No.015 特集:5Gで変わる私たちのくらし
連載02 あらゆるモノに知性を組み込むAIチップ
Series Report

第1回
AIは、いつもそばにいて欲しい

 

  • 2017.9.30
  • 文/伊藤 元昭

IBM、Google、Apple、Intel ——。これらIT業界の巨人たちは今、死力を尽くしてある半導体チップを開発している。人工知能(AI)を宿す専用チップ、いわゆる「AIチップ」である。近未来の生活や仕事、社会活動を一変させる、あきれるほどの力を秘めるAI。学習と推論といったAI固有の処理には莫大な計算能力が必要になり、現時点ではデータセンターで実行する必要がある。そのため、ユーザーの手元にある機器の中にAIを組み込むことはできず、応用が制限されているのだ。AIチップは、こうした状況を打開する最重要パーツとなる。本連載では、第1回でAIチップが求められる背景を、第2回で各社が開発しているAIチップの技術を、第3回で未来のAIチップの姿を解説する。

もはやAIは、単なるブームではなくなった。新聞、雑誌、テレビでAIについて語られない日はないほどであり、想定されている応用分野も極めて広い。「自動運転車」「Industry4.0」「予知保全」「デジタルヘルス」「スマート農業」といった、それぞれの産業において新しい時代を拓くと目されるコンセプトは、AI技術の発達とその応用拡大の上に構築されていると言っても過言ではない。

「AIの民主化」に向けた応用の拡大

2017年に入って、GoogleやMicrosoftなど多くのIT企業が、AIに関して同じスローガンを口にするようになった(図1)。生活や仕事、社会活動に破壊と創造をもたらす力を持ったAIを、莫大な資金力を持った一部の企業や機関だけではなく、多くの企業や個人が利用可能な環境を作り上げることを目指した運動だ。Googleなどは、AIの活用に欠かせない計算能力や開発環境などを積極的にオープン化し、AI活用の裾野を広げ、様々な応用での活用を加速しようとしている。

Googleなどが「AIの民主化」を打ち出して応用を加速
[図1] Googleなどが「AIの民主化」を打ち出して応用を加速
出典:Google「Google Cloud Next ’17」

現在のAIは、導入や運用に莫大な資金が必要で、高価で大掛かりな情報システムである。例えば、社内のITヘルプデスク業務にIBMの「Watson」を導入した三菱商事は、導入と運用に2億5000万円を費やした。Appleの音声認識アシスタント「Siri」やGoogleの検索エンジンのバックヤードで動いているAIのように、IT企業が自社資金で導入・運用し、無料提供しているサービスならば誰でも活用できる。しかし、中小企業や個人が独自に導入し、新しいサービスを生み出すために活用できるような代物ではない。

AIシステムを高価なものにしている最大の原因は、データの分類や未来の状態を推測する「推論処理」や、多くのデータから傾向を抽出して作業精度を高める「学習処理」に、莫大な計算量の演算を実行する必要がある点にある。AIシステム内部の処理とは、すなわち膨大な回数の乗算と加算を繰り返す処理である。画像データを対象にして写っているモノを認識する推論処理を実行すると、1枚の画像当たり1億回から1兆回の積和演算を行うことになる。さらに、学習処理は、推論処理に比べてもケタ違いに負荷が大きい。画像に写っているものが何であるのか、正確に判断できるようになるための学習処理では、ある程度の満足のいく判断結果が得られるようになるまでに、1京(10の16乗)回から100垓(がい:10の22乗)回の積和演算が必要になると言われている。AIシステムの中で、実際にどのような演算を行っているかは、今回の文末の「参考解説」をご一読いただきたい。

AIを実現する莫大な演算能力を確保する2つの方法

推論処理や学習処理というのは、パソコンに搭載されているごく普通のマイクロプロセッサには荷が重すぎる処理である。演算に時間が掛かりすぎてしまい、実用には向かない。小さな画像を認識するための簡単な推論処理ならばできるかもしれないが、学習処理にはほぼ使えない。このため、積和演算を高速に実行するための高性能コンピュータが必要になるのだが、その実現手段には大きく2つのアプローチがある。

1つは、高性能なサーバーを無数に並べたデータセンターで処理をして、莫大な演算能力を確保する方法である。AIでの積和演算の処理は並列実行できるため、多くのコンピュータを同時に使えば負荷分散させることができる。クイズ番組にも参加したことがあるWatsonや、iPhoneのユーザーをアシストするSiriが使われている様子を見ると、いかにも端末の中にAIが入っているように見える。しかし実際には、AIはそこにはおらず、データセンター内に宿っているのだ。

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