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Science Report
サイエンス リポート

H3ロケット打ち上げ成功
失敗を乗り越えた技術者たちの執念

文/鳥嶋 真也
2024.07.03
H3ロケット打ち上げ成功失敗を乗り越えた技術者たちの執念

Credit: JAXA

2024年2月17日、鹿児島県の南に浮かぶ種子島は、一足早く春が訪れたような陽気に覆われていた。その南端にある宇宙航空研究開発機構(JAXA)の種子島宇宙センターでは、日本の次期主力ロケット「H3」ロケットの試験機2号機が、天を見上げたたずんでいた。H3は2023年3月、試験機1号機の打ち上げに臨むも、第2段エンジンの着火ができず失敗に終わった。JAXAなどは総力を挙げて原因究明と対策を進め、1年足らずでリベンジにこぎつけた。関係者はこの試験機2号機に、2つの意味を持たせた「RTF」というモットーを掲げた。ひとつは「Return to Flight(飛行再開)」、もうひとつは「Retry of Test Flight(試験飛行の再挑戦)」である。そして9時22分55秒、多くの人々の期待と願いを背負ったH3ロケット試験機2号機は、閃光と轟音とともに発射台を飛び立った(図1)。

宇宙へ向けて飛翔するH3ロケット試験機2号機
[図1]宇宙へ向けて飛翔するH3ロケット試験機2号機
撮影:鳥嶋真也

H3ロケットとは

H3ロケットは、JAXAと三菱重工が共同開発している日本の次期主力ロケットで、日本の宇宙輸送の自立性の維持と、宇宙ビジネスにおける国際競争力の確保という、大きく2つの目標の実現を目指している。

私たちの生活は、衛星を使った宇宙利用に大きく依存している。たとえば天気予報では気象衛星が使われ、テレビやインターネットでは放送・通信衛星が使われている。スマホやカーナビも測位衛星が欠かせない。

ロケットはその衛星を宇宙へ打ち上げられる唯一の手段であり、日本がこれからも宇宙を利用し続けるためには、ロケットによる宇宙輸送の自立性、すなわち他国に頼らず、日本の技術で、日本の地から自由に飛ばせるロケットを持ち続けることが重要になる。

また、自立性を維持するためには、ロケットを安定的に打ち上げ続け、コスト削減や信頼性向上を図るとともに、技術や産業基盤を維持・強化する必要がある。そのためには、国の衛星だけでなく、国内外の民間の衛星事業者などから受注して、ビジネスとして行う打ち上げ――商業打ち上げ――を並行して行い、トータルの打ち上げ数を増やすことが不可欠である。そのため、安価かつ信頼性がある、国際競争力のあるロケットであることも求められる。

現在日本は、大型の主力ロケットとして「H-IIA」を運用している。2024年1月までに48機が打ち上げられ、6号機を除くすべてが成功しており、打ち上げ成功率は約97.9%、また7号機以降は42機が連続で成功するなど、高い信頼性を誇っている。

しかし、H-IIAは他国の同性能のロケットと比較してコストが高いという課題を抱えている。また、衛星の大きさや目的が多様化したことで、打ち上げることができない衛星も出てきた。

さらに、H-IIAの開発が始まったのは1994年のことであり、また、H-IIAは、その先代のH-IIの改良型であることから、日本がまったく新しいロケットを開発したのは30年以上も前のことになる。そのため、設計が古く、これ以上の改良の余地もなくなっている。

くわえて、ロケットの新規開発の機会がなければ、熟練のエンジニア(技術者)から新しい世代のエンジニアへの、技術やノウハウの伝承が途切れ、将来的にロケットの開発、製造がままならなくなる懸念もあった。このため、関係者は2010年半ば、「このままでは10年後に日本のロケットが維持できなくなる」という強い危機感を抱いていた。

こうしたことから、H-IIAの高い信頼性を受け継ぎつつ、より安価で、そして多種多様な衛星の打ち上げに対応できる柔軟性をもった新型ロケットとして、H3(図2)が開発されることになった。

