No.011 特集:人工知能(A.I.)が人間を超える日
Scientist Interview
 

──現状のデータセンタでは、既に大量消費する電力の確保が問題になっています。さらに電力の消費量が高まるのは問題ですね。

欧米では、既にコンピュータの消費電力低減に関する研究活動が始まっていますし、またIBM東京基礎研究所のサイエンス&テクノロジー・チームも以前から消費電力の低減に向けた取り組みに積極的に取り組んでいます。

ビッグデータの利活用は、データセンタのみならず、より人に近いところでデータを扱うエッジ側でも、コグニティブ・コンピューティングを実現し、人をより良く支援するために、消費電力の低減は重要な課題です。

例えば、監視カメラで24時間365日ずっと画像を撮り続け、サーバに送り続けたらどうなるでしょうか。人がより早く対応しなくてはならない状況では、サーバでのデータ処理に加えて、より人に近いところで異常検知情報を高速に伝達するようなシステムがあれば、より役立つ可能性があります。その他にも、自動車のように、ネットに常時接続していることを保証できないシステムもあります。どのような環境下であっても、反射神経的に応対できるシステムが求められます。

こうした要求に応えるためには、エッジに搭載できる、超低消費電力でコグニティブ・コンピューティングを実現できる技術が必要なのです。

脳は驚くほどの高効率で高度な処理をこなす

──研究開発のテーマであるニューロモーフィック・デバイスが、なぜビッグデータの利活用を阻む課題を解決する答えになるのでしょうか。

ニューロモーフィック・デバイスならば、これまでのコンピュータが抱えていた電力効率の悪さを解消できる可能性があるからです。先ほどお話したように、通常のハイエンド・サーバの消費電力は、数十kWにもなります。ところが、もっと高度な処理を実行しているはずの私たちの脳は、約20Wしか消費していません。これは驚くべき高効率です。現在のコンピュータと人間の脳のアーキテクチャの構造の違いが、こうした効率の違いを生み出しているのです。コンピュータ用語で表現するならば、「超並列処理」と「非ノイマン型アーキテクチャ」のふたつを同時に実現することがポイントになります。それぞれについて簡単に触れたいと思います。

まず、人間の脳は、現在のコンピュータに比べて、圧倒的に低い動作周波数で高度な処理をしています。コンピュータでの動作周波数は、1秒間にどれだけの処理をこなすかを決めますから、高ければ高いほど高性能になります。しかし、その一方で、動作周波数の向上は、消費電力の著しい上昇を招きます。コンピュータの中で処理を実行しているマイクロプロセッサは、最新のチップでは5GHzという高い周波数で動作します。ところが、人間の脳は何と10Hz程度で動いています。

脳がこれほど低い動作周波数でも、高度な処理を実行できている秘密は、極めて並列度の高い処理ができる構造を採っていることにあると考えられます。つまり、同時に数多くの処理を実行できるため、ひとつひとつがゆっくり動いても、全体では多くの処理ができるわけです。人間の脳を構成する1つのニューロン*1からは、信号線が8000から1万本出ていると言われています。この信号線の数が、並列度を決めますから、かなり高い並列度を持っていることになります。これに対し、現在のマイクロプロセッサなどでは、チップを構成するひとつの素子からアクセスできる素子の数は、数十から百個に過ぎません。ニューロモーフィック・デバイスの開発では、脳の超並列処理をお手本にした構造をいかにして実現するかが重要になります。

──脳は、現在のコンピュータよりも、多くのことを同時に処理しているのですね。

また、これまでのコンピュータは、一貫してノイマン型と呼ぶアーキテクチャに沿って作られてきました。演算処理を実行する演算器が、プログラムに書かれた処理手順と処理結果を、1ステップずつ確かめながら処理して、コンピュータの汎用性を高める構造です。ステップごとに、実行すべき演算の命令と処理対象のデータを逐一メモリから読み出し、演算結果も逐一書き込む動作をします。コンピュータが誕生してから70年間、現在に至るまで使われ続けてきました。数々のメリットがある構造で、今後も正確な計算処理を行ううえで欠かせないものです。唯一大きな問題となっているのが消費電力です。演算器とメモリの間で命令やデータをやり取りする時に大きな電力を消費するためです。このノイマン型のアーキテクチャの消費電力の低減に貢献する研究開発を現在でも行っています。

非ノイマン型アーキテクチャでは、マイクロプロセッサで演算器とメモリそれぞれに役割分担していた処理機能と記憶機能が、シナプス結合*2に統合された構造を採っています。このため、処理に際しての命令やデータの読み出しと書き込みはしません。これは、脳からヒントを得た構造のアイデアです。

[ 脚注 ]

*1
ニューロン: 動物の神経系を構成する細胞。1つの細胞は、細胞核がある細胞体、他のニューロンから情報を入力する樹状突起、他の細胞に出力する軸索で構成される。樹状突起と軸索が絡みあい、電気信号を伝えるネットワークを形成することで、そこに脳の機能や記憶が出来上がる。
*2
シナプス結合: ニューロン同士の間に形成される、情報伝達に関わる接合部。生物の場合には、化学物質を媒介した情報伝達(化学シナプス)と、電気信号を媒介した情報伝達(電気シナプス)がある。このうち化学シナプスには、活動状態に応じてシナプスの伝導効率が変化する性質(シナプス可塑性)があり、これが学習や記憶に重要な役割を持つとされている。半導体デバイスで人の脳を模すためには、この化学シナプスの挙動を再現する必要がある。

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