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脱炭素化は、あらゆる業界・業種の企業が例外なく取り組むべき課題となっている。とりわけ、生産や物流などの業務において、利用する動力源・熱源のエネルギーを膨大な量の化石燃料の燃焼で得ている製造業には、積極的で効果的な取り組みの実践が期待されている。ただし、現状では脱炭素対策の多くがコストの増加要因となっており、他業種に比べて薄利になりがちな製造業では、取り組みに二の足を踏む企業も多い。ところが、脱炭素対策の実践は、投資家の投資条件の1つとして挙げられ、顧客が取引企業を決めるうえでの条件にもなってきた。製造業各社は、いかにコストが高くても脱炭素対策の手綱を緩めることはできない。今現在はコスト増加要因である脱炭素対策を、いかにして製品やビジネスの高付加価値化につなげるか。さらに長期的視野からは、どのような方策を取れば、逆に脱炭素対策をコスト削減要因へと転化できるのか。真剣に考える必要が出てきている。
カーボンニュートラル達成の目標に向けて、あらゆる業界・業種の企業に脱炭素化の努力が求められるようになってきた。特に、工場内の装置・設備や部材調達・製品出荷に伴う物流などで莫大なエネルギーを消費する製造業において、その傾向が顕著である。これまで製造業企業の多くは、より高機能・高性能な製品を、より低コストで実現すべく、努力や企業間競争を行ってきた。これが今では、高機能・高性能の追及はそのままに、同時により効果的な脱炭素対策を、より低コストで実践することが求められるようになった。しかし、現状では、脱炭素対策はコスト増加の要因となっている(図1)。
いかにコスト面で厳しい状況になっても、製造業企業各社は、脱炭素化の取り組みから逃れることはできない。近年、製造業企業に資金を提供する投資家は、脱炭素化に対する努力の度合いを投資の条件として挙げるようになった。脱炭素化でコスト増になったとしても社会の要請に応える企業ならば将来性が高いと考えるからだ。さらに、顧客の中にも、脱炭素対策に消極的な企業からは、資材を調達しないことを明言するところも出てきている。例えば、Apple(アメリカ)は、自社製品やサービスで利用する部材や資材のサプライヤに、2030年までにカーボンニュートラルを達成することを要請している。
こうした時代と社会の要請を背景にして、脱炭素対策に伴うコスト増大と、いかに向き合うかは、ビジネスの収益性、ひいては製品の市場価値や競合企業に対する競争力に直結する重大な問題になってきている。
製造業における脱炭素対策には、大きく2つのアプローチがある。1つは、動力源の電化と再生可能エネルギーの活用。もう1つは、省エネルギー化である。
前者のアプローチは、具体的には、化石燃料を燃やしていた動力源を電化したうえで、利用する電力を再生可能エネルギー由来のものに変える方策を指す(図2)。この方法は、実現できれば極めて効果的な脱炭素化対策となる。その一方で、適用の可否は現場ごとに慎重に判断する必要があり、加えてコスト変動に対する影響が読みにくい面がある。
例えば、化石燃料を利用するタービンなどの動力源やボイラーなどの熱源を、モーターやヒーターなどに変えて電化するためには、得られる出力や熱量が既存ラインでの要求値に適合できていることが大前提となる。仮に、既存ラインにそのまま適用できなければ、製造の工程や条件自体を見直す必要があるかもしれない。
また、コストに関しては、初期コストとして、動力源を変更する際に相応の設備投資が必要になる。一方、電化によるランニングコスト(電気代や燃料代)の変動効果は、極めて流動的だ。一般に同じ出力や熱量を得るためのコストは、タービンを動かす燃料である軽油・灯油・天然ガス、ボイラーの燃料となる重油に比べて、電力の価格は高い。しかも、現状では、再生可能エネルギー由来の電力はなおさら高価だ。
ただし、これは一般的傾向であって、実際のコスト負担の算定は極めて難しい。化石燃料の価格は地政学的要因や投機トレンドや原産国の政策などによって、大きく変動する。これに対し、再生可能エネルギー由来の電力の価格は、地域差はあるが、比較的安定している。ただし、長期的視野に立てば、技術の進歩と利用拡大による設備の量産効果によって発電・送電・蓄電・活用に関わるコストの低下が期待できる。これらの要因についての正確な情報を入手し、コスト負担を算定評価する必要がある。
後者のアプローチは、具体的には、製造業の業務である開発・生産・物流・販売・メンテナンス・廃棄/再利用などの状況をリアルタイムで把握し、エネルギーを無駄に消費している部分をあぶり出して、省エネルギー化する方策を指す。その実践には、企業活動の状況を詳細・正確かつ俯瞰して把握するための情報通信システムの導入が不可欠だ。こうした情報通信システムは、その導入自体はコスト増大要因となる。ただし、目的が業務に潜む無駄を削ることにあるため、エネルギーコストに加えて人件費や資材費などその他コストの削減効果も期待できる。全体的にはコスト削減要因となる可能性が高い。
近年、製造業に限らず、事業活動による温室効果ガスの排出量の正確な評価が求められるようになった。その際、「Scope3」の視点からの評価が必須になっている。Scope3とは、事業者自らの業務の中で排出するCO₂だけでなく、サプライチェーンの上流から調達する原材料や部品、資材などの生産とその輸送、さらには下流である製品の使用や破棄で排出するCO₂の量も加えた、排出量の総量を評価することを指す。