H3ロケット
[図2]H3ロケット
撮影:鳥嶋真也

試験機1号機の打ち上げ失敗

H3の開発は2014年から始まり、当初は2020年度の初打ち上げを目指していた。しかし、第1段に使うロケットエンジン「LE-9」の開発が難航した。

LE-9は液体酸素と液体水素を推進薬とするエンジンで、H3が目指す目標を達成すべく、これまで日本が培ってきたロケット技術と、3Dプリンターのような新しい技術を組み合わせ、きわめて高い性能を目指している。それゆえに、多くの技術的課題が立ちはだかったが、エンジニアは一つひとつ課題を解決していき、2023年にようやく初打ち上げにこぎつけた。

3月7日、H3ロケット試験機1号機は種子島宇宙センターから打ち上げられた。懸念のLE-9エンジンは順調に作動し、やがて役目を終え、第1段機体と第2段機体が分離された。ところが、それに続いて行われるはずだった第2段ロケットエンジンの着火に失敗した(図3)。そして、ミッション達成の見込みがなくなったことから、機体は地上からの指令で破壊され、打ち上げ失敗という悪夢のような結末となった。

打ち上げ失敗後、JAXAは三菱重工をはじめパートナーである各社とともに、またJAXA内の衛星の開発を行っている部門とも連携するなどし、総力を挙げて原因究明と対策を進めた。

ロケットはばらばらになって海に落下したため、手がかりは、飛行中のロケットから送られてきた各種データと、製造や試験時に残された記録のみだった。原因究明は難航し、その年の夏は、関係者が「出口が見えない夏」と振り返るほど、暗中模索の状況が続いた。

そんななかでも、考えられうるさまざまな原因のシナリオを想定し、一つひとつ丹念に、検証確認や再現試験を行った結果、最終的に点火装置の不具合など、3つのシナリオに絞り込み、そのすべてに手を打つことにした。

また、原因究明を通じて、さまざまな教訓も得られた。たとえば、失敗の要因のひとつとされた点火装置は、これまでもH-IIAなどで使い続けてきた、十分な実績があるものだったものの、その実績を過信したこと、また実際にH3に組み込んでも状態が変わらないと考えたことで、製造や検査、設計に対する対策を行うことができなかったと結論づけられた。

これを受けて、以前から使い続けている機器に対しても、本当に大丈夫かどうか、あらためて評価、確認することなどが定められた。

問題を起こしたH3試験機1号機の第2段機体
[図3]問題を起こしたH3試験機1号機の第2段機体
中央に見える第2段エンジンに着火しなかった
撮影:鳥嶋真也

試験機2号機の成功

さまざまな対策、確認の試験を経て、リベンジに向け試験機2号機の機体が組み上がっていった。

2024年2月16日の夕方には、ロケットを組み立てる建物から姿を現し、発射する場所まで移動した。機体につながれた管から、燃料や電気、空調が送り込まれ、打ち上げに向けた準備が着々と進んだ。

明けて2月17日、種子島は晴天に恵まれ、春を先取りしたような陽気に包まれた。

そして大勢の人々が見守る中、9時22分55秒にロケットは発射台を飛び立った(図4)。

まるで地上に太陽が現れたかのような閃光と、轟音とともに、ロケットは大空へ力強く駆け上がっていった。

LE-9は文句なしの働きを見せ、ブースターや衛星を保護するフェアリング(カバー)を次々と分離し、ロケットはあっという間に大空へ吸い込まれた。

やがて宇宙空間に到達し、そして前回つまずいた第2段エンジンにも無事着火した。このとき、ロケットの飛行を見守っていた指令棟では、関係者が「よっしゃ!」と声を上げたり、涙を流しながら抱き合ったりする様子が見られた。

その後もロケットは順調に飛行し、発射から約17分後に、地球を回る軌道に到達した。そして、搭載していた2機の超小型衛星の分離や、第2段エンジンの再着火など、予定していたミッションすべてを完遂し、飛行実証を果たした。

打ち上げ後、データを分析したところ、すべてにおいて良好な飛行をしたことがわかっており、最初から最後まで、予測値とほとんど誤差なしで飛行したという。

JAXAでH3のプロジェクト・マネージャー(当時)を務めた岡田匡史さんは「ロケットが飛行中、経路をモニターしていたところ、(予測値の)ど真ん中を飛んでいくような状態で、『これ本当(のデータ)かな?』と思うほどでした」と振り返った。

