JavaScriptが無効になっています。
このWebサイトの全ての機能を利用するためにはJavaScriptを有効にする必要があります。

Science Report
サイエンス リポート

Google DeepMindの「AlphaChip」、
AIがAIチップを設計する時代が到来

文/伊藤 元昭
2025.02.05
Google DeepMindの「AlphaChip」、AIがAIチップを設計する時代が到来

あらゆる業界・業種の業務の中で、人工知能(AI)が活用されるようになった。そしてAI活用は、AIが新たなAIシステムを生み出すという新たな局面に突入しつつある。かつてのコンピュータは、どちらかといえば単純な業務を大量かつ迅速にこなすような場面での効果を発揮していた。ところが現在のAIは、医師・会計士・弁護士といった専門家の見識やスキルが求められる高度な業務の一部で、着実に利用が広がってきている。そして、優れたコミュニケーション能力を持つ生成AIが登場したことによって、その能力の適用シーンは、これまでにも増して急拡大している。専門家の知見とスキルが求められる職種の代表例と言える、工業製品の設計の分野でも、業務の一部をAIがこなすようになった。ソフトウェアのコード生成などは、その代表例だ。AI技術と、その利用技術の進歩は著しく、設計でAIを適用する業務領域は年々拡大し続けている。AIなど情報システムのハードウェアの中核である半導体チップの設計も例外ではなくなってきている。

半導体チップ設計のイノベーションを予感させる出来事

現代の最先端半導体チップの設計では、1チップ当たり、地球上の総人口を超える100億個以上のトランジスタを最適配置し、想定通りに整然と動作させて価値ある機能を実現することが求められている。どんなに優秀な設計者であっても、人間の頭だけでは対処できない状況であるのは明白で、コンピュータによる設計支援が必要不可欠になってきている。実際、1990年代以降、半導体設計のさまざまな業務でEDA(Electronic Design Automation)と呼ばれるコンピュータを利用した半導体設計が導入され、今ではあらゆるチップ設計で活用されている。現在のような巨大な規模の半導体チップが設計できているのは、EDAの効果があればこそである。

そして、2024年9月、Google(アメリカ)傘下のAI技術開発子会社であるGoogle DeepMind(イギリス)は、「AlphaChip」と呼ぶAIを活用して、半導体チップの設計を自動化・最適化するシステムを発表した。従来のEDAを利用して設計者が設計した場合よりも、優れた成果が得られる自動設計システムである。AlphaChipのシステムの一部は、オープンソースとして公開されており、誰もが利用可能な状態になっている。限られた専門家だけの技能・スキルであったチップ設計が民主化し、高度な独自チップを比較的容易に設計できる環境が整備される可能性が出てきている。

AlphaChip の位置付けを正しく理解するため、DeepMindについて少し補足しておきたい。2010年に設立された同社は、初期には高度なAI技術を地道に研究開発してきた。これが2014年にGoogleに買収されて以降、「AlphaGo」や「AlphaZero」など、囲碁やチェス、将棋など、一般に広く知られるゲームを対象にしてAI技術の効果を実証・研鑽するようになり、世界のトッププロをはるかに超える能力を実現して注目を集めるようになった。そして、2018年にはタンパク質の3D構造を予測する「AlphaFold」を開発。それ以降、コンピュータプログラムを自動生成する「AlphaCode」、効率的な行列乗算アルゴリズムを探究する「AlphaTensor」、遺伝子の変異を予測する「Alpha Missense」など、高度な専門家の研究・開発領域に適用するAI技術を立て続けに発表してきた。AlphaChipは、まさに、この系譜の中にあるAI界の名門中の名門出身と言えるシステムである。

AIによるタンパク質解析技術がノーベル化学賞に AIによるタンパク質解析技術がノーベル化学賞に
[図1]AIによるタンパク質解析技術がノーベル化学賞に
2024年のノーベル化学賞を受賞した3氏(左からアメリカ・ワシントン大学のDavid Baker氏、DeepMindのDemis Hassabis氏とJohn M. Jumper氏)(左)、AlphaFoldの第2世代版「AlphaFold 2」によってアミノ酸配列からタンパク質の構造を予測するイメージ(右)
出典:ノーベル財団

