No.010 特集:2020年の通信・インフラ
連載01 人工知能の可能性、必要性、脅威
Series Report

職の再定義は、時代の要請

また、人工知能の利用が進んでいる米国では、税理士や薬剤師の仕事が成り立たなくなってきているという。過去の膨大な事例からパターンを抽出し、これを基にして個々の案件に最適な判断を下すような作業が人工知能は大得意なのだ。さらに、レントゲン写真やMRI、CTスキャンの画像を分析して、癌などの悪性腫瘍を医師よりも高精度で見つけ出す人工知能や、裁判所が出した全ての判決文やそこで引用された過去の判例などを分析して、判事の個性に合わせて裁判を有利に進めるために用意すべき資料をアドバイスする人工知能などが実用化されている。

「機械が人間の仕事を奪う」という切り口から見れば、こうした状況は懸念すべき事態である。しかしそもそも、融資や税相談、医療、法律相談などで人間による高度なサービスを受けられるのは、ごく一部の富裕層に限られる。一方で人工知能による代替が進めば、より多くの人にまでサービスが行き渡るようになるとも言える。これは、確実に進歩だ。少子高齢化、過疎化、社会インフラコストの増加など、サービスを必要とする側のニーズと提供する側の体制が釣り合わなくなる社会問題が数多くある。人工知能は、これらを解決するための切り札になり得る。

大学受験を目指す人工知能、偏差値は57.8

国立情報学研究所では、2011年から「ロボットは東大に入れるか」という人工知能のプロジェクトを進めている。「東ロボくん」と呼ぶ人工知能が、2016年までに大学入試センター試験模試で高得点をマークし、2021年には東京大学の入学試験を突破することを目標に掲げている。

入試問題は、問題文を解析する自然言語の処理をはじめ、さまざまな種類の処理能力が問われる総合的な課題である。しかも、点数と偏差値によって成果を定量的に評価できるため、技術開発の進捗を測りやすい。大学入試問題への挑戦を通し、人工知能が人間に取って代わる可能性のある分野は何かを考える際の指針を指し示すことがプロジェクトの狙いだ。

東ロボくんは、2015年11月に毎年恒例で受験している大学入試センター試験模試で偏差値57.8を記録した(図2)。数学(数学ⅠA、数学ⅡB)と世界史の計3科目では、偏差値60を超えた。この成績は、私立大学の441大学1055学部、国公立大学の33大学の39学部で合格可能性が80%以上になる学力に相当するという。

東ロボくん、進研模試 総合学力マーク模試・6月を受験した結果の図
[図2] 東ロボくん、進研模試 総合学力マーク模試・6月を受験した結果
出典:国立情報学研究所のホームページ

人工知能+幼稚園児=東大生

東大に入れるロボットができた暁には、おそらくホワイトカラーの仕事の7割以上が、人工知能で代替できる状態になるという。ただし、人工知能には、意外な落とし穴があるようだ。

例えば、センター入試の英語のリスニング問題の中には、イラストで描かれた選択肢の中から回答を選ぶという形式のものがある。あるとき、「会話に出てきたケーキの形を4つのイラストの中から選びなさい」といった問題が出たが、東ロボくんはイラストがケーキを表していることを理解できないまま試験が終わってしまったのだという。イラストが機械学習では学んだことのないショートケーキの絵だったからだ。しかし、人間はなぜか、このような見たことがないようなものを、初見で理解してしまう。これは、今の人工知能では太刀打ちできない能力だ。

「機械はまだイラストも理解できないような状態だから、人間は安泰」と思った人もいるかも知れない。ところが、そんなに簡単には考えられない。人工知能が苦手な作業領域を一部、人間がサポートすれば、人工知能はその力を存分に発揮できるからだ。例えば、東ロボくんとイラストを識別できる幼稚園児がタッグを組めば、東京大学への合格も果たせるかもしれない。人工知能のパートナーは、人間でありさえすれば、幼稚園児でも大学教授でも変わらない。人工知能のインパクトは、まさにこうした点にある。

星新一とバッハが蘇る

「人工知能が発達しても人間にかなわないのでは」と多くの人が信じている仕事をくくるキーワードが3つある。「創造性(creativity)」「管理(management)」「おもてなし(hospitality)」である。しかし、これらのキーワードに関連する仕事を、本当に人工知能は苦手なのか。これら3つのキーワードに関わる人工知能技術の開発動向を見てみると、はなはだ疑わしいことが分かってくる。

まずは、「創造性」に関わる取り組み。はこだて未来大学の松原仁教授のグループは、「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」と呼ぶ人工知能で短編小説を書く技術を開発するプロジェクトを進めている。SF作家の星新一氏が残した1000編の短編小説を題材に、短く鮮やかな星氏の文章の構造や発想法を学習させて、2017年までにファンが満足する新作を発表することを目指している。既に人工知能が作成した作品を、第3回星新一賞*1に匿名で応募するレベルには達している。

作曲する人工知能も既にある。作曲家であるデビッド・コープ氏は、「Emmy」と呼ぶ人工知能にバッハの音楽を学習させ、バッハ風の曲を作曲させてみせた。音楽の批評家を対象にしたブラインドテストでは、約半数がバッハの曲であると答えたそうだ。驚くべきは、その曲数で同氏のホームページには、Emmyが作曲した5000曲ものバッハ風音楽が掲載されていることだ。

挙げた例は、「有名な小説家や作曲家のマネばかりではないか」と思う人もいるかもしれない。しかし、人工知能では何人かの教師を手本にして、新鮮味のある創作物を作ることも可能だ。創作のレベルは人間の主観で判断される。どのような創作物を人間が好むのかといった分析は、人工知能ならばお手のものだ。学習を継続していくことで、人工知能の創造性は、着実に高まっていくことだろう。ちなみに、人工知能が作った音楽や絵画、小説などの創作物を著作権保護の対象とすべきか、日本政府の知的財産戦略本部は既に検討を始めている。

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