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Science Report
サイエンス リポート

フィジカルAIの定義と実現に向けたコア・テクノロジーを解説

文/伊藤 元昭
2026.02.11
フィジカルAIの定義と実現に向けたコア・テクノロジーを解説

AIの活用範囲が広がり、その能力が急激に高まった。私たちの生活・ビジネス・社会活動は、あらゆる面が劇的に変わりつつある。人間とAIが共生する未来がやってきたことを実感している人は多いのではないか。ディープラーニングから生成AIへと進化したAIは、今後も、AGI(汎用人工知能)やASI(人工超知能)へとさらなる進化を遂げ、そのインパクトが、さらに増大・拡大していくことだろう。ただし、これまでのAIの活動領域は、仮想空間(デジタル世界)の中だけに限定されていた。AGIやASIが登場しても、この点は変わらない。私たちが生きる現実空間(フィジカル世界)では、人・モノ・環境の不確定な状態や想定外の現象・出来事が次々と起きる。これまでのAIの進化軸の中では、こうした現実空間を認識・理解し、複雑な行動を自律的に実行することはできなかった。このため、AIが生み出した解析結果や生成物を現実空間の中で活用する際には、別途、人間の認知能力や臨機応変に柔軟対応する運動能力を介する必要があった。その一方で、すでに自動運転車のように、デジタル世界でのAIの威力をフィジカル世界へと拡張する取り組みが出てきている。高度な状況判断能力を持つAIに、目と耳となるカメラやセンサー、手や足となる走行・操舵・停止の自動制御機構を付与することだ。そして今、自動車以外の領域でも、同様に、AIに“身体性”を付与して、フィジカル世界を“見て”、状況を“理解し”、判断して“行動”までつなげる、現場志向のAIへと進化させるための技術開発と応用開拓が加速してきた。AGIやASIへと知的能力を高度化していく進化軸とは方向性が異なる、新たなAIの進化軸、「フィジカルAI(学術的にはエンボディドAI(Embodied AI:身体性AI)とも呼ばれる)」である(図1)。

AIに“身体性”を付与してAI活用の可能性を広げる取り組みが加速している
[図1]AIに“身体性”を付与してAI活用の可能性を広げる取り組みが加速している
出典:NVIDIA CEO Jensen Huang Keynote at CES 2025
https://www.youtube.com/watch?v=k82RwXqZHY8

フィジカルAIの定義とVUCAな環境の中での自律活動に向けたその必要性

フィジカルAIとは、最先端のAIモデルにセンサー(視覚、触覚、力覚)とアクチュエーター(モーター、駆動系)を統合することで、複雑で不確実な現実空間を「知覚」し、状況を「推論」し、そして物理的に「行動」する能力を持つAIのことだ(図2)。

フィジカルAIとは
[図2]フィジカルAIとは
作成:伊藤元昭(Googleの生成AI「Nano Banana Pro」を利用)

フィジカルAIは、ロボットなどを制御する際の頭脳として利用することで、単なる自動化とは一線を画する知的能力を実現できる。従来のロボットや自動化機械は、あらかじめ指定された手順・軌道・条件に沿って、プログラムされた通りに動くだけの存在だった。これに対し、フィジカルAI搭載ロボットは、目的達成に向けて、行うべき行動を自ら考え、環境の状況に応じて手順や挙動を調整しながら、作業を自律実行することが可能だ。

生成AIの登場によって、テキストや画像、プログラムコードといった情報の生成コストは劇的に引き下げられた。しかし、製造業や物流、建設、介護といった物理的な実体を扱う産業には、いかに高度で大規模な言語モデルであっても解決できない課題が山積している。フィジカル世界は、デジタル世界の中のように清潔でも規則正しくもない。しかも、そこにあるモノも、同じように見えても大なり小なりの個体差・状態変化がある。摩擦、重力、光の反射、予期せぬ障害物、そして予測不能な人間の動きに満ちているからだ。現代社会の時代観は「VUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)の時代」と表現されるようになったが、そもそも現実空間自体がVUCAな環境そのものだと言える。

では、生成AIに代表される従来のデジタルAIとフィジカルAIでは、AIの能力として、どのような違いがあるのだろうか。ChatGPTなどの大規模言語モデル(LLM)は、インターネット上のテキストデータから学習しているため、物理法則や空間的概念を「知識」としては持っているが、「体験」としては持っていないため行動に結びつけることができない。これを「シンボル・グラウンディング(Grounding:接地)の問題」と呼ぶ。フィジカルAIは、LLMが持つ意味理解能力(セマンティクス)を、ロボットのセンサーデータ(視覚・触覚など)と結びつけながら、言葉の意味を物理的な行動へと翻訳することができる。

