No.010 特集:2020年の通信・インフラ
Cross Talk

ICTとのコラボレーションで人間も成長できる。

為末 ── おそらくICTの登場は、過去に機織り機(はたおりき)が生まれた時の状況と似ていますよね。これから、人間にとって、何が一番主の役割になると思われますか?

坂村 ── 技術がどうなるかに関して、ある程度なら見通せます。なかなか難しいのは、それを人間がどう思うのか、その結果どうなるのか、それはよくわからないんです。人間の本質が変わっていくかどうかと言えば、本当の意味ではわからない。テクノロジーで、人間の考え方の根本が変わるとは言えないのかもしれません。

為末 ── 人間の性質や本質が変わるわけではない。

坂村 ── ええ。DNAの操作などを当たり前にするようになったらわかりませんけれどね(笑)。ただ、ICTが起こすのはイノベーションなので、テクノロジーを出す側としては、今まで思い付かなかったこと、考えてもみなかったことが起こるのを期待しています。

30年ぐらい前に僕がコンピュータの研究を始めたとき、コンピュータは単なる道具だと色々なところに書いたんですね。最近はちょっと違って、道具よりもうちょっと先にいくと思っています。

すごいスピードなんです。人類なんてもう何万年もかかってここまで来ているわけだけれども、機械自身は本当にここ何十年で進化している。それはさらに進むと思うし、機能に限って言えば、人間よりも機械に任せてしまった方がいいところにもう来ていますから。単に道具として見るんじゃなくて、機械を共同パートナーとして考えられるようになったとき、人類は次のステップに上がれるんじゃないかと僕は思っています。

為末 ── 棋士の羽生善治*4さんが同じことをおっしゃっていて、将棋の盤を見ながらどういう風に打っていくか、よく詰められていない段階で「何となくこっちの方っぽい」という意思決定は、やっぱり人間の方が優れていると。でも、過去の棋譜やパターンから読んでくるのはコンピュータが圧倒的に優れているから、一部を記憶力に優れたコンピュータに任せるようになるんじゃないかと。その一方で、人間は人間で考えるというハイブリッド将棋の世界が新しくできたら、それは最強ですよね。

 

身体感覚や感性と結び付くテクノロジー。

為末 ── 人間の勘の領域というんでしょうか、つまり最初にピーンときて「もしかしてこうじゃないか」と思う瞬間だけは、人間がやらなきゃいけないと思うんです。

例えば「9秒台を出す選手は、もしかして足首を固定して走っているんじゃないか」という仮説が立ったとします。その後いろいろ実験して調べて、10年後くらいに「どうもそんな傾向がある」と論文になるのが今までだったとしますよね。センシング技術が優れてくると、すぐにデータにアクセスして、足首の角度が接地局面*5で動いているかどうかだけを調べて、もう次の日には、それを論文にできちゃう時代が来ると思うんです。

そのとき、人間はひらめきに集中できる。当然そのために知識や論理的に考える思考は必要ですが、その後の検証はコンピュータに任せられる。あっ!と思う瞬間に人間が特化するという意味では、すごく楽しい社会だし、そういう時代がすぐそこだという気がするんです。

坂村 ── よくICTが人間の職を奪うと誤解する人もいますが、余った人力を使って、今までできなかったことができるようになるんですよ。科学技術がどんどん進めば、新しい職業が生まれますから。

私たちはコンピュータと闘う必要はないし、パートナーにした方がいい。特に最近のディープラーニング(人工知能による機械学習の最先端手法)の成果などを見ていると、もう、正解のある分野はコンピュータの方がうまくやるようになる日は近いと思います。人間は正解のない分野で頑張る。そして正解がわかれば、あとはコンピュータに任せるという分担しかないと思いますよ。

為末 ── スポーツもエンターテイメントに近い世界なので、やっぱり人が介在する方がいいですね。背景には、テクノロジーの力で成長している事実があってもいいんですが、観戦者の納得感という意味では、最後のところはボルトのようなスターを見たい訳ですから。

坂村 ── スポーツで体を動かすという行為は昔からあまり変わっていないのに、記録がどんどん伸びている。食べるものも良くなって人間の身体自身がパワーアップしているのもありますが、やっぱり科学していることが要因として大きいはずです。どういうことをすると速く走れるのか、研究が進んだのでしょう。

