No.003 最先端テクノロジーがもたらす健康の未来 ”メディカル・ヘルスケア”
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シンクロトロンは直径30mにも及ぶ巨大な装置であり、圧巻であった。この中を陽子や炭素イオンが100万程度も周回し、最大で光速の約70%の速度まで加速されるという。まさに最先端技術の結晶である。回転ガントリー室にも感銘を受けた。患者は身体を動かす必要はなく、ベッドに横になったまま、照射角度を360度自由に変えることができ、あらゆる場所のがんに対応できるようになっているのだ。ガントリー照射室は非常に静かであり、患者の中には自分の好きなCDを持参し、ラジカセで聞きながらリラックスして治療を受けている方もいるそうだ。

シンクロトロンの写真
[写真] 陽子線や炭素イオン線にエネルギーを与えて加速するシンクロトロン
回転ガントリーの写真
[写真] 回転ガントリーによって、任意の方向からの粒子線照射が可能になる
ガントリー照射室での治療風景の写真
[写真] ガントリー照射室での治療風景

さまざまな技術提案を行い、粒子線治療技術の進化に貢献

兵庫県立粒子線医療センターは、実際の治療の現場から生まれた、さまざまな技術提案を、装置を開発した三菱電機に対して行ってきたという。同センターが果たしてきた技術貢献について次のように語った。「120件くらいの技術的な提案を行い、我々の装置に搭載してきました。そのうち、15件は三菱電機が特許を取得済みです」。同センターの提案によって実現した主な技術改良としては、陽子線から炭素イオン線、あるいは炭素イオン線から陽子線への切り替え時間の大幅な短縮(当初は1時間必要だったが、2011年8月には90秒、2012年4月からは60秒に短縮され、現在は30秒でも可能)や、パルスビーム間隔の短縮により、陽子線の実照射時間を6割短縮したことなどが挙げられる。

このように粒子線治療技術は日々発展しているが、世界の中でも日本はトップランナーに位置しているという。亀井氏曰く「施設数では世界の3分の1程度が日本に集中しています。特に、炭素イオンに関しては、圧倒的に日本が多いです」とのことだ。 そのため、海外からの視察や患者がくることもあるという。

今後は粒子線治療施設が増加し、保険適用の可能性も

現時点で、粒子線治療が可能な施設は全国でわずかしかなく、やはり患者数に対して、施設数が十分とはいえない。2004年に文部科学省が出した報告書には、がん患者数が50万4000人、そのうち6.5%の3万3000人が粒子線治療に適応するというデータが掲載されており、その数字に基づくと、少なくとも数十施設が必要になる。実際に、施設の建設計画が具体的に進んでいるところもいくつかあり、今後、粒子線治療がより身近なものになっていくことは間違いない。現時点では、健康保険が適用されていないが(民間のがん保険では先進医療として、支払い対象となるところが増えている)、保険適用への検討が行われている段階にあり、2014年度春に、陽子線については小児がん、炭素イオン線については骨肉腫など、一部のがんへの粒子線治療に健康保険が適用される可能性があるという。

新規施設支援へ新会社を設立

兵庫県立粒子線医療センターの装置は、部品点数10万点を超える非常に大がかりなシステムだが、さまざまな工夫により、99%以上の稼働率を実現している。しかし、万一、システムがダウンしてしまうと、患者に迷惑がかかるため、福島県の南東北がん陽子線治療センターと、鹿児島県のメディポリス指宿がん陽子線治療研究センターとの間で、治療連携を結んでいる。この2施設の立ち上げはもちろん、その他の施設についても、センターが計画段階から支援をし、医師や放射線技師、医学物理士などの人材育成も行ってきたという。

また、同センターがこれまで蓄積してきた粒子線治療に関するノウハウを活かすために、設立された会社が「株式会社ひょうご粒子線メディカルサポート」である。ひょうご粒子線メディカルサポートは、兵庫県が80%出資をし、そのほか治療装置メーカーなど関連会社5社からの出資で2011年11月に設立された。同社の設立目的は、新規粒子線治療施設のスムーズな立ち上げや安全かつ効率的な治療の実施を支援し、多くの患者がより身近に、安全で効果の高い粒子線治療が受けられる環境作りを促進することである。すでに国内外の多くの医療機関や関連団体から問い合わせを受け、実際に商談を進めているという。

粒子線治療は、副作用がほとんどなく、患者に負担がかからない、夢のようながん治療法である。もちろん、すべてのがんに適用できるわけではないが、今後、この治療が普及発展していくことで、がん克服に近づくことは間違いないだろう。粒子線治療装置の中核をなすシンクロトロンは、元々は、素粒子の実験のために考案された機器であるが、医療分野に応用されている点が、非常に興味深い。高エネルギー物理学のように、一見、日常生活にはあまり関係がなさそうな最先端の基礎科学の研究も、実は世の中の様々な分野で役に立っていることを示す、好例だといえる。

Writer

石井 英男

1970年生まれ。東京大学大学院工学系研究科材料学専攻修士課程卒業。
ライター歴20年。大学在学中より、PC雑誌のレビュー記事や書籍の執筆を開始し、大学院卒業後専業ライターとなる。得意分野は、ノートPCやモバイル機器、PC自作などのハードウェア系記事だが、広くサイエンス全般に関心がある。主に「週刊アスキー」や「ASCII.jp」、「PC Watch」などで記事を書いており、書籍やムックは共著を中心に十数冊。

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