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200年以上昔に電信機が登場して以来、ラジオ、コンピュータなど、様々な電子情報通信機器が次々と発明され、私たちの生活や社会は飛躍的な進歩を遂げてきた。その間、伝達と処理の対象となる情報は、一貫して電気信号で表現されてきたのだが、現在の電気信号をベースにしたシステムのままでは、さらなる高度化、高性能化が困難になりそうだ。システムの可用性を脅かすほどまで消費電力が増大し、電気信号の遅延の影響でシステム性能の向上が頭打ちになる可能性が出てきたからだ。こうした問題を解決するため、電気信号に代えて、光信号をベースにした情報通信システムを構築する「IOWN (アイオン:Innovative Optical and Wireless Network)」と呼ぶ構想が実現に向けて着々と進められている。デジタル社会を支えるエレクトロニクス技術をフォトニクス技術に置き換え、情報通信システムの構成や仕組みを刷新しようとする、電子産業やIT産業を根底から覆すほどのインパクトを持つ構想である。
現代社会は、スマートフォンなどの情報通信機器なしでは生活も仕事もできない状況になっている。そして、デジタル化はこれまで以上に進行する方向。人類の未来が豊かで、持続可能なものになるかどうかは、情報通信システムのさらなる進化にかかっていると言えよう(図1)。
ところが、電気信号に情報を載せて伝送や処理を行っている現在の情報通信システムは、さらなる進化を阻む大きな問題を抱えている。私たちが思い描く未来を実現するためには、問題を解決するブレークスルーとなる技術が必要になっているのだ。
増大し続ける情報量と、高まり続ける演算性能の向上要求に対応するためには、情報通信システムのさらなる性能向上が必須であることは明らかである。ところが、現実にはそう簡単に性能向上できるわけでもなさそうだ。
科学技術振興機構低炭素社会戦略センターの調査では、世界の情報通信システム関連の消費電力量は、2030年には2016年比で5000倍にまで増大するという。これは、デジタル化がカーボンニュートラル達成の最大の妨げになるだけでなく、そもそも発電所の増設位では電力供給が追いつかないレベルになってくることを意味する。
一方、より高度なAIを活用するために必要な演算能力は、「ムーアの法則」に沿って半導体チップの性能を高めても対応できなくなるかもしれない。高度なAI関連処理を実行するためには、高性能な半導体チップを複数個、コンピュータを複数台つなぎ、連動させることで大きな演算能力を実現させる必要が出てくる。その際、半導体間、コンピュータ間でのデータ伝送も高速化が必須だ。ところが、ケーブルや配線・コネクターでの電気信号固有の遅延の影響が大きくなるため、システム全体の動作性能の向上が頭打ちになる可能性がある。
情報通信システムのさらなる進化を阻む消費電力と遅延の影響の増大は、伝送路や素子固有の電気的抵抗や容量、電磁特性に起因する、デジタル情報を電気信号に載せているがゆえに起きる不都合だ。課題を根本的に解決するためには、電気信号をベースとした現在の情報通信システム自体を見直す必要がある。
IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)とは、情報通信システムの問題意識を起点に、電子通信システム内部の多くの部分を電気信号ベースから光信号ベースへと置き換えることで、情報通信システムの新たな進化の筋道を切り拓く構想のことである。IOWN構想を提唱したNTTは、情報通信システムを、段階的に光信号ベースに置き換えていくことで、電力効率を現在の100倍に、伝送容量を同125倍に、エンド・ツー・エンドでの遅延を同1/200にする野心的目標を掲げている。
IOWN構想を持ち出すまでもなく、長距離ネットワークの基幹網や高速サーバーのボード間インタフェースの領域では、既に光信号を使った情報伝送が利用されている。光ファイバーなどで光信号を通す光通信技術ならば、エネルギー損失も伝送時の遅延も最小化できるからだ。さらに、1本の光ファイバーで異なる波長の信号を多重化して送れば、大容量化も可能である。これら光通信技術の優れた特徴は、伝送距離が長く、信号の周波数が高いほど際立つ。
