否定という壁を乗り越えたい
── 最後にお二人が目指す「ゴール」と、そこへ至るまでに乗り越えようとしている「壁」についてお聞かせください。
栗城 ── 僕の場合、山自体がリアルな「壁」だらけなんですけれども(笑)。僕がチャレンジしている本当の壁は、山じゃなく、人の「心」じゃないかと思っているんですね。それを僕は越えていきたい。
何か新しいことにチャレンジしようとする時、まず否定されてしまうという経験を多くの人がすると思います。僕は大学3年生の時、マッキンリーという北アメリカの最高峰に初めて一人で向かうと決めましたが、大学の先生や友達全員に否定されたんです。反対ならまだいいんですが、はなから「お前にはできっこない」「お前は馬鹿なんだから」という感じでした。でも、最終的に父親だけが「信じているよ」と背中を押してくれたんです。その影響はとても大きかったですね。その一言があったおかげで今もチャレンジを続けていられます。
松崎 ── 私も振り返ると、鹿児島生まれで、鹿児島の大学を出て、そこから研究者として生きていこうと志したのですが、地方大学出身だと「なかなかやっていくのは難しいんじゃないか」とさんざん言われてきました。
でも、私は非常に楽観的なところがあるので「研究には適性も多分あるだろうし、ダメだったらその時点で考えればいい。長い人生、違う道もあるかもしれない」と腹を括れました。ダメになるまではチャレンジしていたい、と思いながらずっと続けてきましたね。
研究に挫折は付きものと伝える
栗城 ── 否定という壁を超えて、みんなが応援し合える世界にしたいという想いから活動を続けてきました。それで冒険の共有を考えて、生中継をしたり、講演したりしているわけです。
近い将来のゴールとしてエベレストの登頂がありますが、最終的にはみんなが自分の山 ── つまり夢や目標にチャレンジする時にお互いが応援し合える時代を作りたいなと思っています。
自分がエベレストに登ってすごいとかではなく、もっとみんながチャレンジできる社会にどうやったら近付けるのかというのがテーマですね。
山を登ることによって学ぶことはいっぱいあるので、エベレスト登頂後も登山をやめることは恐らくないでしょう。みんながチャレンジしやすい文化をどう作るか。それが僕のゴールかもしれません。でも、こう言うと、ゴールってないのかなとも思っていて。
松崎 ── 私の研究分野の場合、ゴールは臓器を作ることですね。しかし、それは最終的には人間を作るということになってしまうので、それがいいのかどうかに関してはまた別の問題になります。しかもそれを実現するのは、現状ではとてもハードルが高くて難しい。
生きているうちに辿り着けるのかどうかも判りませんけれども、はなから諦めるのではなく、そこに向かって努力して、道の途中でも患者さんの助けになるものがあるはずですから、少しでも世の中に還元していきたいと思っています。
あとは、教育者としてもやらなければいけないことがあります。大学ですから、学生さんと一緒に研究をしていますが、彼らも日々ハードルを感じているようです。
研究者を続けていると、挫折を味わう瞬間もあるんですね。でも、壁にぶつかる経験をして、その乗り越え方を学ぶと、必ずその先に繋がっていきます。いかに壁を乗り越えるかを学生さんに助言したり、一緒になって乗り越える方法を模索したりすることが大事だと思いますね。
Profile
松崎 典弥(まつさき みちや)
1976年鹿児島生まれ。大阪大学大学院 工学研究科応用化学専攻 准教授。博士(工学)。専門分野は機能性高分子・バイオマテリアル。
1999年鹿児島大学 工学部 応用化学工学科 卒業。2001年鹿児島大学大学院 理工学研究科 応用化学工学専攻 博士前期課程 修了。2003年鹿児島大学大学院 理工学研究科 物質生産工学専攻 博士後期課程 短期修了。
日本学術振興会特別研究員、スウェーデン ルンド大学大学院 免疫工学専攻客員研究員等を経て、2005年大阪大学大学院工学研究科応用化学専攻 明石研究室へ。2015年より現職。
2008年より科学技術振興機構さきがけ「統合1細胞解析のための革新的技術基盤」領域研究者 兼任。
1999年より「多機能性生分解性高分子材料に関する研究」、2003年より「ナノ構造を制御した薬物徐放材料の構築に関する研究」、2005年より「細胞とマテリアルの融合による三次元組織の構築に関する研究」に取り組んでいる。
日本化学会進歩賞、高分子学会Wiley賞、第一回野口遵賞など受賞多数。
http://www.chem.eng.osaka-u.ac.jp/~akashi-lab/index.html
栗城 史多(くりき のぶかず)
1982年北海道生まれ。登山家。
大学山岳部に入部してから登山を始め、6大陸の最高峰を登る。その後、8,000m峰4座を単独・無酸素登頂。エベレストには登山隊の多い春ではなく、気象条件の厳しい秋に6度挑戦。見えない山を登る全ての人たちと、冒険を共有するインターネット生中継登山を行う。
2012年秋のエベレスト西稜で両手・両足・鼻が凍傷になり、手の指9本の大部分を失うも、2014年7月にはブロードピーク8,047mに単独・無酸素で登頂し、見事復帰を果たした。これからも、単独・無酸素エベレスト登頂と「冒険の共有」生中継登山への挑戦は続く。
また、その活動が口コミで広がり、人材育成を目的とした講演や、ストレス対策講演を企業や学校にて行っている。
著書に『一歩を超える勇気』(サンマーク出版)、『NO LIMIT 〜自分を超える方法〜』(サンクチュアリ出版)、『弱者の勇気』(学研マーケティング)など。
Writer
神吉 弘邦(かんき ひろくに)
1974年生まれ。ライター/エディター。
日経BP社『日経パソコン』『日経ベストPC』編集部の後、同社のカルチャー誌『soltero』とメタローグ社の書評誌『recoreco』の創刊編集を担当。デザイン誌『AXIS』編集部を経て2010年よりフリー。広義のデザインをキーワードに、カルチャー誌、建築誌などの媒体で編集・執筆活動を行う。Twitterアカウントは、@h_kanki