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自然科学の研究や工業製品の開発において、シミュレーション技術は、モノの状態や、そこで起きている現象を理解するための手法として、なくてはならないツールだ(図1)。もちろん、現物を利用した実験や試作・検証による理解が重要なことは言うまでもない。それでも、シミュレーションを活用すれば、現物で確かめる前に、迅速かつ低コストで多様な検証条件を絞り込むことができる。こうしたシミュレーションの活用メリットは広く認知され、現在では、イベント開催時の人流や株価の動きなど、社会現象を見通す際にも利用されるようになった。
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ただし、シミュレーションを実施するには、自然現象や社会現象を再現する精緻なデジタルモデルを構築し、高性能なコンピュータ上でCAE(Computer Aided Engineering)を活用する必要がある。それには相応の時間・労力・専門的知識・コストを要するため、シミュレーション実施時の敷居の高さが要因となって、有用であると知られながら、シミュレーションの適用先が限定されていた面があった。
こうした課題を解決する手段として、「サロゲートモデル(代理モデル)」と呼ばれる新たなアプローチに基づくシミュレーション技術の活用に注目が集まっている。シミュレーション活用に伴う敷居の高さを解消し、なおかつ定式化できない複雑な現象も精緻にシミュレーションできる可能性を秘めた解析技術である。
サロゲートモデルとは、ニューラルネットワークなどを活用することで、これまでCAE活用時に不可欠だった精緻で複雑なデジタルモデルの挙動を近似し、物理シミュレーションや数値解析の作業を代替する機械学習技術のことを指す。
解析にサロゲートモデルを活用するメリットは多く、得られる効果も絶大である(図2)。
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まず、迅速かつ効率的に結果を予測できるようになる。サロゲートモデルを活用すれば、CAEを利用して数日から数週間要していた解析を、わずか1秒以下で行うことができる潜在能力がある。さらに、解析に要するコストも劇的に削減し、解析時に必要な専門的な知見やスキルの面でも、ニューラルネットワークでのモデル構築さえ終えておけば、解析作業自体はCAEよりも敷居が低い傾向がある。このため、従来は大企業や大学、公的研究機関だけで実施できたシミュレーションを、中小企業でも比較的気軽に実施できるようになる可能性もある。
また、一般にディープラーニングのアルゴリズムは、非線形な現象や高次元での相互作用を伴う複雑な現象を解析する際に絶大な効果を発揮する。こうした解析は、従来の統計的手法で解析することが困難であり、数値シミュレーションを適用した場合には莫大な演算能力が必要になっていた。サロゲートモデルならば、こうした現象の解析を比較的簡単に扱うことができる。
近年、機械学習の発展版であるディープラーニングの技術が進化したことによって、3D CADなどで描いた3Dモデルを対象にして、学習・推論ができるようになった。現実世界の中にあるあらゆるモノを3Dモデル化しておけば、それをサロゲートモデルの構築のベースにして挙動を予測するために利用できる。
例えば、機械部品や装置・設備などの工業製品の開発に適用すれば、狙い通りの機能・特徴を持つ製品の設計や形状の最適化などに活用可能である。製品開発にサロゲートモデルによる解析を導入すれば、設計の初期段階での迅速かつより多くの可能性を気軽に試行錯誤して評価できるため、より高度な設計成果物の機能・性能を追求可能になる。既に、自動車開発での空気抵抗のシミュレーションや衝突安全性の予測、製造業の精算ラインでの品質管理や生産性の向上、バッテリー開発での熱暴走解析、競技用スポーツ用品の最適設計など、さまざまな工業製品の開発と活用に利用されている。今後、こうした応用が、さらに拡大していくと見られている。
解析手段として、さまざまな活用メリットがあるサロゲートモデルであるが、一方で、従来のCAEを活用した解析に比べた際のデメリットもある(図3)。
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サロゲートモデルはニューラルネットを学習させて構築する。このため、精度の高いモデルを得るためには、質の高い学習データを大量に用意し、相応の労力を費やして学習させておく必要がある。さらに、基本的に対象物や起きる現象を簡略化したモデルであるため、従来のCAEを利用した解析よりも精度が低くなる傾向がある。解析の精度は、学習したデータの範囲内のみで高い。加えて、学習済のニューラルネットワークのモデルは、CAEで扱うモデルと異なり、得られた解析結果の根拠が不明なブラックボックスとなる。このため、製品設計などでは、解析結果を解釈して解決策を策定するのが難しい面がある。
