No.009 特集:日本の宇宙開発
Cross Talk

買ってこられないからこそロケットを自分たちで作る

 

國中 ── ところで、牧野さんがロケットの開発に携わろうとしたきっかけは何だったんですか。

牧野 ── 僕は子どもの頃に若干病弱で、学校に行けない日が3分の2ぐらいあったんです。そんな日に百科事典をバーッと広げて眺めていたところから始まっているように思います。その頃、TK-80とかPC-8001といったマイコンが登場した時代で、いろいろな技術が大好きで、もうずっと触ってきました。

でも、宇宙というのが特に決まった興味分野ではなかったんですね。技術だとか新しいものだとか、自分の知らない科学分野に対する興味みたいなものは、ずっと持ち続けていました。大学はもちろん理系の大学に進んで、大学院まで行ったのですが、博士課程を途中で辞めたりして。

── その後、牧野さんはレコード会社に就職をされるんですよね。

牧野 ── 僕はずっと音楽をやっていたので、一度脱線してレコード会社に就職して、音楽配信事業の立ち上げを経験したんです。ちょうど音楽業界にIT技術が流れ込んだ時期でした。当時の携帯端末で音楽を再生するのは、意外と技術的にギリギリだった部分があって、通信キャリアの方とかメーカーの方とやりとりをして開発をして、実用化して事業化するところまでやったんですね。

ここで、なぜかちゃんと覚えてないのですが、2004年にスペースシップワン*8の初フライトを見に行ったんです。なぜ行こうと決めたのか忘れてしまったのですが、突然1週間前に会社の休みを取って、モハーヴェ砂漠まで行っちゃったんですね。

國中 ── 打ち上げ場所には、簡単に入れたのですか。

牧野 ── キャンピングカーで集まってきた2万人位が、滑走路脇で見ていましたよ。初の民間有人飛行が、弾道飛行ですが高度100kmまで実際に届いたのを見たんです。その後に、たくさんあった宇宙ベンチャーのハンガー(格納庫)で実際の機体やハイブリッドのロケットモーターを見せていただく機会がありました。

実物を目にした時に「あ、これ作れるな」と思っちゃったんです。これは決してアナザーワールドではない、自分たちで作れる範囲のものだと分かったんですね。そこで何かのスイッチが入って、2年後に会社を辞め、自分のガレージでロケットエンジンを作り始めたんです。当時は推力3kgのLPガスと圧縮空気で動くロケットエンジンでしたね。そんなことをやっている間に、今の「ホリエモンロケット」のプロジェクトに合流することになったんです。

僕は宇宙に対する憧れというより、知識欲からロケット開発の道に入ったと思っています。自分の視野であるとか、行動範囲を広げたいというモチベーションから来ているんですね。あとは自転車とかクルマに乗ると、今まで自分が歩いて行ったところよりも、もっと遠くまで行けるという喜び。この2つが組み合わさっています。

ただ、自分の発明した技術、自分の設計したもので意地でも宇宙に行きたいという考えは実はなくて、買ってこられるなら買ってきたいです。遠くへ行く手段が欲しい、でも買えないから作る。そこはとてもシンプルです。

國中 ── 「メイクかバイか(make or buy)」という理論ですね。ロケット技術そのものはなかなか買えないものですよね、利用することはできても。打ち上げサービスや宇宙部品を、大企業の論理でアメリカやロシアがダンピングしてどんどん売りつけて来ると、日本の技術がなくなることにも繋がりかねないので非常に心配しています。

牧野 ── 國中先生の仰る通りで、買ってきたロケットでビジネスをしたところで、儲からないと言うよりも、何も生まないですね。売っている人たちがやっている事業の方がはるかに有利ですから、新しいものは生まれません。

買ってこられない、だから自分たちで作るといった時、大きい方に行くか、小さい方に行くか。高性能の方に行くか、低性能の方に行くか。僕らがマトリクス*9を作って選んだのは、低性能で小さくて安いという隅っこの場所でした。幸いにも、このスペースは空いていたんです。

宇宙探査の時代を迎えて私たちの視野は拡大する

國中 ── 私は天文少年だったんです。望遠鏡を覗いて、星を見て、写真を撮ったり、流星の観測をしたりしていました。私たちの時は、いわゆるアマチュアの天文観測が大流行していて、そういうコミュニティが結構いっぱいありました。