為末 ── 本当にそうですね。陸上競技の練習のほとんどは実験です。「こうやったら速くなれるんじゃないか」という仮説を検証しているのがほとんどですから。身体の感覚や感性の領域と、それを外の世界と結び付けるテクノロジーの領域。僕は両方とも好きなので、これからも向かい合いたいと思います。

坂村 ── 私はコンピュータを使って、30年ぐらい前から障害をお持ちの方を助ける活動をしています。「TRONイネーブルウェア」と言いますが、不可能だったことを可能にするための運動をしているんです。障害を持っている方が100人いらっしゃると、100人の要求が違うんですね。結構これは大変で、全ての要求をコンピュータだけでサポートする訳にもいきません。そういうコンピュータができない仕事があるとき、人間の力を助けることに回せるんですね。

為末 ── ICTやIoTというキーワードでどういう未来が訪れるのか、ようやく今日わかった感じがしました。人間の幸福度が高くなるような方向に色々なものが動いていくといいなという気がしますね。

[ 脚注 ]

*4
羽生善治: 将棋棋士(棋士番号175)。1970年生まれ。1996年に将棋界で初の7タイトル独占を達成する。永世名人(十九世名人)・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世棋聖・永世王将の永世称号を持つ。
*5
接地局面: 歩行や走行運動における、足が地面に接地している状態。

Profile

坂村 健(さかむら・けん)
※写真右

電脳建築家。東京大学大学院情報学環学際情報学府教授。ユビキタス情報社会基盤研究センター長。

工学博士。専攻はコンピュータ・アーキテクチャ(電脳建築学)。

1951年東京生まれ。1984年からオープンなコンピュータアーキテクチャTRONを構築。TRONは携帯電話の電波制御をはじめとして家電製品、オーディオ機器、デジタルカメラ、FAX、車のエンジン制御、ロケット、宇宙機の制御など世界中で多く使われている。現在、いつでも、どこでも、誰もが情報を扱えるユビキタス・ネットワーキング社会実現のための研究を推進している。2002年1月よりYRPユビキタス・ネットワーキング研究所長を兼任。
2015年 ITU(国際電気通信連合)創設150周年を記念して、情報通信のイノベーション、促進、発展を通じて、世界中の人々の生活向上に多大な功績のあった世界の6人の中の一人として選ばれる。
IEEEフェロー、ゴールデンコアメンバー。
2002年総務大臣賞受賞、2003年紫綬褒章、2006年日本学士院賞受賞。

著書に『ユビキタスとは何か』、『変われる国、日本へ』、『不完全な時代』、『毛沢東の赤ワイン』、『コンピューターがネットと出会ったら』など多数。SF評論家、コラムニストとしての一面も持つ。

為末 大(ためすえ・だい)
※写真左

元陸上選手、400mハードル日本記録保持者(47秒89、2001年)。

1978年広島生まれ。2001年世界陸上エドモントン選手権および2005年世界陸上ヘルシンキ選手において、男子400mハードルで銅メダルを獲得。

2000年シドニー、2004年アテネ、2008年北京と、3大会連続でオリンピックに出場。2012年に25年間の現役生活から引退を表明した。

2014年パラリンピックの強化拠点について議論するための有識者会議委員、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員。2015年ブータン五輪委員会(BOC)のスポーツ親善大使、新国立競技場整備計画経緯検証委員会委員。 著書に『日本人の足を速くする』『走りながら考える』『負けを生かす技術』『諦める力』など。近著は『為末大の未来対談』。

2010年に一般社団法人アスリート・ソサエティ設立、2012年に為末大学開講、2014年にXiborg設立。スポーツ、社会、教育、研究に関する活動を幅広く行っている。

http://tamesue.jp

Writer

神吉 弘邦(かんき ひろくに)

1974年生まれ。ライター/エディター。
日経BP社『日経パソコン』『日経ベストPC』編集部の後、同社のカルチャー誌『soltero』とメタローグ社の書評誌『recoreco』の創刊編集を担当。デザイン誌『AXIS』編集部を経て2010年よりフリー。広義のデザインをキーワードに、カルチャー誌、建築誌などの媒体で編集・執筆活動を行う。Twitterアカウントは、@h_kanki

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