No.015 特集:5Gで変わる私たちのくらし
連載02 あらゆるモノに知性を組み込むAIチップ
Series Report

人間の脳の構造を徹底的にまねる

そこで、一層の高性能化に道を開くためノイマン型に見切りをつけ、まったく新しい原理に基づくAIチップの開発を始めた企業や研究機関が複数出てきた。その代表的な企業がIBM社である。その他、Intel社、HP社とユタ大学のグループ、NECと東京大学のグループ、産業総合研究所とパナソニックのグループ、東芝、デンソー、東北大学などが研究開発に着手している。

「人間の脳の構造を見てみろ。記憶と演算が分離したノイマン型などではない。しかも、たかだか20Wのエネルギー消費で、現存するコンピュータのどれよりも高度な処理を実現している。ならば脳の構造を徹底的にまねればよいのではないか」。IBM社などが、新たな基本原理を模索する際の着眼点は、このようなものだ。

現在提案されている全てのAIチップは、程度の差はあるが、動作や構造の模範を脳の神経回路網(ニューラルネットワーク)に求めてきた。Google社のTPUは、ニューロン(神経細胞)とシナプス(神経細胞間のつながり)で構成するニューラルネットワークの構造と働きを、ノイマン型の構造上に展開しプログラムを使って再現したものだ。チップ内の演算器の仕様はAI関連処理に最適化しているが、仮想的に脳の動きをまねたチップだと言える。

これに対し、IBM社などが目指すチップは、演算装置と記憶装置を分離せず、一体化してニューラルネットワークの物理的な構造を再現した「脳型チップ(ニューロモーフィック・チップ)」と呼ぶものだ。AIチップの進化の中では、「第2世代AIチップ」と呼ぶことができる。ただし脳型チップは、ノイマン型を使わないため汎用性を損ない、論理的な演算はできなくなっている。しかし、人間の脳も論理的な思考は左脳が、直感的な認知は右脳が担っている。IBM社では、ノイマン型ベースの従来型コンピュータと、脳型チップによるAIシステムで役割分担させることを、近未来のコンピュータの基本構成と考えている(図2)。

「従来型」と「脳型チップ(ニューロモーフィック・チップ)」を併用から融合へ
[図2] 「従来型」と「脳型チップ(ニューロモーフィック・チップ)」を併用から融合へ
出典:IBMのホームページ

IBM社は2014年に、世界初の脳型チップ「TrueNorth」の論文を科学雑誌「Science」で発表した。ここからは、TrueNorthに使われている技術を題材にして、脳型チップとはどのような特徴を持つ、どのような構造のチップなのかを解説していく。

あらゆる機器や設備にAIチップを組み込み可能に

第2世代AIチップである脳型チップの先駆けになったTrueNorthは、54億のトランジスタで、100万個のニューロンと2億5600万のシナプスを作り込んだチップである(図3)。28nm プロセス*4を使って製造し、チップ面積は4.3cm2と、一般的なマイクロプロセッサと同等の大きさに収めている。

「TrueNorth」のパッケージ写真と内部構造
[図3] 「TrueNorth」のパッケージ写真と内部構造
出典:IBMのホームページ

人間の脳には、約1000億個のニューロンと約100兆~150兆個のシナプスがあると言われている。TrueNorthは人間の脳には遠く及ばないが、昆虫の脳と同等の規模にはなっているとされる*5。そして、「空中の小さな獲物の位置を正確に把握する」「血を吸うべき動物がいる」など、昆虫が特定の能力で極めて高度な知覚を持っているのと同様に、TrueNorthも「地震を検知して津波警報を発令する」「石油の漏れを監視する」といった特定用途に応用するのに十分な能力を実現できるようだ。

TrueNorthで特筆できる点は、1秒当たり46億回も再現されるシナプスの動きを、わずか70〜200mWという補聴器ほどの電力消費で実行できる点だ。現在AI関連処理の実行に使われるGPU*6の消費電力は数百W、第1世代AIチップであるTPUは40Wであるから、TrueNorthの省エネ度合いは際立っている。バッテリー駆動できるほどの低消費電力なので、電源供給や放熱のための回路や部品を劇的に単純化でき、AIチップの使用シーンはグンと広がる。小型ロボットや携帯型電子翻訳機、さらにはオフィスや店舗に置くあらゆる機器の中に、家電を制御するマイコン感覚で高度なAIチップを組み込むことができるのだ。

[ 脚注 ]

*4
28nmプロセス: 半導体チップに搭載される微細なトランジスタの最小線幅が28nmとなるチップを作る製造技術を、28nmプロセスと呼ぶ。この最小線幅が小さいほど、高速で、大規模な回路を搭載したチップを作ることができる。現在、既に10nmプロセスのチップが実用化され、パソコンやスマートフォン向けに投入されている。Google社のTPUはそれよりも古い世代の技術を使っており、裏を返せばまだまだ進化する余地が十分あると言える。
*5
TrueNorthの開発以前、IBM社は2011年に256個のニューロン、6万4000個もしくは25万6000個のシナプスを備えたチップを試作している。この試作チップの規模は、ミミズの脳に相当していたという。
*6
GPU: GPUとは、GraphicsProcessingUnitの略。グラフィックス処理や画像処理に特化した、専用の演算器と内部構造を持つプロセッサ。マイクロプロセッサのように、様々な命令を効率よく処理することはできないが、大量のデータを対象にして同じ演算を同時実行する並列処理に向いた内部構成を取っている。近年では、その優れた演算能力を生かして、科学計算などに活用するようにもなってきた。こうしたGPUの利用法を特に「GP(General Purpose)GPU」と呼んでいる。

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