連載01
系外惑星、もうひとつの地球を探して
Series Report
世界的に注目を集めた火星人論争
過去から現在にかけて、地球外知的生命体探しは何度となくおこなわれている。最初に知的生命体の存在が取りざたされたのは、地球の隣の惑星である火星だった。1877年、イタリアの天文学者、ジョバンニ・スキャパレリ(1835〜1910年)が火星を観測した結果、火星にたくさんの筋模様が網の目のように張り巡らされていることを発見した。スキャパレリは、これらの筋を「カナリ」として発表した。カナリという言葉は、イタリア語で「溝」や「水路」を表す言葉だ。スキャパレリ自身は、この筋が自然につくられたものか、人工物なのかについてはあまり気にしていなかったようだ。
スキャパレリがカナリとして紹介した火星の筋は、英語で「カナル(運河)」と翻訳され、世界中に紹介された。運河とは、人工的につくられた水路を指す言葉だったので、火星に運河があるのであれば、火星人がいるのではないかという憶測が生まれた。この説を固く信じたのが、アメリカの天文学者、パーシバル・ローウェル(1855〜1916年)だ。ローウェルはもともと資産家だったが、天文学に興味をもち、自身の資産をなげうって天文台を建設し、観測にいそしんだ。彼は、火星を10年にわたり観測し、火星には火星人のつくった運河があると主張した。この主張によって、世界中の多くの人たちが、火星人の存在を意識するようになった。
火星の運河説に対しては、肯定的にとらえる人もいれば、反対意見を唱える人もいた。反対派の代表的な存在は、ギリシャ人の天文学者、ウジェーヌ・アントニアディ(1870〜1944年)だ。彼は小さな望遠鏡で観測しているうちは、スキャバレリの主張した筋を観測していたが、口径83cmの大型望遠鏡で観測してみると、筋状の構造は見られなかった。火星の表面にはたくさんの小さな斑点が見られ、小さな望遠鏡ではその斑点が線状に見えると結論づけたのだ。
さらに、1898年にイギリスの小説家ハーバート・ジョージ・ウェルズ(1866〜1946年)が、火星人が地球に襲来するSF小説『宇宙戦争』を出版し、一躍ベストセラーとなったことで、火星人のイメージは社会に広く定着するようになった。ローウェルたちが主張した火星の運河説は、火星に宇宙人がいるかもしれないというロマンを与え、たくさんの人たちが火星に注目するきっかけを与えたのである。
しかし、1960年代から探査機が火星に送られるようになると状況が一変する。1964年に打ち上げられたマリナー4号、1969年に打ち上げられたマリナー6号、7号が火星とすれ違うフライバイによる撮影を成功させたものの、どこにも運河のようなものは発見されなかった。さらに、1971年5月に打ち上げられたマリナー9号は、同年11月14日に火星の周回軌道に投入され、世界初の火星周回衛星となった。マリナー9号は火星の表面積の約70%にあたる7300枚以上の画像を撮影することに成功し、マリネス峡谷、オリンポス山など、火星を代表する地形を次々に発見したが、運河のような人工物は発見されなかった。これらの探査によって、火星の運河説は完全に否定され、火星人もいないことが証明された。
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