No.003 最先端テクノロジーがもたらす健康の未来 ”メディカル・ヘルスケア”
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医療課題を解決するWebとHealth2.0

Webが進化させる医療とヘルスケアの最前線。

  • 2012.12.10
  • 文/淵上 周平

先進国では、高齢化や成人病の増加に伴う医療コストの増大といった共通の課題を抱えている。これらをITによって解決していこうという大きな動きが起こっており、アメリカでは政府による大々的な支援や民間投資が活発化し、マイクロソフトやグーグルといった巨大企業からベンチャーまで医療IT業界が活況を呈している。その背景には、Webを通して、診療を受けるだけの患者から、自ら積極的なヘルスケアを行い、治療行為にも関わる患者へとシフトを目指す"Health2.0"というコンセプトが存在する。Webによって医療とヘルスケアはどんな進化を遂げているのかを探る。

医療経済学が明らかにする医療の課題

医療経済学という学問を聞いたことがあるだろうか。名前の通り、医療を経済学の視点から取り扱う。医療は一般的な市場サービスと違い、需要と供給の調整を市場が調整するのは難しい側面がある。たとえば重病患者の治療には高額の治療費用がかかるが、それを受けることができない場合、患者の生命が失われることを、国は基本的には放置できない。医療サービスがどのように供給され、その費用負担を誰がどんな割合で担うのか、国民の健康を最大化するための医療サービスはどのような政策によって導かれるのか、といった課題に、経済学の視点から解決策を考えるのが医療経済学の役割である。

医療経済学は、たとえばこんな試算を導く。高血圧患者が、家庭での血圧測定を常時行った上で、病院での診療と治療を受けるようにした場合、年間1兆円弱のコスト削減が可能だという*1。これは、検査に伴うコスト、無駄な投薬や治療の削減、そして重篤症状になる前に治療を行なうことができる、などの効果によるものだ。つまり、病院の担っていた役割を、家庭で行なうことで、大きなコスト削減になるのだという。

先進諸国の医療を巡る状況は非常に厳しい。程度の差はあれ、高齢化や成人病の増加に伴う医療コストの増大といった共通の課題を抱えている。日本は、2011年度の概算の医療費が前年度比3.1%増の37兆8000億円。アメリカの医療関係費用は 2010 年にはGDPの約20%の 2.6 兆ドルにまで達し、無保険者の増大及び費用の抑制が課題となっている。

そして今、医療が抱えているこうした課題を、ITによって解決していこうという大きな動きがある。先にあげた、家庭における高血圧患者の血圧測定などは、医療デバイスのパーソナル化によって実現するが、これもITによる医療課題解決の一つの方向性である。医療の総合的なIT化に向けて国をあげて舵を切ったアメリカの事例から見てみてみよう。

アメリカの医療IT政策

アメリカ連邦政府のCTO(最高技術責任者)として、オバマ大統領が任命したのは、トッド・パークという39歳のITアーキテクトである。任命会見の壇上で、「いつでも連絡をくれ。72時間たっても返事がなかったらタイトルに"You Idiot!"と書いて催促してくれ。」と言って自分のメールアドレスを公開したことでも話題になった人物である。ハーバード大で経済学を学び、医療ITベンチャーの創業を経て、米国保険社会福祉省(US Department of Health and Services)のCTOに抜擢。健康保険制度の基盤となるWebサービス、"HealthCare.gov"などの立ち上げを行い、アメリカの医療IT政策を牽引してきた。医療とWebを結ぶキーワードの1つ、"Health2.0"のイノベーターとしても名前が上がるトッド・パークが中心になって作り上げたアメリカの医療とITの取り組みとはどんなものなのか。

アメリカが抱えている医療関連の課題としては、大統領選の大きな争点になった保険制度の再構築をはじめ、高齢化に伴う医療費の増大や生活習慣病の増加、地域医療の崩壊などがある。ブッシュ政権時代から医療ITに取り組んできたアメリカであるが、この課題に大鉈を振るべく、オバマとトッドのチームは大胆な医療改革政策を提示した。

2009年、オバマ政権は、景気対策の目玉として、"米国再生・再投資法(American Recovery and Reinvestment Act:ARRA)というアメリカ再生政策を発表。この中で、医療 のIT化に関わる取り組みが、「経済的および臨床的健全性のための医療情報技術に関する法律'Health Information Technology for Economic and Clinical Health Act:通称HITECH 法」である。医療 IT の促進と実証、インフラ等に対する補助金と融資の提供、プライバシー保護を巡る取り組み、などが盛り込まれ、190億ドルの予算を投資した。この投資は、医療ITシステムであるEHR(Electric Health Records)の利用推進のために使われることになっている。

EHRのシステムには、医師などの医療サービス提供者に患者や病気の情報をサポートするツール(Clinical Decision Support)、患者の診療記録(Electronic Medical Record:EMR)、処方薬の選択・注文・記録を行なうツール(ePrescribing)、国民個人の健康データのデジタル管理ツール(Personal Health Record:PHR)、インターネットを通じた診療や健康アドバイスを患者に対して行なうツール(Telehealth)などが含まれているが、こうしたEHRツールの普及を推進するためのインセンティブとして190億ドルのうち170億ドルの予算が配分されている。EHRを導入した場合にボーナスを出すことで、医療関係者がスムーズにシステム移行できるように、大きな予算を当てているのだ。逆に使用してない場合のペナルティもある。こうした大きなインセンティブを背景に、2014年までにアメリカ国民のほとんどがデジタル化された健康記録データを持ち、各人がそのデータにアクセスできる環境になることを目標にしている。2011 年におけるEHRの普及状況は全米平均で 57%であり、順調に推移しているといってよいだろう。

こうした政府提供の医療ITサービスを背景にしつつ、民間の投資も活発だ。医療ITベンチャー企業へのベンチャーキャピタルからの投資は、2011年に12億1900万ドル。2012年上半期は、2011年同期に比べて73%の増加を示している。どんなビジネスが立ち上がってきているのか、代表的なサービスをいくつか見てみよう。

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