ただし、近年では、自動機械学習の支援ツールが開発されたことによって、サロゲートモデルを作成する作業を大幅に効率化できるようになってきた。最適なアルゴリズムやパラメーターの選択が自動化されたことで、より高精度なモデルを短時間で構築可能になりつつある。
さらに、サロゲートモデル内部の推論プロセスを可視化し、得られた解析結果の解釈を支援する手法が開発されてきている。これによって、サロゲートモデルの信頼性が高まり、より広範な応用が可能になりつつある。
サロゲートモデルは、デジタルツインの応用領域を拡大する技術としても期待されている。デジタルツインは、日本政府が目指している未来社会のコンセプト「Society 5.0」の基盤となる「Cyber Physical System(CPS)」の基盤技術にもなっており、社会活動の効率化と高付加価値化を後押しする高度な「デジタルトランスフォーメーション(DX)」を実現するために不可欠な技術である。
デジタルツインとは、現実世界で利用しているモノの形状・機能・特徴などを仮想世界に再現して、未来予測などに利用する技術である。まず対象物をデジタルモデル化しておき、稼働している対象物からセンサーなどで挙動や状態のデータを計測してモデルに入力することで、現実世界と同じ状態・状況を再現したモデルを仮想世界に作る。仮想世界では、現実ではリスクがあって試せない無茶な稼働条件や時間の進め方などを自在に操ることができるため、最適な稼働条件を模索したり、対象物の未来の状態を予測したりすることができる。既に、工場に置く製造装置の生産性を高レベルで維持したり、航空機のジェットエンジンなどで故障や消耗品の交換時期を予測して事前準備を進めておいたりといった用途で利用されている。
現実世界の施設![]() |
仮想世界でデジタルツイン化した施設![]() |
サロゲートモデルによる解析で |
一般に、デジタルツインは、CAEによる数値シミュレーションを実施して多様な解析を行なっている。ただし、必ずしも精緻な解析を行う必要のない利用シーンでは、サロゲートモデルを適用することで、多くのメリットが得られる(図4)。まず、計算時間を大幅に短縮できるため、リアルタイムに近い形での解析、対象物の制御が可能になる。さらに、現実世界の中で頻発する、多様な現象が複雑に絡み合って発生する状況の多面的な解析が可能になる。
既にデジタルツインへのサロゲートモデルの適用例が、さまざまな分野で見られるようになった。産業用ロボットの設計を最適化したり、故障テストや予知保全などに適用したりする例がある。その他にも、建物内で消費するエネルギーの効率改善や製造ラインの稼働条件を最適化した例もある。
サロゲートモデルを活用した解析とCAEを活用した解析は、今後、目的に応じて使い分けていくことになるだろう。
解析時間や投入する解析コストに制約がある場合や、現実世界で起きている現象をリアルタイムで解析して得られる結果を迅速に活用したい場合には、サロゲートモデルを積極的に活用していくことになりそうだ。一方で、精度の高い解析や、得られる結果の精緻な解釈が求められる場合には、CAEの活用の方が向いている。
今後は、あらかじめCAEで基本的な計算を実行して解析対象で起きている現象の全体像を把握しておき、サロゲートモデルを使ったリアルタイムでのデジタルツインの解析結果を利用するといった、ハイブリッドな解析が広く実践されていく可能性もある。さらに、解析に利用する特定の物理法則などを織り込んだサロゲートモデルの開発が進められており、将来的には、こうしたハイブリッドな解析の効率化が進みそうだ。
伊藤 元昭(いとう もとあき)
株式会社エンライト 代表
富士通の技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、日経BP社と三菱商事の合弁シンクタンクであるテクノアソシエーツのコンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動、日経BP社 技術情報グループの広告部門の広告プロデューサとして4年間のマーケティング支援活動を経験。
2014年に独立して株式会社エンライトを設立した。同社では、技術の価値を、狙った相手に、的確に伝えるための方法を考え、実践する技術マーケティングに特化した支援サービスを、技術系企業を中心に提供している。