VUCAな環境の中で、デジタル世界の中で見せつけたAIの威力を発揮することを目的として研究開発されているのがフィジカルAIである。その実現と活用領域の拡大によって私たちの生活・ビジネス・社会活動に及ぶインパクトは、現状の生成AIとは比較にならないほど大きくなることが確実だ。

従来の産業用ロボットは、厳密に構造化された環境の中だけで機能していた。部品はミリ単位で正確な位置に置かれる必要があり、照明条件が変わったり、対象物が少しでもずれていたりすれば、エラー停止してしまう。正しく機能させるためには、想定される全ての動作を人間が事前に教示(ティーチング)する必要があった。これに対してフィジカルAI搭載ロボットは、非構造化環境に適応することが可能になる。カメラやLiDAR、触覚センサーを通じて環境をリアルタイムに把握し、部品が乱雑に置かれていても、あるいは作業中に人が介入しても、その場の状況に応じて軌道を再計算し、タスクを遂行できる。

フィジカルAI実現に向けたコア・テクノロジーの2本柱

フィジカルAIの急速な進化は、主に2つの技術的ブレイクスルーによって支えられている(図3)。

フィジカルAIの進化を支える2つの技術的ブレイクスルー
[図3]フィジカルAIの進化を支える2つの技術的ブレイクスルー
作成:伊藤元昭(Googleの生成AI「Nano Banana Pro」を利用)

ひとつは、ロボティクス向け基盤モデルであるVLA(Vision-Language-Action)モデルである。基盤モデルとは、大量のデータで事前学習された、様々な用途のAIモデルを作り出すために使い回せる土台となる汎用AIモデルのことだ。生成AIで、その一種である大規模言語モデル(LLM)が成功したことを受け、ロボット工学の世界においても、基盤モデルの構築が進められるようになった。その中心となるのがVLAモデルである。その実態は、視覚情報(Vision)と言語情報(Language)を入力し、ロボットの具体的な行動(Action)を出力するニューラルネットワークだ。

代表的なVLAモデルとして、Google DeepMind(英国)の「RT-2(Robotic Transformer 2)」とNVIDIA(米国)の「Project GR00T」がある。 RT-2は、Web上の画像とテキストで学習した知識をロボット制御に応用するもの。一方、Project GR00Tは、ヒューマノイド向けの汎用基盤モデルであり、模倣学習(人間のデモンストレーション)と強化学習(シミュレーションデータ)を組み合わせて学習する。

もうひとつは、世界モデルを活用した「Sim2Real(Simulation to Reality)」技術である。物理世界でのデータ収集はコストがかかり、危険も伴う。このボトルネックを解消するのがSim2Real技術である。世界モデルとは、AIモデルとして表現した現実世界の簡易シミュレーターのこと。ロボットなどの動作環境から収集した視覚情報などから、次に何が起こるのか予測することで、実際に動く前に行動の結果を脳内でシミュレーションし、最適な計画を立てるために利用する。これによって、未知の環境下でも試行錯誤なしで適切な行動が取れるようになる。そして、シミュレーション結果に基づく現実世界で行うべき行動に橋渡しする技術、言わばAI版のデジタルツインをSim2Realと呼んでいる。

Sim2Realに向けた代表的プラットフォームに、NVIDIAの「Isaac Sim」や「Omniverse」がある。これらでは、重力、摩擦、物体の弾性、光の反射などを、物理法則に基づいて忠実に再現できる。このデジタルツインの一種である環境内で、ロボットは何百万回もの試行錯誤(強化学習)を高速に行うことが可能だ。そして、そこで獲得したスキルを現実のロボットに制御コードとして転送する。

フィジカルAIの高度化で広がる応用とインパクト

生成AIが実用化し、活用領域が拡大したことで、ホワイトカラー職種の高効率化もしくは代替、高付加価値化が急速に進んできている。一方、フィジカルAIが実用化し、活用領域が拡大すれば、ブルーカラー職種の業務、特に職人技やキメ細かさや臨機応変な対応、ホスピタリティが要求される高度人材が担っていた業務の高効率化や代替、高付加価値化が進む可能性がある(図4)。特に日本のような熟練労働者不足に悩む国において、極めて大きなインパクトを生み出すとみられる。ここでは、いくつかの業界で期待されている応用とそのインパクトを紹介する。

