば、その他の回路は外部調達して独自チップを構成できるため、開発のハードルは格段に下がる。これまでは、チップに搭載するすべての回路を設計する力がないと、独自チップを開発できなかったのだ。

また、近年では、応用先に合わせて独自仕様にカスタマイズできるプロセッサ・コア「RISC-V(リスク ファイブ)」の利用環境も整備されてきた(図3)。RISC-Vは利用する際にライセンス料もロイヤリティも不要なオープンソースのコアである。「ドメイン固有アーキテクチャ(Domain Specific Architecture:DSA)」と呼ぶ新たな設計思想に基づいて、特定用途に向けた任意の仕様のプロセッサを簡単に作ることができる。これにより、今後は、独自チップ開発の裾野が、さらに拡大していく可能性がある。

RISC-Vのロゴとデンソーが開発したRISC-Vベースの自動運転車用プロセッサ「DFP」の評価ボード RISC-Vのロゴとデンソーが開発したRISC-Vベースの自動運転車用プロセッサ「DFP」の評価ボード
[図3] RISC-Vのロゴとデンソーが開発した
RISC-Vベースの自動運転車用プロセッサ「DFP」の評価ボード
撮影:伊藤 元昭
Writer

伊藤 元昭(いとう もとあき)

株式会社エンライト 代表

富士通の技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、日経BP社と三菱商事の合弁シンクタンクであるテクノアソシエーツのコンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動、日経BP社 技術情報グループの広告部門の広告プロデューサとして4年間のマーケティング支援活動を経験。

2014年に独立して株式会社エンライトを設立した。同社では、技術の価値を、狙った相手に、的確に伝えるための方法を考え、実践する技術マーケティングに特化した支援サービスを、技術系企業を中心に提供している。

URL: http://www.enlight-inc.co.jp/

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