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©NASA/Joel Kowsky
地球から約38万km先に広がる月世界に、人類が最後に足を踏み入れたのは1972年12月だった。米国が国の威信をかけて推し進めた「アポロ計画」。その最後のミッションとなった「アポロ17」の司令官ユージン・サーナン宇宙飛行士は、月を離れる際に次の言葉を残した。
「いま、月面から最後の一歩を踏み出し、故郷へ帰ろうとしています。しばらくの間――あまり長くならないと信じていますが――人がここを訪れることはないでしょう。(中略)我々は来たときと同じように、ここタウラス・リトロー地域(着陸地点)を去ります。そして神の御心があれば、全人類への平和と希望を携えて、我々はまたここに戻ってくるでしょう」。
この言葉は、月からの別れの挨拶であり、未来へ向けた誓いでもあった。それから約半世紀を経たいま、米国を中心に国際協力で進む新たな有人月探査計画「アルテミス計画(Artemis Program)」が動き出している。そして、早ければこの4月にも、有人飛行ミッション「アルテミスII」が実施されようとしている。アルテミス計画が目指すのは、単なるアポロ計画の再演ではない。世界各国と民間企業が力を合わせ、月に滞在し、そして火星へ挑む――。そんな宇宙大航海時代の実現である。
人類は古来、月に特別な想いを抱いてきた。夜空でひときわ目を引く月は、闇夜の道を照らし、人々の歩みを支えてきた。満ち欠けは時間の流れを目に見える形で示し、暦や祭礼の基準となり、農耕の時期とも結びついた。さらに月は、手の届かない場所への憧れを呼び起こす存在でもあり、孤独、恋慕、再生といった感情を託されながら、神話や物語、歌の舞台ともなった。
このロマンは、望遠鏡の時代に入ると質を変える。17世紀初頭、天文学者ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)は、月面が完全に平坦ではなく、山や谷をもつ複雑な地形であることを示した。以来、クレーターや山脈に名称が与えられ、写真観測や分光観測が進むにつれて、月は岩石天体としての姿を徐々に現していった。
観測が進んでも、月は長らく人間の手の届かない世界であり続けた。だが、20世紀に入り、冷戦下の宇宙開発競争が転機となる。ソヴィエト連邦(ソ連)と米国が月探査機を矢継ぎ早に打ち上げ、まずは月の近くを通過して観測し、続いて月のまわりを回りながら観測し、やがて月面への着陸に至った。
その集大成が米国の「アポロ計画」である。巨大ロケット「サターンV」とアポロ宇宙船によって、宇宙飛行士が月へ行き、帰ってくるためのシステムが実現した。そして1969年7月、「アポロ11」が月面着陸に成功し、船長のニール・アームストロングが月面に大きな一歩を刻んだ。人類が月に抱き続けたロマンは、この瞬間、科学・技術によって現実の足跡となったのである。
だが、1972年の「アポロ17」を最後に、有人月探査は途絶えた。最大の理由は、月に行くこと自体が冷戦下の国家目標として設定された「政治的な課題」であり、その達成とともに優先順位が急速に下がったことにある。また、国内外で深刻化していたさまざまな政策課題への対応を迫られたことも一因である。
さらに、コスト面も大きな障壁となった。アポロ計画は、月面着陸という目標を短期で達成するには有効だった一方、継続するには予算規模が過大だった。つまり、「続ける必然性」と「続けられる仕組み」を同時に失ったのである。
月へ戻る試みが一度もなかったわけではない。2000年代にはNASAが「コンステレーション計画」を立ち上げ、月への再訪を目指したが、ロケットや宇宙船の開発遅延といった技術的要因に加え、政権交代に伴う政治的事情も重なり、実現には至らなかった。