高校生ぐらいになると裕福な子が綺麗な写真を撮ってくるんですね(笑)。これはとても勝てないなと思って、じゃあ、違う方向に進もうと考えました。ものを作るのも大変好きだったので、望遠鏡を自作するといったことを一生懸命やっていました。高校生ぐらいの時は自作の望遠鏡で星を見ながら、写真を撮るのではなくて、あそこに人工衛星を送り込めたらな、と思っていましたね。

牧野 ── 送り込みたいというのは、小惑星探査衛星の仕事に繋がっていますね。

國中 ── 流星観測とか、太陽観測だとかを一生懸命やった後、大学へ行くことになります。私たちが学生の頃は明るい21世紀が待っていたはずだったので、核融合発電か宇宙開発か、どちらかを研究しようと思っていたのです。天文少年だったので宇宙航空工学科という方向に進んで、そのまま研究室に残って今に至るという感じですね。

牧野 ── 國中先生はサイエンス畑から来たというイメージを勝手に持っていたので、今回の宇宙探査イノベーションハブで「人類の活動領域の拡大」というキーワードが出てきたことが少々意外で、面白いと感じました。

國中 ── 私は宇宙工学の出身なので、もともと純粋なサイエンスではありませんからね。もっとも、宇宙科学と宇宙探査は別のフィールドだと思っています。サイエンスとは、望遠鏡を地球の周りに上げて遠くの天体のX線を観測するといったものですよね。探査というのは、もう、人が宇宙で活動する事柄です。

もちろん、最初はロボット探査機かもしれません。でも、面白いものがひとたび見つかったら、ゆくゆくは人間がそこに進出していき、宇宙に住もうとか、宇宙を利用しようという活動です。だからサイエンスとはちょっと違う。人間の活動領域の拡大が宇宙探査なんですね。

牧野 ── エクスプロレーションという言葉そのものですね。今は地上に張り付いていてそれしか見えていないけれども、その視野をもっともっと広げていく。いろいろなものを違う視点から見たい。もっと近寄って見たい。次にそこに何かを作ることができたら、今度は人が行く。僕らが目指す流れも、最終的にはそこなんですね。

後編のあらすじ

後半編では、國中氏がマイクロ波放電式イオンエンジンの研究開発に従事したJAXAの小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトと、新たに旅立った「はやぶさ2」プロジェクトについて迫ります。日本の宇宙開発に必要な条件、民間企業が果たせる役割、そして二人に共通する宇宙への夢について、話が広がります。

[ 脚注 ]

*8
スペースシップワン: 世界初の民間企業による有人宇宙飛行をした宇宙船。2004年6月にカリフォルニア州モハーヴェ砂漠にある飛行場から離陸した同機は高度100kmに到達する弾道飛行を行った。
*9
マトリクス: 数学用語の行列。単に4象限の座標平面を意味することも多い。

Profile

國中 均(くになか・ひとし)
※写真右

JAXA宇宙科学研究本部。宇宙飛翔工学研究系教授。工学博士。

1988年、東京大学大学院工学系研究科航空工学専攻博士課程修了。同年、旧文部省宇宙科学研究所に着任し、2005年に教授となる。東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻教授を併任。専門は、電気推進、プラズマ工学。

2011年、JAXA月・惑星探査プログラムグループ ディレクター。2012年、同「はやぶさ2」プロジェクトマネージャー。

牧野 一憲(まきの・かずのり)
※写真左

インターステラテクノロジズ株式会社「なつのロケット団」プロジェクト チーフエンジニア。

1971年生まれ。富山大学大学院工学研究科博士課程を中退後、ビクターエンタテインメント株式会社に入社し、「着うた」事業の立ち上げに従事。2006年に退社し、独力でロケットエンジンの開発をスタート。2007年より事業家の堀江貴文氏が参画する「なつのロケット団」へ合流した。

http://www.istellartech.com

http://www.snskk.com

Writer

神吉 弘邦(かんき ひろくに)

1974年生まれ。ライター/エディター。
日経BP社『日経パソコン』『日経ベストPC』編集部の後、同社のカルチャー誌『soltero』とメタローグ社の書評誌『recoreco』の創刊編集を担当。デザイン誌『AXIS』編集部を経て2010年よりフリー。広義のデザインをキーワードに、カルチャー誌、建築誌などの媒体で編集・執筆活動を行う。Twitterアカウントは、@h_kanki

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