一般に、製造業では、最終製品の生産で排出するCO₂よりも、サプライヤから調達した部品・材料の生産過程で発生した量の方がはるかに多い。例えば、自動車メーカーでは、8割がサプライチェーン上で発生している。このため、サプライヤでの脱炭素対策の実践状況は、自社製品の競争力を高めるうえでの重要な管理項目となる。
既に、ドイツの自動車業界では、Scope3でのCO₂排出総量の把握など、企業をまたいだ生産状況を把握して業界全体の活動を最適化するため、「Catena-X」と呼ぶデータ流通基盤を構築する業界団体が設立された(図3)。企業間取引を透明化し、各企業での事業活動に関連した情報を共有・俯瞰するための仕組みである。ここには、ドイツ政府が莫大な予算を投入し、ドイツ国内の完成車、ティア1、ティア2の有力企業、IT企業などが参画している。
同様の仕組みが必要なのは、他国や、電気・電子、機械、薬品、食品など他業界も同様である。企業間で情報を共有し、俯瞰するための脱炭素時代に対応した情報流通基盤の開発・提供に取り組むICT企業が続々と現れている。
製造業の業務で消費する化石燃料を再生可能エネルギー由来の電力へと転換する取り組みと、業務の無駄をあぶり出す情報通信システムの導入は、いずれも短期的にはコスト増加の要因となることはすでに述べた。しかし、長期的視野に立てば、これらをコスト削減要因へと転化できる筋道もありそうだ。さらに、ものづくりの手法だけでなく、自社製品自体を脱炭素化対応製品へと置き換えていく必要が出てきている。開発・製造する製品を脱炭素化対応に変えることで、長期的にはコスト削減が実現する可能性があるからだ。
欧州では、鉄鋼、セメント、アルミニウム、肥料、そして電力を対象にして、環境規制の緩い国からの輸入品に事実上の関税をかける「国境炭素調整措置(CBAM:Carbon Border Adjustment Mechanism)」が2023年1月から導入された。こうした動きは、他の地域にも拡大し、対象品目も拡大されていく方向に進むとみられている。脱炭素化に対応した製品の開発・製造は、コスト削減の取り組みそのものになりつつあるのだ。
製品のシステム構成を変えて脱炭素化対応にすることで、脱炭素化前の製品よりもむしろ低コスト化できる可能性が出てきている。現代社会を支える製造業の代表である自動車業界では、実際に、こうした低コスト化が始まっている。
自動車業界では、エンジン車を電気自動車(EV)へとシフトさせつつある。短期的視点から見れば、EVの部品コストのうち約20%を占めるバッテリーの価格が高く、生産技術も現状のクルマのようには成熟していないため、エンジン車よりもEVの方が生産コストは高い。しかし長期的視点に立てば、状況は大きく異なる。バッテリー価格が生産技術の成熟と生産数量の増大によって急激に下がることは、経済学と工学の大原則から見れば確実だ。しかも、一般的なエンジン車の部品点数が約10万点であるのに対し、EVは約1万点と10分の1に減る。つまり、組み立て工程の大幅な簡略化が可能であり、設備投資や人件費などが格段に削減される可能性が高い。このため既存のエンジン車用工場ではなく、EV用に最適化した工場で生産することが極めて重要になる。
現時点では、世界の多くの自動車メーカーは、既存のエンジン車用の工場でEVも生産している。これに対し、EV専業で、自社工場をすべてEV生産に最適化して作っているのがTesla(アメリカ)である。同社は2023年3月に、EV固有の特徴を生かして同社の従来工場以上に生産効率を高めた新たな生産方式「アンボックストプロセス」をメキシコ工場に導入すると発表した(図4)。
アンボックストプロセスとは、一直線の長い生産ラインで車両全体を流しながら少しずつ部品を取り付けていく従来ラインとはコンセプトが大きく異なるものだ。EV全体を車両の前部、後部、底部、ドアとフロントフードなど、6つの大きなブロックに分割し、それぞれ個別に組み立てる。その時点で、各ブロックに内装品やタイヤ、モーターなどを取り付け、塗装も済ませてしまう。そして、最終的にブロックを組み合わせて完成品を作る。こうすることで、各ブロックを効率的に同時並行生産できるようになり、自動化も容易になって、EV1台当たりの製造コストが半減するという。
脱炭素化対応の実践は、目の前だけに注目するとコスト増加要因にしか見えない。しかし、長期的視野から想像力と洞察力を働かせて製品や生産工程、サプライチェーンを改革すると、現状よりも低コスト化できる可能性もある。次世代の製造業で飛躍を遂げるためには、こうした見地と改革の実践が不可欠になりそうだ。
伊藤 元昭(いとう もとあき)
株式会社エンライト 代表
富士通の技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、日経BP社と三菱商事の合弁シンクタンクであるテクノアソシエーツのコンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動、日経BP社 技術情報グループの広告部門の広告プロデューサとして4年間のマーケティング支援活動を経験。
2014年に独立して株式会社エンライトを設立した。同社では、技術の価値を、狙った相手に、的確に伝えるための方法を考え、実践する技術マーケティングに特化した支援サービスを、技術系企業を中心に提供している。