こうした中、2017年にトランプ大統領によって、米国はふたたび有人月探査を行う方針を明確にした。2019年には「2024年までの有人月着陸」という期限を掲げて計画を加速させ、この流れがのちに「アルテミス計画」として具体化していく。
アルテミスは、ギリシア神話に登場する月の女神の名から取られた。ちなみに、アポロ計画の名の由来となったアポロ(ギリシア語ではアポロン)とアルテミスは双子の関係にある。
アルテミス計画がふたたび月を目指す背景には、月が単なる到達点ではなく、人類の活動の舞台になり得るという見方が広がったことがある。
その背景には科学的な発見がある。1990年代以降、無人の月探査機が得たデータから、月の極域にある日の光が当たらない領域「永久影」に、水が氷として存在することを示唆する証拠が積み重なってきた。水は飲料として利用でき、さらに電気分解で酸素と水素に分ければ、呼吸に必要な酸素やロケット燃料にも転用できる。つまり、水を地球から持ち込まず月で現地調達できれば、月面に滞在し続けるハードルは大きく下がる。
同時に、中国の存在もある。中国は近年、月探査機を次々に打ち上げ、月面走行に成功したほか、月の土や岩石の試料を採取して地球へ持ち帰る(サンプルリターン)などの成果を挙げている。さらに有人宇宙開発にも力を入れ、独自の宇宙ステーションを運用して技術や知見を積み重ねながら、2030年を目標に有人月着陸を目指している。こうした動きが、月探査にふたたび競争の色合いを帯びさせている。
アルテミス計画で重要なのは、アポロ計画を単に再演しようとしているのではなく、「なぜ途絶えたのか」という経験と反省を織り込もうとしている点にある。すなわち「月へ行く技術」だけではなく、「月へ行き続ける仕組み」を築こうとしている。
その仕組みのひとつが、月への輸送や補給を継続できる体制の整備である。アポロ計画のように、ミッションごとにロケットや宇宙船を使い捨てる方式は、コストがかさみ、政治や予算の揺れの影響も受けやすい。そこで、アルテミス計画では、月を回る宇宙ステーション「ゲートウェイ」を建設し、再使用できる月着陸船などの開発も進めながら、まるで積み木のように必要なインフラや技術を組み上げていく方法を採っている。
もうひとつが国際協力である。アポロ計画は米国のみで実施されたが、アルテミス計画では米国を中心に欧州、カナダ、日本などが役割を分担する。たとえば日本は、ゲートウェイで人が暮らすために必要不可欠な環境制御・生命維持システムや、宇宙飛行士が乗って月面を走行するための月面車の開発を担当している。
もうひとつの仕組みが、民間企業の活用である。アポロ計画では、ロケットや宇宙船を国(NASA)が運用していたが、近年では民間企業が低コストかつ高性能なロケットや宇宙船を開発し、運用できるようになった。そこで、アルテミス計画では、根幹となる部分はNASAが担いつつ、宇宙飛行士を月面に降ろす有人月着陸船(HLS)は、スペースXやブルー・オリジンといった民間企業がNASAの契約のもとで開発している。さらに、無人の月面輸送でも民間企業の商業サービスを活用し、トータルでのコストを抑える方針を採っている。
こうした目的や仕組みを取り入れた結果、アルテミス計画はアポロ計画とは大きく異なる。アポロ計画では、1回あたりのミッション期間は長くとも2週間程度で、1972年のアポロ17を最後に打ち切られた。一方アルテミス計画は、宇宙飛行士が交代しながら月面を訪れ、持続的に探査することを目指している。
さらに、月を足がかりに火星の有人探査も目指している。有人火星探査を実現するには、技術面だけではなく、そもそも人間が火星へ行けるのかという医学面の検証まで、課題が多い。たとえば火星往復は最短でも2~3年かかるが、人間が肉体的、精神的にそれだけの飛行に耐えられるかはわかっていない。
