No.013 特集 : 難病の克服を目指す
Scientist Interview

神経関連の疾病以外にも応用が広がる

── 酵素が関係している病気ならば、ほとんどのものに遺伝子治療が利用できそうです。汎用性が高い治療法ですね。

その通りです。AAVベクターに入れることができる遺伝子のサイズは4キロ塩基強が限界ですが、幸いなことに治療に用いる多くの遺伝子は、このサイズに収まります。酵素欠損による子供の疾病は、何百種類もあります。例えば、ムコ多糖症、ライソゾーム病などです。その他、血友病や網膜色素変性症、耳鼻科の病気などにも利用できますし、肝臓の代謝疾患などにも効果を期待できるでしょう。

病気になってからの治療に使うのではなく、病気になる前に予防的に治療を施すというアイデアもあります。例えば、アルツハイマー病になりやすい遺伝子を持っている方でも、予防的に治療をしておけば、原因物質の蓄積を防ぐことができるのではないでしょうか。

── 私も今のうちに予防しておきたいところです。遺伝子治療に掛かるコストは高いのでしょうか。また、実用化に向けて、どのような課題を抱えているのでしょうか。

正直なところ、現時点では遺伝子治療にはかなりの費用が掛かります。ただし、これは生産体制が十分整っていないことに原因があります。日本国内でAAVベクターを作れる会社は、現時点でタカラバイオ株式会社しかありません。

さらに、基礎研究から臨床試験までの流れを、もっと迅速に進める体制づくりも必要になると考えています。欧米では、AAVベクター研究の黎明期から携わってきた著名な研究者たちが、今では全員が企業に籍を置いています。欧米は、アカデミアで研究を進めるフェーズから、産業化のフェーズへと完全に移行したのです。もはや、いかに早く技術を応用するかに関心が移っています。大学での研究だけでは、時代の要請に追いつかないのです。米国に比べて日本は、こうした動きから体感的に10年以上遅れてしまっているように思えます。

こうした現状を打破するため、私は、放射線専門の個人開業医院である宇都宮セントラルクリニックの佐藤俊彦理事などと共同で、株式会社遺伝子治療研究所というベンチャー企業を設立しました。研究拠点を、神奈川県川崎市にある再生・細胞医療の産業化拠点、ライフイノベーションセンターに置いています。

早期の実用化をたぐり寄せるベンチャーを設立

── 遺伝子治療研究所ではどのような活動をしているのでしょうか。

タカラバイオ株式会社と共同で、治験薬の製造管理や品質管理の基準をクリアしたGMP(Good Manufacturing Practice)ベクターを作っています。ただし、それだけではニーズに追い付きません。応用範囲が広いため、ニーズが生産能力をはるかに上回っているのです。このため、自前で生産施設を作っており、いずれはタカラバイオ株式会社と並行して、多くのニーズに対応したベクターを作れる体制を整えたいと考えています。ニーズに応えるには、100ラインくらいは作りたいところです。

── まず、どのような病気の治療に向けたベクターを生産するのでしょうか。

技術的に高度なのですが、ALS用のベクターの生産に取り組みたいと考えています。難易度が高い理由は、ターゲットとなる細胞すべてにベクターが入らないと効かない可能性があるからです。このため、最も実用化が難しい病気だと思います。だからビジネスとして考えれば、ALSは後回しにした方が合理的かもしれません。それでも、医師としての人道的な立場から、実用化が延びると患者さんが次々と亡くなってしまうALSに取り組みたいのです。幸い、日本医療研究開発機構(AMED)がその点を理解しており、研究費を配分していただきました。

また、パーキンソン病用のAAVベクターのように、脳の一部に少量導入するだけでよいものならば、ラインを1回動かすだけで1000人分を作ることができます。この生産にも取り組みたいですね。生産技術が着実に進歩しているため、生産コストはどんどん安くなっています。パーキンソン病ならば、おそらく100万円以下で治療できるようになるでしょう。現在の電極を入れて症状を抑える手術では、300万円以上の費用が掛かりますが、それだけあれば確実に遺伝子治療ができます。しかも、効果は一生続くわけですから、安上がりです。10年後には、遺伝子治療はごく普通に行われるようになると考えています。

遺伝子治療の実用化は社会の要請である

── 医療保険制度が崩壊の危機に立たされているのですから、遺伝子治療のような根治療法に向けた治療法は、社会問題の解決に資すると思うのですが。

同感ですね。社会的な課題を背景にして、遺伝子治療を取り巻く環境は、これからの5年、10年の間に劇的に改善していくと思っています。医療関連の企業や機関のビジネスモデルを変えなければならない時期にも差し掛かっていますが、遺伝子治療は新しい時代のニーズに合致していると思います。

日本では、iPS細胞の活用に注目が集まり、「再生医療等の安全性の確保等に関する法律」、いわゆる再生医療法が施行されました。ここでいう「再生医療等」の「等」とは、遺伝子治療を指します。私たちが作る製剤は、再生医療法の枠組みの中で、これまでよりも迅速に実用化できる状況になりました。これからが勝負だと考えています。

村松 慎一(むらまつ しんいち)
 

Profile

村松 慎一(むらまつ しんいち)

自治医科大学地域医療学センター東洋医学部門および内科学講座神経内科学部門特命教授、東京大学医科学研究所遺伝子・細胞治療センター特任教授、(株)遺伝子治療研究所取締役

群馬県高崎市出身。1983年自治医科大学卒業。群馬県で地域医療に従事した後、自治医科大学院で大脳基底核の生理学的研究を行う。長野原町へき地診療所長を経て、1995年米国国立衛生研究所(NIH)の客員研究員となり遺伝子治療の基礎研究を開始した。1997年に帰国後、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症、アルツハイマー病などに対する遺伝子治療を開発している。現在、遺伝子治療の他、人工知能による総合診療システム開発など先端医学研究を行う一方で、日常診療では漢方薬も使用する。

Writer

伊藤 元昭(いとう もとあき)

株式会社エンライト 代表。

富士通の技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、日経BP社と三菱商事の合弁シンクタンクであるテクノアソシエーツのコンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動、日経BP社 技術情報グループの広告部門の広告プロデューサとして4年間のマーケティング支援活動を経験。2014年に独立して株式会社エンライトを設立した。同社では、技術の価値を、狙った相手に、的確に伝えるための方法を考え、実践する技術マーケティングに特化した支援サービスを、技術系企業を中心に提供している。

http://www.enlight-inc.co.jp/

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