体内で酵素を作る遺伝子でパーキンソン病に挑む
── 安全性の向上が、実用化を後押ししているということですね。治療の効果は、期待したものが得られるのでしょうか。
数多くの臨床試験で、著しい効果を発揮することが確認されています。私たちが手がけた、神経の病気に適用した例を、治療の原理と共にいくつか紹介しましょう。まず、パーキンソン病の治療例です。
パーキンソン病は、脳の黒質(中脳の一部にある神経核)の神経細胞が死んでしまい、神経伝達物質であるドパミンを作ることができなくなることで起こる病気です。健常人では、この黒質の神経細胞が線条体(運動機能などに関わる大脳の構成要素)まで突起を伸ばして、ドパミンを供給しているのですが、パーキンソン病ではこれが途絶えてしまいます。ドパミンは脳を円滑に動かすために欠かせないエンジンオイルのようなものです。薬などで、体の外から補うことはできません。神経細胞の中で、原料物質から合成する必要があるのです。遺伝子治療では、生き残っている線条体の細胞にドパミンを合成する機能を付加して、病状を改善するという戦略で治療法を組み立てます。
まず、体内でドパミンが合成される理屈は次のようなものです(図1)。黒質から伸びた神経の終末の中では、アミノ酸の一種であるチロシンから、L-dopaという物質を経て、ドパミンが合成されています。原料となるチロシンは、食事をすることで血管から供給されます。そして、チロシンからドパミンを合成する過程では、TH(Tyrosine hydroxylase)とAADC(aromatic-L-amino-acid decarboxylase)という2つの酵素が必要になります。THによってチロシンからL-dopaを合成し、AADCによってL-dopaからドパミンを合成します。さらに、THの働きを助ける物質として、テトラヒドロビオプテリン(BH4)が必要になり、それを短時間で合成するにはGCH(guanosine triphosphate cyclohydrolase I)という別の酵素が必要になります。つまり、原料からドパミンを作るには、3種類(TH、AADC、GCH)の酵素をそろえる必要があるのです。
ところが、パーキンソン病が進んでくると、ドパミンを作る神経終末自体がなくなり、またドパミンを合成するための酵素の活性度も落ちてきます。私たちが考えた遺伝子治療では、パーキンソン病を根治するため、線条体の神経細胞にドパミンの合成に必要な酵素を作り出す遺伝子を、AAVベクターを使って導入します。
ただし、本来備わっている酵素を作り出すすべての機能をいきなり付加するのは難易度が高いと考え、まずL-dopaからドパミンを合成する機能を付加することに絞った治療で臨床試験を進めました。ドパミンは外から補うことはできませんが、L-dopaならば薬を服用することで外から補うことができます。実際、パーキンソン病の薬物療法ではL-dopaの投与が行われています。こうした薬物療法は、ドパミンを作る神経終末とそこでのAADCの効力が残っている場合に限って有効ですが、遺伝子治療を併せて行えば、パーキンソン病が進んだ状態でも効果が期待できます。
1回の治療で効果は生涯続く
── 効果はどうでしたか。
2007年から始まった試験では、6人の患者さんを治療しました。治療を施した患者さんは、例外なく目を見張る回復を遂げました。
治療は、頭に10円玉くらいの穴を空けて、片側2カ所、合計4カ所からAAVベクターを注入(図2)して行います。1カ所に入れる量は、わずか50マイクロリットルにすぎません。脳内で作られた酵素を検知できる陽電子断層撮像装置(PET)という検査装置があるのですが、これを使って治療後の脳内の様子を調べ、酵素がきっちりと作られていることが確認できています。しかも、強調したい点は、1回治療すれば、ドパミンを合成する能力が生涯続くことです。定期的に遺伝子を補充する必要はありません。また、遺伝子を導入したことで、脳に悪影響をおよぼすこともありませんでした。
こんな例もあります。パーキンソン病と同様の症状を起こす病気で、先天的にAADCが作られない先天性AADC欠損症と呼ばれる病気があります。世界に百数十人しかないないのですが、台湾には約30人の患者さんがいます。病気を引き起こす遺伝子の変異を、台湾で脈々と引き継いでしまっているのです。
2007年、私たちのパーキンソン病での治療の成果を報道したニュースを、台湾で見た現地の医師が、患者さんである子供をつれて自治医科大学までやってきました。しかし、遺伝子治療の臨床試験は国の許可を受けて実施しているため、簡単に治療することはできません。そこで、ベクターを作るための素を提供しました。そして台湾で寄付金を集め、米国のベンチャー企業に委託してベクターを製剤したのです。