No.010 特集:2020年の通信・インフラ
連載01 人工知能の可能性、必要性、脅威
Series Report

人工知能が人工知能を進化させる日

人工知能の技術は進化し続け、社会の出来事から学び、処理や判断の質は加速度的に高まっていく。では、人工知能の行き着く先には何があるのか。ここまでは、人間と人工知能の適性の違いに着目して、両者の関わりを考えてきた。ここからは、人工知能の進化の先にあるものについて考えたい。

最近、「シンギュラリティー(技術的特異点)」という言葉を聞く機会が増えてきた。これは人工知能の知性が、地球上の人間の誰よりも高くなる日のことを指している。何をするにしても、人間が考えた方法よりも、人工知能が考えた方法の方がよい結果が得られる状態に突入する日のことだ。米国の未来学者のレイ・カーツワイル氏は、著書『The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology』の中で、その日は2045年に到来すると予言している(図5)。人間が火やこん棒のような道具を使うようになって以来、技術の進化の担い手は常に人間だった。人工知能も人間が生み出したものである。しかし、シンギュラリティー以降には、技術の進化の担い手が人工知能に移る。

2045年以降、技術の進化の担い手は人工知能になる図
[図5] 2045年以降、技術の進化の担い手は人工知能になる
出典:カーネギーメロン大学教授のハンス・モラベック氏の図

シンギュラリティーの到来を、不吉な未来の始まりだと考える人は多い。電気自動車のメーカーであるテスラモーター社の創業者イーロン・マスク氏は、人工知能は将来「核よりも危険」になる可能性があると懸念。その安全性を目指す研究プログラムに1000万米ドルを寄付した。マイクロソフト社の創業者ビル・ゲイツ氏は、「機械は我々のために多くの仕事をして、きちんと管理すればポジティブな役割を発揮するが、数十年後のロボットの知性には大いに注意すべきである」としている。さらに車いすの天才物理学者として有名なケンブリッジ大学のスティーブン・ホーキング博士も「人工知能が自分の意思をもって自立し、とんでもない速さで自分自身を設計し直して能力を上げることもあり得る。ゆっくり進化することしかできない人間に勝ち目はない。いずれは人工知能に取って代わられるだろう」と語っている。

シンギュラリティー後を迎えた将棋界

シンギュラリティーを迎えた後、人はどのように人工知能と向き合っていったらよいのか。実は、シンギュラリティー後の世界が既に垣間見えている業界がある。しかも、飛び切り頭のいい人たちが集まる業界、将棋界である。ここには、人間と人工知能がどのように共存していくのか、多くのヒントが見えている。連載の最後に、将棋界の現在について触れたい。

チェス、将棋、囲碁は、知的ゲームの代表だ。プロがコンピュータに最初に負けたのはチェス。1997年、当時20世紀最高と呼ばれた世界王者がIBM製のコンピュータ「Deep Blue」に負けた。次に負けたのが将棋である。2013年に開催されたプロ棋士5人と5種類の将棋ソフトが対戦する「電王戦」で、3勝1敗1分でコンピュータが勝利した(図6)。そして2015年、ついに囲碁でも敗北した。グーグルの人工知能研究部門が開発した「AlphaGo」が、欧州チャンピオンと対戦し、5戦全勝した。

2013年 電王戦の対戦結果の図
[図6] 2013年 電王戦の対戦結果
出典:日本将棋連盟のホームページ
図中の第4局の「持(もち)」とは、勝負がつかなくなった状態で,双方が規定の駒数(点数)を保持している場合をいい,引き分けとなる。

将棋界で有段者が、コンピュータに負けるようになったのは、2006年の世界コンピュータ将棋選手権に「Bonanza」という当時無名のソフトが初出場で優勝した時からだ。開発者は自身では将棋をほとんど知らない、現在電気通信大学 准教授である保木邦仁氏であり、強さの秘密は「機械学習」にあった。保木氏が、2009年にBonanzaのプログラムを無償で公開すると、優れたプログラマーが参入し、公開されたプログラムを基にして強いソフトが次々と生まれた。そこからの進歩は急激で、あっという間にトッププロに追いついた。

2012年に 故米長邦雄永世棋聖がコンピュータに負けた時、羽生善治 四冠は、「これからは、コンピュータの計算処理能力から導かれる1手を、人間の知性で理解し、同じような結論を導き出せるかを、問われるような気がしてならない」と言った。その言葉通り、人工知能にコロコロと負けるようになって以降のプロ棋士は、人工知能をスキルの向上に積極的に利用するようになった。現在では、プロ棋士の公式戦で指した新手の多くがコンピュータの打ち手からヒントを得て、それを咀嚼したものになった。プロ棋士は、自分たちよりも優れた人工知能のいる世界に適応したのだ。

1996年の将棋年鑑で、「コンピュータがプロ棋士に勝つ日はいつですか?」というアンケートの結果が掲載された。多くの棋士は「来ない」と答えた。負ける日が訪れることを前提に、明確に年まで答えたのは、森口俊之九段の「2010年」、羽生善治四冠の「2015年」だけだった。ちなみに、2002年以降14年間、将棋で最も格式と歴史のある「名人」の称号は、この2人のいずれかしか獲得していない。「名将は名将を知る」とはまさにこのことだ。

人工知能からも学ぶようになったプロ棋士は、連敗するようなことはなく、むしろ打ち手が多様化して、考えようによってはおもしろい時代に入った。人工知能を、あなどることなく、恐れることもなく、毅然と利用するプロ棋士のスタンスからは、学ぶべきことが多そうだ。

[ 脚注 ]

*1
星新一賞: ショートショートと呼ばれる短編小説を得意とする日本を代表するSF作家、星新一にちなんで、理系的な発想力によってつくられた短編小説を対象とする公募文学賞。一般部門、ジュニア部門、学生部門に分けて募集されている。応募規定の中に、「人間以外(人工知能など)の応募作品も受付けます。」とはっきりと明記されている。主催は日本経済新聞社、東京エレクトロンも協賛し、優秀賞(東京エレクトロン賞)を贈っている。

Writer

伊藤 元昭

株式会社エンライト 代表。

富士通の技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、日経BP社と三菱商事の合弁シンクタンクであるテクノアソシエーツのコンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動、日経BP社 技術情報グループの広告部門の広告プロデューサとして4年間のマーケティング支援活動を経験。2014年に独立して株式会社エンライトを設立した。同社では、技術の価値を、狙った相手に、的確に伝えるための方法を考え、実践する技術マーケティングに特化した支援サービスを、技術系企業を中心に提供している。

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