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人類は誕生以来、いかに速く、遠くへ行けるかを追い求めてきた。その挑戦は、海を越え、大陸を越え、やがては空を飛び、そして宇宙へ飛び出し、1969年には月に足を踏みしめるに至った。それでもなお、人類はさらに遠くの世界の探検を渇望した。望遠鏡でしか見られない木星や土星、天王星や海王星を間近で見てみたい――。そして、その先に何があるのかを知りたい――。1977年、その情熱が結実し、2機の探査機「ボイジャー1」と「ボイジャー2」が相次いで打ち上げられた。それは星々の海へ至る、壮大な大航海となった。
ボイジャーにつながるアイディアが生まれたのは、1960年代のことだった。このころ、人類はまだ宇宙望遠鏡を持っておらず、外惑星――巨大な木星、輪っかをもった土星、エメラルドグリーンの天王星、そして青く輝く海王星の姿は、地球の分厚い大気を通して、おぼろげながらにしか見ることができなかった。
直接訪れて探査しようにも、遠い惑星にたどり着くには莫大なエネルギーが必要で、技術的にも、またコスト面からも、とても不可能だった。
転機が訪れたのは1966年のことだった。当時、アメリカ航空宇宙局(NASA)ジェット推進研究所(JPL)の研究者を務めていたゲイリー・フランドロ氏が、不可能を可能にする研究成果を発表したのである。
彼が編み出したのは、惑星の重力によって探査機の進む方向を変えたり、加速・減速したりできる「スイングバイ」と呼ばれる航法技術である。これにより、直接目的地の惑星に向かうのに比べ時間はかかるものの、必要なエネルギーが少なく済み、探査機を小さく、軽く造ることができ、ロケットで打ち上げやすくなる。
さらに彼は、1970年代後半に、外惑星のうち木星、土星、天王星、海王星がほぼ一直線に並ぶことも発見した。このタイミングで探査機を打ち上げ、これらの惑星で次々とスイングバイを繰り返すことで、一度の探査で外惑星を一網打尽に探査できることがわかったのである。
このまたとない機会に、科学者も技術者も沸き立ち、実現に向けた検討が進められた。その中心人物の一人となったのが、名著『コスモス』などで知られるかの有名な科学者カール・セーガンだった。
NASAはまず、1972年から73年にかけて、「パイオニア10」や「パイオニア11」、「マリナー10」といった探査機を相次いで打ち上げ、外惑星探査やスイングバイの技術実証を行い、着々と準備を整えた。
そして1972年、NASAは、同じ形の2機の探査機を造り、木星と土星、天王星、そして海王星を探査することを決定した。当初は「マリナー11」と「マリナー12」と呼ばれていたが、のちに太陽系の航海者(Voyager)という意味を込めて「ボイジャー1」、「ボイジャー2」という名前に改められた。
ボイジャーは、まず巨大なお椀のような部品が目を引く。これは地球と交信するためのアンテナで、遠くからでも電波を送受信できるよう、できる限り大きく造られている。
アンテナの裏からは、科学観測を行うための装置が顔を見せている。図2の左ななめ上に大きく飛び出した細長い棒のようなものは磁力計で、訪れる惑星の磁場、磁力を計測する。磁気は探査機本体からも出ていることから、その影響を避けるため、できる限り本体から離してある。
図2右上にむけて短く飛び出た部分には、可視光や紫外線、赤外線で観測できるさまざまなカメラや、宇宙線やプラズマなどを観測する装置がまとめて取り付けられている。
そして、図2左下に向かって飛び出している水筒のような円筒形のものは、「放射性同位体熱電発電機(RTG)」と呼ばれる装置である。多くの人工衛星や探査機は太陽電池で電気を作り出すが、太陽光が届きにくい外惑星では役に立たなくなってしまう。一方、RTGは放射性物質の崩壊熱を利用して電気を生み出すという仕組みで、太陽からどれだけ離れても電気を作り出すことができるため、外惑星を探査するボイジャーにとって肝となる装置である。
ボイジャーの主な目的は、木星と土星、天王星や海王星、また土星をまわる衛星の大気や磁場、太陽系の外側の宇宙線やプラズマの環境などについて調べることにあった。それと同時に、もうひとつ大事なミッションも背負っていた。
2機のボイジャーは、外惑星を探査するために猛烈なスピードで太陽系を突っ切り、最終的には太陽系を飛び出し、恒星間空間を航行する。そして、いつの日か、地球外知的生命体と出くわすかもしれない。
そこでボイジャーには、「ゴールデン・レコード」という、文字どおり金色のレコードが搭載されることになった。その中には、地球に関するさまざまな写真や音声、モーツァルトやバッハなどの楽曲、地球の位置の詳細データなどが収録されている。日本からは、「こんにちは。お元気ですか?」という挨拶と、尺八曲のひとつの『巣鶴鈴慕』が選ばれた。
このレコードは、地球外知的生命体へのメッセージ――誰でも再生できるように、レコードの再生方法も記載されている――であると同時に、私たち地球人にとってのタイムカプセルでもある。
ゴールデン・レコードの作成を主導したセーガンは、次のように語っている。
「恒星間空間に高度な宇宙文明が存在する場合にのみ、ボイジャーは出会い、レコードが再生されることになるでしょう。ですが、この『ボトル・メール』を宇宙の 『海』に打ち上げることは、この地球という惑星の生命が、非常に希望に満ちていることを物語っています」。