短距離の通信やインタフェース、半導体チップ間もしくはチップ内の配線で光通信技術を利用した場合にも相応のメリットは見込める。しかし、光通信向けの伝送路や信号変換素子は電気通信向けよりもサイズが大きかったため、適用先が限定されていた。また、光から電気、電気から光へ変換する際の電力消費も大きく、システムレベルでの消費電力を増大させる要因になる可能性があった。
IOWN構想の実現に向けたキーテクノロジーは、「光電融合技術」である。電気通信システムの内部構成を光信号で処理する部分と電気信号で処理する部分を切り分けることなく、同じ回路内で双方の信号を混在させながら最適処理する技術である。サーバー内でCPUとアクセラレータの間を結ぶ配線、CPUと周辺回路を結ぶI/O、将来的にはCPU内部のデータ伝送にまで光信号を扱うことを想定している。
NTTは、2019年に、世界最小の消費エネルギーで動作する光電融合型の光変調器と光トランジスタを開発した(図2)。電子回路における半導体微細加工技術に相当する、「ナノフォトニクス(シリコン基板上に形成する場合にはシリコンフォトニクス)」と呼ぶ光素子向け微細加工技術を用いて作成した素子である。わずか10µm×15µmの基板上に、入力された光信号でスイッチ操作したり増幅したりできる光トランジスタを実現。光信号の受光で発生するわずかな電荷だけで、電気から光へと変換できるようになった。これによって、光素子の微細化・低電力化が実現し、光信号ベースの情報通信をより短距離の領域に適用することによる、IOWN構想の実現が可能になった。
そして、ナノフォトニクスの技術の進化に沿って、3ステップで光電融合技術の利用領域拡大を進めるシナリオを描いている(図3)。ステップ1では、ナノフォトニクスによって実装した回路とファイバー、アナログICなどを集積した構造を実現し、チップ外部との接続速度を高速化する。ステップ2では、半導体チップ間を超短距離の光配線によって直接接続する。ステップ3では、チップ内のコア間を光配線で接続し、超低消費電力化を実現する。さらに、光信号を対象に直接演算処理する回路を組み込み、チップの性能を向上させる。光信号の光源としてナノフォトニクスで作成する量子ドットレーザーのような高効率・低消費電力の素子を利用すれば、さらなる消費電力化と高速化も期待できる。
これまでエレクトロニクス業界では、ICを製造する微細加工技術を進化させることで、電子通信システム全体の高度化と応用拡大を図ってきた。IOWN構想では、同様の進化アプローチを、光信号をベースとした情報通信システムでも展開しようとしている。
IOWN構想では、大きく3つの取り組みを統合して、情報通信システムの刷新を推し進め、新たな価値を生み出していくことを計画している(図4)。
1番目は、ネットワークから端末まで、すべてに光ベースの技術を導入してデータ伝送の低電力化・低遅延化を推し進める「オールフォトニクス・ネットワーク」。これによって、情報処理基盤のポテンシャルを大幅に向上させる。2番目は、大量のセンシングデータを基にデジタル空間に実世界を再現する「デジタルツインコンピューティング」。これによって、サービス、アプリケーションの新しい世界を提供する。3番目は、伝送からアプリのレイヤまで統合的に制御し、迅速なICTリソースの配備と構成の最適化を実現する「コグニティブ・ファウンデーション」である。
このように、IOWN構想には、現存するインターネットやコンピューティングのあり方を根底から覆すような挑戦が含まれている。世界中の情報通信システムに、新たな進化の筋道を指し示すものだ。当然、単なる日本国内の情報通信システム改革という話ではない。
2020年1月、IOWN仕様を定める国際団体「IOWN Global Forum」がアメリカに設立された。設立メンバーとして、NTT以外にも、Intel(アメリカ)とソニーが名を連ね、現在ではMicrosoft(アメリカ)、Qualcomm(アメリカ)、NVIDIA(アメリカ)、Ericsson(スウェーデン)、Samsung Electronics(韓国)など、主要なIT企業を含む120以上の企業や団体が参画している。
日本政府が進める「半導体・デジタル産業戦略」では、第1段階で当面の国内需要に応える半導体供給体制を整え、第2段階で世界の最先端半導体産業にキャッチアップするというシナリオを描いている。そして、第3段階では、世界の情報通信産業をリードしていくためのゲームチェンジを狙っている。その際の中心となる未来の情報通信システムの姿としてIOWN構想を想定している。
IOWN構想は、情報通信システムの持続可能な進化を考えるうえでも、日本の産業界を活性化させていくうえでも、重要性が高い。