H3ロケット試験機2号機の打ち上げ
[図4]H3ロケット試験機2号機の打ち上げ
撮影:鳥嶋真也

失敗の怖さを知ったエンジニアは、強い

しかし、H3の開発は、まだ終わったわけではない。とくにLE-9は、当初目指していた性能を出すための開発がまだ続いている。さらに、H3を安定して多数打ち上げるための開発や準備もまだ道半ばである。

そして、目標である高い信頼性、低価格、そして柔軟性をもったロケットにできるかどうかも、これからの開発にかかっている。

一方、世界を見渡せば、ライバルとなるロケットが立ちはだかる。実業家のイーロン・マスク氏率いるスペースXの「ファルコン9」ロケットは、低価格と高い打ち上げ頻度で市場を席巻している。ほかにも、アメリカやヨーロッパなどでは強力な新型ロケットが登場しつつあり、ベンチャー企業の勢いも著しい。H3はこうした並み居るライバルと太刀打ちしていかなければならない。

そんななか、H3の関係者の士気は高い。岡田さんは、これからH3を本格的に育てていくことになるエンジニアに期待を寄せる。

「ロケットの失敗はやってはいけないことです。ただ、失敗があるとエンジニアはものすごく強くなります。試験機1号機の失敗で、非常に難しい技術的な課題を突きつけられたなか、いろいろなことに洞察力を働かせて答えを導き出していったことで、技術面でも強くなったと思います。この一年で強くなったエンジニアに、『あとはよろしく頼むぞ』という想いです」。

三菱重工でH3のプロジェクト・マネージャーを務める新津真行さん(図5)も、「エンジニアは、”怖さ”を知ったことで強くなりました」と語る。

「怖さとは、あれだけのロケットが、設計や製造における、ほんのわずかな、思いもしなかったことで、問題を起こして失敗してしまうということです。それを経験したことで、若いエンジニア一人ひとりが、『自分の担当したところの設計はこれで本当に問題はないか』、『見逃していることはないか』、『やっぱり気になるところがあるからよく見てみよう』と、自ら考え、動けるようになったことが大きいです」。

開発開始から10年、ついにH3は産声を上げた。その過程は困難の連続だったが、多くの教訓とともに、技術と、そして想いが、新しい世代のエンジニアへ受け継がれた。そしていま、その彼ら、彼女らが中心となって、H3をより良いロケットに仕上げ、世界と戦うという使命に挑む。

そして、何十年か後には、今度は彼ら、彼女らが、新たなロケットの開発を主導し、また次の世代のエンジニアへバトンを受け渡していくことになる。

閃光と轟音とともに宇宙へ飛んでいくロケットの正体は、もしかしたらエンジニア一人ひとりの心に灯る情熱の火が集まり、莫大なエネルギーの炎となった姿なのかもしれない。その炎を絶やさず、燃やし続けることができれば、日本のロケット技術は世界で輝き続け、そして、いつかは宇宙の彼方にまで響き渡ることだろう。

打ち上げ後、喜びを分かち合う、JAXAの岡田匡史プロジェクト・マネージャー(当時、右)と、三菱重工の新津真行プロジェクト・マネージャー(左)
[図5]打ち上げ後、喜びを分かち合う、JAXAの岡田匡史プロジェクト・マネージャー(当時、右)と、三菱重工の新津真行プロジェクト・マネージャー(左)
撮影:鳥嶋真也

次世代の主力大型ロケット「H3」 岡田 匡史 インタビュー記事(2015.10.19)もあわせてご覧ください。

Writer

鳥嶋 真也(とりしま しんや)

宇宙開発評論家。宇宙作家クラブ会員。

国内外の宇宙開発に関する取材、ニュース記事や論考の執筆などを行っている。新聞やテレビ、ラジオでの解説も多数。主な著書に『イーロン・マスク』(共著、洋泉社)があるほか、論文誌などでも記事を執筆。

Webサイト:http://kosmograd.info/
Twitter:@Kosmograd_Info
https://note.com/celestial_worlds

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