No.024 特集:テクノロジーは、これからのハピネスをどう実現できるのか

No.024

特集:テクノロジーは、これからのハピネスをどう実現できるのか

ハピネスとテクノロジー

クロストーク ”テクノロジーの未来を紐解くスペシャルセッション”

ハピネスとテクノロジー

前野 隆司
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント教授
矢野 和男
ハピネスプラネット 代表取締役CEO

「ハピネス(幸福)」は、歴史的にいつも人々が求めてきたものだが、そのあり方は不明で一様でもない。だからこそ、ハピネスは文学、宗教学、哲学、社会学などがさまざまな方法で探求するテーマとなってきた。近年は科学とテクノロジーの発展によって、ハピネスの状態を観察、計測したりするばかりでなく、人々をハピネスに導く方法が模索されるようになった。専門の機械工学において「幸せ」が設計変数に欠けていることから幸せ研究に進んだ慶応大学教授の前野隆司氏、そして物理学の手法を用いて若い頃からの関心ごとだった幸せに取り組むハピネスプラネットCEOの矢野和男氏。理系の視点から捉えたハピネスを語り合っていただいた。

(構成・文/瀧口範子 写真/黒滝千里〈アマナ〉)

工学と物理から、ハピネス研究に至った道

前野隆司氏

── 最初に、工学や物理の専門家だったお二人が、そもそもどのようにして「ハピネス」の研究に至ったのか、その経緯をお話しいただけますか。

前野 ── あとで詳しく述べますが、私は「ハピネス」ではなく「幸せ」の研究をしています。私がもともと研究していた機械工学には、設計論という分野があります。製品やサービスを設計するわけですが、人間にとって最も大切な価値はやはり幸せになることじゃないでしょうか。それなのに設計変数には「幸せ」が入っていません。それは設計論の欠陥だと気づいたのです。

カメラを作る時も、ロボットを作る時も、あるいは街を作る時も、コミュニティーを作るときも、幸せという設計変数があれば、住むほど幸せになる町や、使うほどに幸せを感じるカメラが作れるのに、そんな指標はありません。幸せを分解して、設計可能にしなければいけないと思ったのが始まりです。

矢野 ── 私は、幸せについては学生時代から非常に関心があって、当時から一番の愛読書がヒルティの『幸福論』です。「幸せに関わるような仕事したい」という妄想を友達にも話していたようなのですが、もちろんそんな仕事はあるわけもなく、卒業後は日立に入社しました。当時、日の出の勢いだった半導体部門に配属され、世界の先端的な環境の中で楽しく仕事をしました。

しかし、20年ぐらい経った後に日本の半導体が不調となり、事業が撤退となりました。リセットして新しいことを始めなければいけないという状況の中で、これからはデータが大切になるのではないか、それも人間のデータは面白そうだという直感を持ったのです。

そこで、2003年ごろからデバイスやネットワーク開発などデータを収集する道具も作り始めました。2006年ごろから毎日すごい量のデータが集まるようになったのですが、データだけあってもどうしようもないので、何か目的が必要だと思い始めたのです。

仕事だから生産性かなとも考えましたが、ここで学生時代からの想いが蘇ってきました。たまたまその頃に「ポジティブ心理学」という分野が目に入ってきたり、幸せな人たちは生産性が高いという論文が出始めたりしていて、幸せを目的変数にしてデータから何かがつかめたら、単なる機械化とは違う形でテクノロジーが価値を生むのではないかという直感がしました。その辺から、周りには「矢野は何か宗教みたいなことをやっているぞ」と言われましたけれどね。

矢野和男氏

前野 ── 私もキヤノンから大学に移ってロボット研究をし、13年目の2008年に幸せの研究を始めました。社会全体を俯瞰し学問分野を超えて問題解決をしようという「システムデザイン・マネジメント(SDM)」のための大学院研究科ができたのです。それなら、同様に幸せという最上位概念を問題解決すべきだと、自然に幸せの研究を始めました。