フィジカルAIの実用化による社会的インパクト
[図4]フィジカルAIの実用化による社会的インパクト
作成:伊藤元昭(Googleの生成AI「Nano Banana Pro」を利用)

まずは、製造業や物流業。日本の製造業や物流業の現場では、人手不足が顕在化してきており、最も基本的かつ頻繁に発生する作業である「モノを取って所定の場所に置く(いわゆるピック・アンド・プレース)」といった作業が、生産性を低下させる要因になっている。一見、単純作業で自動化は簡単なように思えるが、持ち上げるモノの形状・位置などに応じた柔軟対応が必要なため、従来の自動化手段を適用しにくかった。このため、労働集約的な作業となっていた。

適用先は、単純作業だけではない。製造業では、少子高齢化による高度な技能を持つ人材の不足が顕在化してきている。次世代人材に技術継承できないまま、ベテラン技能者が退職して、事業自体が存亡の危機に瀕する例も多い。労働集約的な作業の自律化手段として、また高度な技能の継承手段として、フィジカルAI搭載ロボットの活用が期待されている。こうした新時代のロボットの導入がより広範な製造ラインへと広がり、工場の生産ラインを「少品種多量生産」向けの硬直的ラインから、「変種変量生産」に対応可能な柔軟なセルへと変貌させることで、顧客の要求に応じた仕様の製品を高効率で作り分けるマスカスタマイゼーションを実現。製造業のビジネスを一変させる可能性がある。

また、農業・建設・医療・介護・小売といった、多様な対象や環境に合わせた作業やサービス提供が求められる業種での活用も、フィジカルAIの活用が期待される分野である。農業と建設における現場業務は、一見同じ作業の繰り返しをしているようで、作業の質と効率を高める上で、現場でのキメ細かな微調整・個別対応が求められる場合が多い。例えば、「米作り名人」と呼ばれるような篤農家は、苗一本一本の生育状況や田の状況を見定めて、個別に水温管理や除草などの世話を行っている。フィジカルAI搭載のロボットならば、こうした個別対応の自動化・自律化が可能になる。しかも、人手に頼ることがなくなるため、24時間365日、リアルタイムで臨機応変の作業を行うことができるようになる。

一方、医療・介護・小売などは、状態も要求も異なる人を対象にしてサービスを提供することになる。これらの業種は、人手で対応していた業種の代表例であり、人手作業であるが故のサービス品質の不均一、非効率、サービス提供の制限が生じやすかった。このため、こうした業種でのサービス提供は、フィジカルAIの活用が最も期待される分野であると言える。

例えば、介護にフィジカルAI搭載ロボットで対応すれば、介護者を重労働から解放できるだけでなく、医療データベース上の個人データを参照しながら、最適な介護対応ができるようになる可能性がある。介護には人のぬくもりのあるサービスが重要と考える向きもあるかもしれない。しかし実際には、被介護者は、介護してくれる人に気兼ねしてちょっとした補助を頼みにくいと考えることが多いという。高齢化社会では、被介護者が人手を介さずに買い物などに出かける機会も増えることだろう。フィジカルAIはこうした近未来で求められる技術となる。医療や小売の現場でも、同様に人手に頼るが故にサービス提供機会が制限される状況は多い。

フィジカルAIの進化は始まったばかり、今後の進化の方向性

フィジカルAIの進化は始まったばかりだ。ここからは、今後の技術進化の方向性を紹介する(図5)。

フィジカルAIの進化ロードマップ
[図5]フィジカルAIの進化ロードマップ
作成:伊藤元昭(Googleの生成AI「Nano Banana Pro」を利用)

まず、フィジカルAI実現に欠かせない2つの技術的ブレイクスルー、VLAモデルとSim2Real技術の双方で、さらなる高度化による、汎用性と精度の向上が求められてくる。初期のフィジカルAIでは、生成AIと同様のハルシネーション(幻覚・妄想に基づく誤出力)が多く発生する可能性がある。フィジカル世界はVUCAな環境であるため、なおさらだ。ロボットなどの誤った動きとなって、安全性や汎用性が低下すると甚大な被害・損害につながってしまうかもしれない。こうした課題を解消するため、VLAモデルでは、言語、視覚、動作を統合した大規模モデルの進化や、ロボットが多様な物理世界のタスクに対応する能力の向上などが進められている。一方、Sim2Real技術では、仮想世界で学習して実世界で検証する一連の流れを高速化し、さらにはシミュレーションと現実のギャップを埋める研究の強化が進められている。