DeepMindが各分野に送り出したAIシステムの威力は凄まじい。例えばAlphaFoldは約50年間未解決だったタンパク質解析での課題を解決するなど、目覚ましい成果を挙げた。今では、世界の200万人以上の研究者が、創薬研究などタンパク質設計の領域で活用している。こうした功績から、同社 CEOのDemis Hassabis氏と開発に携わったJohn M. Jumper氏に対して、アメリカ・ワシントン大学のDavid Baker氏と共に2024年のノーベル化学賞が授与された(図1)。単に解析手段であったはずのAIがノーベル賞という基礎科学の最高権威を得たこと、さらには開発から受賞に至るまでの時間が極めて短いことが、科学技術に与えたインパクトがいかに大きかったのかを如実に示している。AlphaChipもまた、半導体チップ設計の領域で、同様のイノベーションを生み出すことが期待されている。

AlphaChipは強化学習で自律的に設計スキルを向上

AlphaChipに導入されたAIの基礎技術は2020年に発表され、研究成果は2021年にNature誌上に掲載されている。その基本的なコンセプトは、チップ設計の業務をゲームとして捉え、ゲーム用AIで培ってきた強化学習技術を応用して、試行錯誤しながら設計スキルを逐次向上させていくというものだ。つまり、人間の設計者と同様に、設計業務を数多く経験することで知見とスキルと高め続けていく。人間との最大の違いは、疲れ知らず、衰え知らずで、莫大な設計経験を継続的に蓄積していくことだ。

半導体チップは、莫大な数の回路部品が、膨大な数の配線で複雑に相互接続されたブロックで構成されている。しかも、配線はただつながっていれば良いわけではない。規定の時間内で信号を確実に伝達し、伝送時の信号が相互干渉することがないように配線を張り巡らせ、伝送時の消費電力と設計後の面積を最小化できるように、回路部品の最適配置と最適ルートでの配線を行う必要がある。

AlphaChipの仕組み

AlphaChipでは、設計対象領域全体を格子(グリッド)状に区切り、空白のグリッドにひとつずつ搭載予定の回路部品を当てはめていく(図2)。そして、最終的に出来上がったレイアウトの品質を評価して、評価結果に応じた報酬を与える。この作業を繰り返し、なるべく多くの報酬が得られる手法をAIが自律的に学習していく。あたかも、シリコンバレーで設計者たちがスキルアップして高額報酬の獲得を目指す様子を、コンピュータ上でシミュレーションしているかのようなシステムである。

AlphaChipでRISC-Vプロセッサ「Ariane」を設計する例
[図2]AlphaChipでRISC-Vプロセッサ「Ariane」を設計する例
グリッド状にチップの領域を分割し、各領域に回路部品を当てはめながら設計品質を検証する。既存のICチップを学習していない状態での設計(左)と20個のTPUの設計を学習した状態でArianeした例(右)。既存チップから学習した方が素早くレイアウトを決定できる。
出典:DeepMind

学習対象となるニューラル・ネットワークには、「エッジベースのグラフ・ニューラル・ネットワーク(EGNN)」と呼ばれる技術が採用されている。通常のニューラル・ネットワークでは、教材データを利用してネットワーク中のノードの特徴量を調整して学習を進めている。一方、EGNNでは、エッジの属性や重みも加味して、ノード間の関係性を、より詳細に表現する。エッジベースを適用することで、より複雑なグラフ構造や関係性を表現できるようになる。AlphaChipでは、チップに搭載する部品間の相互作用についての学習を繰り返すことで、汎化した配置・配線のスキルを取得し、その知見を異なるチップに一般化できる。

