No.002 人と技術はどうつながるのか?
Scientist Interview

感覚・体験を共有する

タッチ・インターネットが拓く未来

2012.07.09

エイドリアン・チェオク (慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科 教授)

ライフジャケットのような服が ぎゅっと体を締め付けると、まるで誰かに抱きしめられているような気分になる。これは、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科のエイドリアン・チェオク(Adrian Cheok)教授が開発した、遠く離れた者同士でハグする「ハギー・パジャマ」という装置だ。チェオク教授は、触覚を始めとする五感を使ってコミュニケーションを行う「タッチ・インターネット」の研究を進めている。ネットで感覚や体験を共有できるようになった時、はたして社会はどう変化するのだろう。

(インタビュー・文/山路達也 写真/MOTOKO)

離れた場所にいる人同士でハグをする

ハギー・パジャマの仕組みのイメージ
[図表1] ハギー・パジャマの仕組み。触覚センサー付きの人形を親が抱きしめると、その信号がインターネットを経由して子どもの着ているハギー・パジャマに伝わる。子どもは親に抱きしめられているかのような感覚を得られる。

──チェオク教授は、ハギー・パジャマ(Huggy Pajama)を始めとして、触覚を利用してコミュニケーションする「タッチ・インターネット」の研究を進めています。どういう経緯で、このような研究に取り組むようになったのでしょう?

タッチ・インターネットの契機になったのは、2000年代の初めに私が取り組んでいたAR(Augmented Reality:拡張現実)の研究です。これは物理的な空間に仮想的な3Dオブジェクトを合成して表示するというもので、当時はとてもエキサイティングな取り組みでした。しかし、たんに3Dオブジェクトを見るだけでは、コミュニケーションするのに不十分だと考えるようになったのです。

それに、我々はすでにデジタルメディア時代に生きており、過剰な視覚的情報に囲まれています。さらなる視覚情報を加えるのは、人々にとってあまり有益とはいえません。それよりも、人々はよりよいコミュニケーション体験を求めているのではないか。例えば、離れた場所にいる人同士がいっしょにいるように感じられるには 、どのように感覚を拡張すればよいかと発想するようになりました 。

そこでまず触覚について考え始めました。触覚というのは人間にとって最も重要かつ根源的な感覚です。はるかな過去、目や耳を進化させるより先に、生物は触覚を発達させてきました。触覚に関する信号を処理する箇所は大脳辺縁系 にあり、人間の脳内でも最大の領域を占めています。

これまでの研究でも、触覚が人間にとって重要だということがわかっています。1950年代に行われたルネ・スピッツ(René Spitz)博士の研究では、十分な触れあいを得られなかった幼児の死亡率は、得られた幼児に比べて圧倒的に高いことが示されました。

また、ハリー・F・ハーロウ(Harry F. Harlow)博士は、アカゲザルを使った代理母の実験を行いました。アカゲザルの赤ちゃんを母親から引き離し、針金でできた ミルクを出す人形と、ミルクは出ないが 手触りが よくて温かい布製の人形のどちらを好むかを調べたのです。アカゲザルの赤ちゃんはいつも布製の人形を好み、死にそうになるまで針金製の人形の方に 行こうとはしませんでした。

インターネット時代の我々は、365日24時間、誰かとつながっているというハイパーコネクテッド(hyper-connected)な状態にあります。人間社会において、このような状況は過去に例がありません。しかしネットでつながっているにもかかわらず、人々の孤独感は増すばかりです。我々は、インターネット上においても、五感を通じたコミュニケーションを行う必要があるのではないでしょうか。

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