そこで、アルテミス計画による月探査を通じて、有人火星探査の実現にあたって何が課題となるのか、解決にどのような技術が必要になるのかを明らかにし、必要な技術開発や実証を進めることが計画されている。
アルテミス計画の実現の鍵となるのが、巨大ロケット「スペース・ローンチ・システム(SLS、Space Launch System)」と、有人宇宙船「オライオン(Orion)」である。
SLSは直径8.4m、全長98mで、おおよそ30階建てのビルに相当する。月へ向かう軌道へ約27tの打ち上げ能力があり、NASAが「Mega Moon Rocket(巨大月ロケット)」と謳うように、現役のロケットの中では世界最大かつ最強の性能をもつ。
機体は巨大なオレンジ色の第1段機体を中心に、その両脇に白く細長いブースターを備え、先端には第2段機体とオライオンが搭載されている。第1段機体やブースターには、スペースシャトルの部品や技術を活用している。
オライオンは、直径約5m、全長約8mで、宇宙飛行士が乗るクルー・モジュールと、燃料やエンジン、太陽電池などを備えるサービス・モジュールから構成されている。外見はアポロ宇宙船に似ているが、一回りほど大きい。
オライオンの開発は2005年から始まり、計画や設計の変更など紆余曲折を経て、2014年12月にクルー・モジュールの試験を目的とした無人ミッション「エクスプロレーション・フライト・テスト1(EFT-1)」が行われた。打ち上げ後、地球のまわりを2周したのち帰還し、クルー・モジュールや搭載機器、耐熱シールドなどの性能を確認した。
その後も開発や改良を経て、2022年11月16日に、アルテミス計画の最初のミッションである「アルテミスI」が実施された。SLSとオライオンを組み合わせて初めて打ち上げ、約25日間の飛行後、12月11日に太平洋へ着水して回収された。これにより、月への飛行、月周辺での運用、地球帰還までの一連の技術や運用性を実証した。
ミッションを通じて得られたデータをもとに、初の有人飛行ミッションである「アルテミスII」に向け、開発や改良がさらに進められている。
アルテミスIIは、アルテミス計画として初めての有人飛行である。4人の宇宙飛行士が月近傍をフライバイ(接近・通過)し、地球へ帰還する。将来の有人月面探査の前に、地球と月の往復を、人が乗った機体で実証することが目的である。
アルテミスIIには、NASAのリード・ワイズマン宇宙飛行士、ヴィクター・グローヴァー宇宙飛行士、クリスティーナ・コック宇宙飛行士と、カナダ宇宙庁(CSA)のジェレミー・ハンセン宇宙飛行士の計4人が参加する。
オライオンには、搭乗する宇宙飛行士らによって、「インテグリティ(Integrity、誠実、高潔という意味)」と名付けられている。
現時点で、打ち上げは2026年4月以降に予定されている(2026年2月23日時点)。
オライオンを搭載したSLSは打ち上げ後、まず第1段(コア・ステージ)と第2段ロケットが分離され、第1段は大気圏へ再突入して燃え尽きる。続いて第2段ロケットの噴射によってオライオンは地球周回軌道へ投入され、さらに追加の噴射で高い高度の軌道へ移る。
この軌道上でオライオンは第2段ロケットから分離され、宇宙飛行士は生命維持システムなどの機能確認を進めつつ、また分離した第2段ロケットを目標に、将来のミッションで不可欠となるランデヴー(接近)技術の実証も行う。
飛行2日目、オライオンはロケットエンジンを噴射し、月へ向かう軌道へ入る。地球と月の往復には自由帰還軌道が用いられる。これは、月の重力で進行方向を曲げ、月の裏側を回り込むように飛行したのち、そのまま地球へ戻ることができる経路である。この軌道に入っていれば、途中で大きなトラブルが生じても、自然に地球へ帰還できるため、安全性が高い。
