No.011 特集:人工知能(A.I.)が人間を超える日
Scientist Interview

材料と製造装置の分野での日本の優れた技術が必要だ

──既に現時点で、かなりの性能を実現できているのですね。

はい。一方で、IBMでは現在、次世代デバイスに新しい材料や製造方法を導入し、人間のシナプスの結合の度合いを参考にして、処理や記憶を表現できる全く新しい素子構造の採用を目指して研究活動を行っています。

次世代デバイスでは、相*6が変化することで抵抗値が変動する材料でメモリ素子を作ります。配線の交点部分にその相変化メモリを置き、外部からのパルス(信号)が繰り返し与えられるにつれ、そこの抵抗が自然に低下するしくみです。滅多にパルスがこない状態を、記憶する価値の無い情報とみなし、そこの素子は抵抗が高いまま残ります。デバイス自体の経験、つまり素子特性の経時変化を、記憶に活用しようとするものです。製造技術的には相変化メモリ(phase-change memory)のような不揮発性メモリに近いイメージになります。

次世代デバイスは、処理や記憶を不揮発性(電源を供給しなくても記憶を保持出来る性質)にできる、非ノイマン型アーキテクチャになります。これによって、他で学習した処理手順をチップに移すのではなく、チップ自体で学習し続けていける機能を持つことができます。

──次世代コンピューティングの中核デバイスの開発に、新しい材料や製造技術が求められているというのは、そうした分野で高い技術を持つ日本企業にとっては、多くのチャンスが生まれそうですね。

ニューロモーフィック・デバイスの実現には、これまでの半導体チップの進化を支えてきた半導体製造プロセスを活かすのはもちろんのこと、新しい材料とそれを活用するための製造プロセスが欠かせません。その実現に向けて、日本企業の技術力には大いに期待しています。先に紹介した相変化素子の実現には、物性を精密に制御できる技術の確立が不可欠になります。そこで、日本企業が持つ材料と製造装置に関する高度な技術と深い知見が欠かせないのです。確かに、この分野に強い日本企業にとって、この分野の要求に応える技術を蓄積し、経験を積むことで、将来の大きなビジネスが拓くと思います。

 

コンピューティングの次の50年の礎を創る

──お話を聞くほどに、約半世紀前にマイクロプロセッサを生み出したIntel社などの仕事を、目的を一新してゼロの状態から再度取り組んでいるようなものだと感じました。

新しい研究テーマに取り組むことに、とてもやり甲斐を感じています。私たち単独でこれほど大きなテーマを完遂することはできないと考えています。実はIBMでは2016年、「IBM Research Frontiers Institute」と呼ぶオープン・リサーチ・コンソーシアムを設立しました。コンソーシアムでは、ニューロモーフィック・デバイスに加え、量子コンピュータやバイオ系デバイスなど、さまざまな業界、分野のパートナーと共に世界を変えるようなイノベーションを起こすことを目標に、画期的なコンピューティング技術に関する10テーマの研究開発プロジェクトを進めています。

この枠組の中で、ニューロモーフィック・デバイスの研究開発では、3年後までに具体的なアプリケーションを想定し、実際に社会に貢献できる技術であることを判断するための社会実装に挑みます。既に、IBM Research Frontiers Institute にはSamsung Electronics社、JSR、本田技術研究所が設立メンバーとして参加されています。

──ニューロモーフィック・デバイスも、マイクロプロセッサと同様に、次の50年間進化し続けるようなエキサイティングなデバイスになるのでしょうか。

何を持って人間に貢献するデバイスであるのか、その評価軸は今後変化していくかも知れません。単純な性能向上で進化が測られるわけではないと考えています。ただし、何らかの進化軸に沿って、継続的に進化し続けていく大きな伸びしろを持った技術であることは確かだと思います。

日本は、材料、装置、デバイス、部品、システム、サービスまでサプライチェーンが高度に集積した、希有な地域です。日本の半導体産業は現在数々の課題解決に直面していますが、この地の利を生かして、ニューロモーフィック・デバイスの研究開発を通じて、もう一度強いサプライチェーンを作ることができるのではないかと考えています。その一助となれるよう、今後も研究に邁進していきたいと考えています。

[ 脚注 ]

*6
相: 気体、液体、固体といった状態、金属などでの結晶構造の違いを相と呼ぶ。例えば、水蒸気と水、氷は同じ分子構造だが相が異なり、木炭とダイヤモンド、フラーレンは同じ物質、同じ固体であるが相は違う。同じ物質であっても、相が違えば物理的、化学的な性質が大きく変わる。この性質の変化を利用して、半導体デバイスの機能を作る試みが数多くされている。
 

Profile

山道 新太郎(やまみち しんたろう)

日本アイ・ビー・エム 東京基礎研究所 サイエンス&テクノロジー 部長 新川崎事業所長

1989年京都大学大学院工学研究科修了後、日本の半導体メーカーにて半導体前工程と後工程の研究開発に従事する傍ら、1997年米カリフォルニア大バークレー校客員研究員、2002年には京都大学・工学博士号を取得。2013年より日本IBM(株)東京基礎研究所にて、サイエンス&テクノロジー・チームの一員ならびにシニア・リサーチ・スタッフ・メンバーとして、Cognitive Computingに向けたハードウェアの研究企画に従事、2016年より同研究所サイエンス&テクノロジーのチーム・リーダーとして当研究開発を牽引している。

Writer

伊藤 元昭

株式会社エンライト 代表。

富士通の技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、日経BP社と三菱商事の合弁シンクタンクであるテクノアソシエーツのコンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動、日経BP社 技術情報グループの広告部門の広告プロデューサとして4年間のマーケティング支援活動を経験。2014年に独立して株式会社エンライトを設立した。同社では、技術の価値を、狙った相手に、的確に伝えるための方法を考え、実践する技術マーケティングに特化した支援サービスを、技術系企業を中心に提供している。

http://www.enlight-inc.co.jp/

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