また、練度の高い人の“器用さ”の壁を越えるための技術開発も進められている。指先・手首・力加減の制御は、製造業などの現場に適用する際の壁となる。ここでは、触覚センシングとそれによって実現するソフトロボティクス技術の進化が求められてくる。接触を伴う作業(組み立てや把持など)を行うロボットは、視覚だけでは周辺環境や作業対象物の状態を把握することは難しく、高度な触覚センサー情報の統合が不可欠になるからだ。

さらに、AIのエージェントが現実世界の中で学習しながら進化する能力、すなわち自律的に環境に適応する力を高める技術開発も進められている。現実世界の中で行動する中で経験した多様なデータを収集し、学習、シミュレーション、再展開の循環を回せば回すほど行動が熟練してくる。その実現には、センサー、アクチュエータ、リアルタイム推論、高速な学習ループの実現が不可欠になる。

1台のロボットだけでなく、複数のロボットが協調して効率的に行動する技術の開発・高度化も進められている。複数ロボット間で状況に応じて適材適所に分担行動する計画を立てて実行したり、1台のロボットで突発的事態が発生しても他のロボットで回避・補佐したりする技術の確立を目指している。さらに、人間と同じ空間で安全・的確・効率的に共存・協働する技術の開発も進められている。最新の研究では、人間の行動や意図を理解してリアルタイムに協力するような共同知能システムの提案も出てきている。

技術的な側面以外の課題もある。社会・経済活動、仕事の進め方、生活習慣などは、多くの作業・業務を人間が行うことを前提にして作られている。そして、法制度や組織体制、ビジネスモデルなども同様だ。現実世界の中でフィジカルAIを搭載したロボットなどの役割が大きくなるにつれて、社会・経済・仕事・生活のあり方を再定義する必要が出てくることだろう。すでに自動運転車の導入を見据えた道路交通法の改正などが進められるようになった。これからは、フィジカルAI搭載ロボットなどの活用を前提とした事故・損害の発生時の責任の所在、行為制限、プライバシー保護、説明責任などを規定する法制度の制定や、企業内でのガバナンス組織の設置、業務効率向上に向けた組織体制の再定義、さらには人がロボットに頼りすぎず最終決定を下す倫理・文化の醸成・教育などが進められることになるだろう。その他、ロボットで行う業務を対象にした損害保険など多様な新ビジネスも創出・拡大していく可能性が高い。

日本のロボット産業にとって、フィジカルAIは試練でもあり商機でもある

フィジカルAIは、AIを「デジタルの賢さ」から「現場で価値を生む賢さ」へと押し広げる潮流である。基盤モデル、シミュレーション(デジタルツイン)などの基礎技術が整ってきたことで、製造・物流・建設・農業・医療といった“現実世界の産業”における、適応力の高い業務の自律化を推進できるようになった。

活用範囲を広げていくための鍵は、AIモデルの性能はもとより、安全・運用・データ循環を含む総合設計となりそうだ。そこを乗り越えられれば、AI活用はデジタル空間内にとどまらず、現場の生産性・安全性・持続性を同時に押し上げ、生活と社会に大きなインパクトをもたらしていくはずだ。

日本は、センサー、モーター、減速機といった基幹部品で高いシェアを持つロボット産業に強みを持つ国である。フィジカルAIの潮流に乗り遅れると、現在の強みを喪失してしまう可能性がある。半面、適切に対応できれば、さらにビジネスが拡大し強みが拡張できる可能性もある。もちろんロボットの頭脳となるソフトウェアであるAIモデルの技術をリードすることは重要だ。しかし、最終的に現実世界で活動するためにはハードウェア(身体)が欠かせない。日本の勝ち筋は、高品質なハードウェアに、最先端のAIを統合し、現場オペレーションに落とし込む「インテグレーション力」にあるといえよう。

Writer

伊藤 元昭(いとう もとあき)

株式会社エンライト 代表

富士通の技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、日経BP社と三菱商事の合弁シンクタンクであるテクノアソシエーツのコンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動、日経BP社 技術情報グループの広告部門の広告プロデューサとして4年間のマーケティング支援活動を経験。

2014年に独立して株式会社エンライトを設立した。同社では、技術の価値を、狙った相手に、的確に伝えるための方法を考え、実践する技術マーケティングに特化した支援サービスを、技術系企業を中心に提供している。

URL: http://www.enlight-inc.co.jp/

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