すでに実用レベルの複数の半導体チップ設計に適用

Googleでは、独自設計のAIアクセラレータ「Tensor Processing Unit (TPU)」を6世代にもわたって継続的に設計して、自社データセンターのサーバーに導入、活用しており、最新3世代はAlphaChipで設計されている(図3)。AIがAIチップを設計するというシンギュラリティの入り口を想起させる状況が、すでに現出しているのである。AlphaChipは、TPU以外にも、Google製のArmベースの汎用データセンターCPU「Axion Processors」など他の独自チップの設計にも適用している。

既にAlphaChipをデータセンター用AIチップの設計に適用 既にAlphaChipをデータセンター用AIチップの設計に適用
[図3]既にAlphaChipをデータセンター用AIチップの設計に適用
AlphaChipを利用して設計したGoogleの第6世代AIチップ「Trillium」(左)、独自AIチップを導入したGoogleのデータセンター(右)
出典:DeepMind

TPUの設計では、まずAlphaChipで、オンチップおよびチップ間ネットワーク・ブロック、メモリー・コントローラ、データ転送バッファなど、旧世代のさまざまなチップ・ブロックの設計を練習し、その後、設計対象のTPUブロックに適用して、高品質のレイアウトを生成できるように育てている。第6世代TPUである「Trillium」では、AlphaChipが25のブロックを配置した。設計者による設計結果に比べて、配線長を6.2%削減し、チップの性能向上と電力効率の改善が実現できたという。

さらに、Google以外でもAlphaChipを製品チップの設計に適用する半導体メーカーも出てきた。スマートフォン用など多様なSoCを製品化しているファブレス半導体メーカーであるMediaTek(台湾)などだ。MediaTekでは、Samsung(韓国)のスマートフォン向けのDimensity Flagship 5Gチップの設計にAlphaChipの技術を適用した。

AlphaChipに触発されて、EDAへのAI導入が活発化

一般に半導体設計と一括りにされて呼ばれている業務は、実は多くの工程で成り立っている。抽象的な設計目標を起点として、機能設計、論理設計、配置・配線、タイミング最適化など多くの工程を経てチップを設計しているのである。近年では、複数チップを3D集積するための後工程に関わる設計や、製造時の歩留まりを高レベルで維持するための設計と製造間での擦り合わせ最適化なども実施する必要が出てきている。つまり、チップ自体が大規模化・複雑化していくのと同時に、こうした新たな設計工程の追加と全体最適化が求められるのだ。このため、半導体設計の業務は、ますます人の手だけでは行えない状況になってきている。

現時点でのAlphaChipは、チップ設計の全業務のうち、配置・配線の部分に属する作業の一部の自動化・最適化を推し進めているにすぎず、設計業務全体が自動化されたわけではない。しかし、AlphaChipによる目覚ましい成果に触発されて、そのほかの設計工程においても、AIを利用した自動化・効率化技術が活発に開発・実用化されるようになった。すでにアメリカの大手EDAベンダーであるSynopsysやCadence Design Systems、Siemens Digital Industries Softwareなどが、積極的に強化学習などの高度なAI技術を導入している。チップ設計のより多くの部分での自動化・最適化を、AIを活用して目指す潮流が明らかに生まれていると言えそうだ。

こうした設計技術の変革を背景にして、半導体メーカーにとって、チップ設計へのAI活用は商品価値を大きく左右する要因になりつつある。既に、NVIDIAやQualcomm、Intelなど、アメリカの大手半導体メーカー各社は、ほぼ例外なく、競うように製品設計でAIを活用し始めている。日本でもルネサスエレクトロニクスやソシオネクストなどが、AI活用に積極的に取り組み、設計効率の向上と、これまで以上に高いレベルでの性能・消費電力・チップ面積(performance、power、area:PPA)の改善を目指すようになった。