2機のボイジャーのうち、まず1977年8月20日に、ボイジャー2が打ち上げられ、ボイジャー1はそれに続いて1977年9月5日に打ち上げられた。一見すると順番が逆のように思われるが、実はボイジャー1、2という数字は木星への到着順でつけられている。ボイジャー1はあとに打ち上げられたにも関わらず、より速く航行できる軌道を選んだため、ボイジャー2を途中で追い越し、先に木星に到達した。
ボイジャー1は1979年3月5日に木星に最接近した。その前後で行った探査で、木星のまわりに細いながらも環があることを発見した。衛星の詳細な写真も撮影し、さらに新しい衛星も発見し、「テーベ」と「メティス」と名付けられた。
木星でスイングバイしたのち、1979年11月には土星に接近し、5つの新しい衛星や、新しい環を発見したり、環の詳細な構造を明らかにしたりといった成果を残した。また、土星の衛星「タイタン」を詳細に観測し、分厚い大気があること、その90%が窒素で構成されていること、さらにメタンやその他の炭化水素が含まれていることも発見し、生命が存在するかもしれない可能性を示唆した。
土星をスイングバイしたあと、ボイジャー1は黄道面から北へ向かう軌道に乗り、太陽系から飛び出すコースに乗った。
やがて機器の劣化や電力の低下から、観測装置の電源を徐々に落としていくことになった。1990年にはカメラを停止することになり、最後の記念撮影として、太陽系を振り返るような姿勢で64枚の写真を撮影した。地球から約60億kmのところから撮影されたこの一連の写真は「太陽系の家族写真」と呼ばれ、そのうち淡く青く輝く地球の画像は「ペイル・ブルー・ドット」として、地球が、そして私たちが、この宇宙の中でいかに儚げで大切な存在かを再認識させてくれる、歴史的な一枚となった。
一方のボイジャー2は、ボイジャー1のあとを追いかけるように木星、土星を通過し、木星でさらに新たな衛星を発見するなどの成果を残した。その後、ボイジャー2は天王星に向けて進路を取った。
そして1986 年1月、史上初めて天王星を通過して観測し、10の新しい衛星と2つの新しい環を発見した。続いて1989年8月には海王星を史上初めて通過し、5つの衛星、4つの環、そして「大暗斑(大黒斑)」と呼ばれる、暗い楕円形の領域を発見した。
その後、ボイジャー1に続き、太陽系から飛び出すミッションに入った。
現在ボイジャー1は、秒速約17kmという猛烈なスピードで、地球から約165 AU(天文単位)、約247億kmのところを飛んでいる。これは、光(電波)の速度でも片道23時間かかるほどの距離で、ボイジャーとの交信は気の遠くなるような作業になる。一方のボイジャー2も、秒速約15kmで、約138 AU(約206億km)のところを飛んでいる。
NASAは2013年9月12日、「ボイジャー1が2012年8月25日、太陽圏を脱出し、恒星間空間に入った」と発表した。一方のボイジャー2も、2018年11月に太陽圏を脱出した。
少し注意が必要なのは、脱出したのは「太陽圏」であり、「太陽系」ではない点である。太陽圏とは、太陽から吹き出している太陽風(電気を帯びた高温の粒子(プラズマ))の流れが届く領域のことで、太陽系の惑星はすべてこの内側にある。2機のボイジャーは、その太陽圏の端にあたる「ヘリオポーズ」を通過したのである。
ただ、太陽の重力はそれよりも先に及んでおり、太陽圏のさらに外側には、太陽系を包むように広がる「オールトの雲」という領域がある。小さな天体が集まってできており、彗星の生まれ故郷ともいわれる。
このオールトの雲を抜けたとき、本当の意味で太陽系を脱出したと言えるのかもしれない。もっとも、オールトの雲の主要部分の内端は、太陽から1000 AU(天文単位)にあり、外端は約10万AUのところにあると推定されている。これは途方もない距離で、現在ボイジャー1は太陽から約125 AUのところを航行しており、内端に到達するまでには約300年かかり、外へ飛び出すには約3万年もかかると考えられている。
果てしない旅を続ける中、ボイジャーはいまなお観測データを地球に送ってきている。しかし、RTGの発電力はだんだん弱まり、科学機器も次第に故障したり、停止させたりして、徐々に運用を終えるときが近づいている。
2023年11月には、ボイジャー1のコンピューターに問題が発生し、意味をなさないデータを送信するようになった。懸命の作業により、2024年5月には復旧した。
一方のボイジャー2は、2024年9月に搭載している観測機器のうち1台を停止させたことが発表されている。
NASAによると、ボイジャーはそれぞれ、2025年ごろまで、科学観測を続けられると予想している。また、科学機器が止まったとしても、探査機の状態などを示す工学データは、その後数年間は送信し続けられる可能性があるとしている。最も楽観的な予測では、2036年ごろまで通信できる可能性があるという。
もちろん、運用を終えたとしても、ボイジャーはゴールデン・レコードを抱えたまま、恒星間空間を飛び続ける。
より速く、遠くへ――。そんな人類の挑戦は、いまや恒星間空間という星々の海に達した。いつの日か、ボイジャーは地球外知的生命体に出逢えるのだろうか。もしかしたら、未来の人類が開発した宇宙船がボイジャーを追い越すかもしれない。これからも、ボイジャーと人類の、果てしなき未知への航海は続いていく。