そして、徐々に月に近づいていき、打ち上げから6日目、オライオンは月フライバイを実施する。打ち上げ日によって変動するものの、月の裏側から約7400km〜1万300kmの距離を通過することが計画されている。月の裏側通過中は地球から見えなくなるため、地上との交信が途切れる時間帯が生じる。通信が回復するまでの沈黙は、予定のうちであっても緊張を伴う局面となるだろう。
月でUターンしたのち、オライオンは約4日かけて地球へ帰ってくる。宇宙飛行士が乗ったクルー・モジュールは、地球の大気圏に再突入し、灼熱に炙られたのち、パラシュートを開いて太平洋に着水する。打ち上げから帰還までのミッション期間は約10日間を予定している。
アルテミスIIが成功すれば、いよいよ2028年に予定している有人月着陸ミッション「アルテミスIII」に向けて、準備が加速することになる。
アルテミスIIIは、宇宙飛行士を月の南極域に送り、探査を行うことが目的である。4人の宇宙飛行士を乗せたオライオンは、月を回る軌道で、スペースXが開発する有人月着陸船「スターシップHLS(Human Landing System)」とドッキングする。そして、宇宙飛行士2人がHLSへ移り、月面に着陸して約1週間の活動を行う。
続くアルテミスIVの実施に先立ち、ゲートウェイの「PPE(電力・推進)」モジュールと「HALO(居住・ロジスティクス)」モジュールが打ち上げられ、月を回る軌道に入る。
アルテミスIVは、宇宙飛行士がゲートウェイを初めて利用するミッションとなる。まずゲートウェイに到着し、「I-Hab(国際居住棟)」モジュールを結合する。その後、宇宙飛行士2人がHLSに乗り換えて月面に降り、探査を行う。これにより、ゲートウェイという港を介した持続的な月探査が本格化する。NASAはアルテミスIVの打ち上げ時期を2028年9月以降としている。
その後も、アルテミスV、VI……と、探査は続く。その先のどこかで、日本人宇宙飛行士が月面に降り立つ日も来るだろう。
そして、アルテミス計画の視線は火星へ伸びる。NASAはアルテミス計画を「Moon to Mars(月から火星へ)アーキテクチャー」と位置づけ、月周辺や月面での長期滞在に必要な技術やノウハウを積み重ねたうえで、有人火星探査に挑む構想を持っている。
もっとも、有人火星探査は容易ではない。火星は月よりも遥かに遠く、行って帰ってくるだけでも2~3年はかかる。地球との通信には4~24分の遅れが生じ、宇宙船に重大な故障が起きたり、宇宙飛行士がけがや病気に見舞われたりしても、地球から助けに行くことも緊急帰還することもできない。医学や倫理面の課題も多い。費用も莫大になりうる。いかにコストを抑えつつ未知の課題を解決していくかが問われるだろう。
それでも、有人火星探査は人類が挑む価値のある挑戦である。火星は、ただ遠い目的地というだけではない。補給も救援も届かない距離で、人が生き延び、判断し、故障を直し、限られた資源を循環させながら暮らしを成り立たせる力が試される。
その力は、人類をはじめ、この地球で生きとし生けるものの未来の選択肢を増やすことになる。さらに火星は、かつての生命の可能性や惑星の運命を探るうえで格好の舞台でもある。こうした挑戦を通じて培われる技術と運用の知恵は、次の世代へ受け渡すべき基盤となり、国際協力の枠組みを実のある形に育てる足場にもなる。
かつて月の光は闇夜を照らし、人々の歩みを支えてきた。次に月が照らすのは火星へ向かう道である。見上げるだけだった赤い星の大地は、いつか目の前の景色となり、人が生きる場所へ変わっていくだろう。アルテミスIIは、その未来に向けた重要な一歩なのである。
鳥嶋 真也(とりしま しんや)
1987年生まれ。宇宙開発、宇宙科学、天文学の分野を中心に取材・執筆活動を行う。宇宙開発の歴史を調べることがライフワーク。著書に『イーロン・マスク』(共著、洋泉社)があるほか、月刊『軍事研究』誌など複数の媒体で記事を執筆している。新聞やテレビ、ラジオでの解説も多数。“軌道”つながりで鉄道も好き。