AI自動設計による独自チップ開発で応用システムの競争力を強化

半導体設計でのAI活用の効果を享受するのは、NVIDIAなどのような半導体メーカーだけではない。むしろ、これまで自らはチップ設計をしてこなかった半導体ユーザーが、チップ設計に関与できるようになってきている点こそが、AI活用の効果でもたらされるイノベーションの核心であると言える。

ビッグテック各社は例外なく独自半導体チップを自社設計している ビッグテック各社は例外なく独自半導体チップを自社設計している
[図4]ビッグテック各社は例外なく独自半導体チップを自社設計している
Amazon(アメリカ)の独自AIチップ「Trainium3」(左)とMicrosoft(アメリカ)の独自AIチップ「Maia 100」(右)
出典:Amazon、Microsoft

現在、IT企業やスマートフォン・メーカー、自動車メーカーなど多くの大口半導体ユーザーは、市場での自社製品の競争力を高めるために独自仕様の半導体チップの開発に注力するようになった(図4)。Googleが自社のデータセンターで利用するAIチップをAlphaChipで設計していることは、その典型である。

アメリカのGAFAM(Google、Apple、Meta〈旧Facebook〉、Amazon、Microsoft)や中国のBATH(Baidu、Alibaba、Tencent、Huawei)などのビッグテックと呼ばれるIT企業は、例外なく、サーバーや端末向けの半導体チップを自社設計している。自動車業界でも、Tesla(アメリカ)や、トヨタ自動車とデンソーの半導体開発子会社であるミライズ テクノロジーズなどが、自動運転や電動化の進展を見据えた独自半導体チップの開発を推し進めている。AI活用によって技術的ハードルが下がることで、チップ設計に新規参入する、これら大口半導体ユーザーの取り組みが加速されることだろう。

また、ビッグテック以外の機器メーカーが半導体設計に取り組む可能性もある。2000年代以前には、多くの電子機器メーカーが、ASIC(application specific Integrated circuit)と呼ぶセミカスタム半導体チップを独自開発して自社製品の競争力強化に活用していた。しかし、半導体チップ自体が高度化するにつれて、ASICの設計と製造に要するコストが増大したため、2000年代以降は、標準プロセッサ上で動作させるソフトウェアを独自開発することで、システム性能を強化する開発スタイルへと移行していった。その結果、電子機器メーカーの開発現場から、チップ設計の知見とスキルが失われていった。

現時点でも、最先端チップの製造コストは巨額なままだ。ただし、最先端でなくても設計次第でシステム中のハードウェアを差異化する余地は十分ある。一般に、同じ機能を実現するのならば、ソフトウェアで実現するよりも、ハードウェアで実現した方が、性能も高く消費電力も低いシステムが出来上がる。設計業務のコストを削減できれば、独自開発に踏み切ることに一定の合理性が出てくる。

日本では、最先端チップを受託製造するビジネスの提供を目指すラピダスや、すでに新工場での量産を開始したTSMCの生産子会社であるJASMに代表されるように、半導体チップの生産能力が急増する方向へと向かっており、その生産能力を活用することによる産業競争力の強化が期待されている。ただし、そこで製造するチップを設計する企業が不在なままでは、競争力など高まりようがないのは自明である。日本の機器メーカーの開発現場から半導体チップ設計の知見とスキルが失われてから久しい今、AIを活用したチップ設計の重要性は、否が応にも高まっていると言えよう。

Writer

伊藤 元昭(いとう もとあき)

株式会社エンライト 代表

富士通の技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、日経BP社と三菱商事の合弁シンクタンクであるテクノアソシエーツのコンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動、日経BP社 技術情報グループの広告部門の広告プロデューサとして4年間のマーケティング支援活動を経験。

2014年に独立して株式会社エンライトを設立した。同社では、技術の価値を、狙った相手に、的確に伝えるための方法を考え、実践する技術マーケティングに特化した支援サービスを、技術系企業を中心に提供している。

URL: http://www.enlight-inc.co.jp/

あわせて読みたい

Science Report

新着記事

よく読まれている記事

Loading...
Loading...