ところが、当時は同僚たちから「SDMというコンセプトとあなたの宗教みたいな研究は関係ない」と誤解されましたね。矢野さんが研究を始めたのは2003年ですか。2008年でも全く理解されませんでしたから、もっと理解されなかったでしょうね。

矢野 ── ましてや企業の中ですから。幸せが大切なことは誰も否定はしないわけですが、その幸せという上位概念と、具体的な製品やビジネスや産業との間にあまりにギャップがあるので、そこを埋める動きをしなければなりません。勉強していくと、幸せに関わる研究をしている人たちがいることがわかり、それで心理学という畑違いの分野の大家のミハイ・チクセントミハイ教授やカリフォルニア大学のソニア・リュボミアスキー教授のところへ飛び込みで訪ねて行ったら、割と気さくに話してくれました。

幸いだったのは、われわれがデータをちゃんと持っていたことです。そこは、ある意味、リスペクトされました。そもそもデータは今でこそ資産だとされますが、当時はコンピュータで処理されるものとしか認識されていませんでした。しかし、大量のセンサーからとった人間行動のデータを持っていることで、どんな分野の人と話をしても相手とコミュニケーションが成り立ちました。

── 「ハピネス」については、幸福、ウェルビーイングといろいろな表現があります。エイジングも無関係ではありませんし、吾唯足るを知るという禅の教えや、マインドフルネスという新しい考え方もあります。どの言葉を使うかにこだわりはありますか。

前野 ── 幸せの研究は心理学が中心ですが、そこではよく「ウェルビーイング・アンド・ハピネス」と言われます。ハピネスと幸せは日本では1対 1で対応していると思われがちですが、ハピネスは狭い言葉です。以前シンギュラリティ大学の先生と話していて、「ハピネスの研究とはけしからんね」と言われたことがあります。ドラッグをやったり酒を飲んだりしてハッピーになった状態の研究をするものではないのではないか、と言うのです。

それで気付いたのですが、ハピネスとは感情としての幸せなのです。美味しいものを食べて幸せといった、短時間の感情を指していて、辛いこともあったけれど幸せな人生だったなあという時の幸せとはちょっと意味が違うんですね。つまり、幸せよりハッピーの方が意味合いが狭いのです。

また、ウェルビーイングも面白い言葉で、日本の心理学者は幸せと訳しますが、お医者さんは健康、福祉関係の人は福祉と訳すのです。ウェルビーイングというのは近代になって作られた言葉で、心と体と社会の良い状態を意味しています。ですからハピネスより幸せの方が意味合いが広くて、それよりもずっと広いのがウェルビーイングということになります。

また、感情は非常に短いスパンの人間の反応ですけれど、気分はもうちょっと長いスパンです。幸せは、感情よりも気分に関わっていますが、幸せな人生という時は、そういう心の状態ではなく「あり方」みたいなものでしょう。もっと長い状態までを含むのが幸せという言葉だと思うのです。

ですから、私が携わっている研究分野は「ハピネス」ではなく「幸せ・幸福」ないしは「ウェルビーイング」だと考えています。

矢野 ── ドイツ語では、「運」を意味する「Glück(グリュック)」が幸せを指す言葉です。ヒルティの『幸福論』のタイトルもまさに「Glück」です。昨年行ったフィンランドでは、「Sisu」という言い方があると言われました。これは逆境に負けない強さみたいな意味です。ですから、どこを強調するかは文化的、歴史的背景で違うのですが、私が目指しているのは、人類が大事にしている多様な面を全部包含して見えるようにしたいということです。

実は今、幸せに関する言葉を分類しています。受け入れる、覚悟する、挑戦する、情熱を持つ、冒険する、信頼をする、感謝する、謙虚になる、対等な関係を結ぶ、結束するなど、ランダムなようで、こうした言葉は体系づけることができる。それが俯瞰できれば、幸せの本当の姿が見えてくるのかなと思っています。幸せがいい言葉だなと思うのは、剣道の「仕合う」と同じ語源で、交わるという意味があるからです。フィンランドの人は逆境に耐える、ドイツは運がいい、日本人は人と人の交わりの中に大事なものがあると伝えている。そこは、日本人として誇りに思うところですね。

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