子供の人生を変えた治療
その後、2010年に患者さんの具合が急変したため、私が台北に飛んで治療しました(図3)。治療の結果、寝たきりだった患者さんが、今は立って歩けるまでに回復しました。こうした成果を受けて、日本の先天性AADC欠損症の患者さんにも治療を施すようになりました。ある神奈川県の子供の患者さんは、元々症状の軽い子ではあったのですが、普通の学校に通えるまでになりました。世界でもこうした治療ができる医療機関はなく、2月にはオーストラリアから来る子供を治療する予定です。さらにロシアとカナダからも依頼がきています。
── 治療を受けた子供は、人生が変わりましたね。
本当に治療してよかったと思います。
パーキンソン病に話を戻すと、これまではAADCを作り出す機能を付加する治療をしてきました。食物由来のチロシンからドパミンを作るためには、さらにTHとGCHを作れるようになる必要があります。これら2つを作り出す機能を発現する遺伝子も、1つのAAVベクターに入れることが可能です。これができれば、患者さんは薬を飲まなくても暮らせるようになります。
そのための臨床試験を今計画しており、サルを使った実験では、既にうまくいっています。15年前に治療したサルが先日死んだので、解剖して確認したところ、15年間導入した遺伝子が機能していたことを確認できました。
アルツハイマー病の原因物質を溶かす酵素
── 待ち遠しいですね。その他の病気への適用例はありますか。
動物を使った実験では、様々な病気の治療に効果があることがわかっています。
例えば、アルツハイマー病の原因は、アミロイドβ(Aβ)と呼ばれるペプチド(アミノ酸が40程度結合してできた物質)が脳に蓄積することにあると言われています。老人斑と呼ばれるシミのようなものが脳に出てくるのです。これについては、理化学研究所の西道隆臣先生が治療の端緒をつかむ発見をしました。ネプリライシンという酵素がそのシミを溶かすことを見つけたのです。酵素が効くのならば、ネプリライシンを作る遺伝子をAAVベクターで導入すれば治療できます。実際、十数年前にネズミを使って実験してみたところ、脳のシミがきれいに消えてしまいました。
ただし、治療対象が脳全体に及ぶため、脳に何カ所も穴を空けなければなりません。現実的にそんなことはできませんから、研究も止まっていたのです。そこで数年前、血管内から導入するベクターを開発しました(図4)。一般に、薬を脳全体に行き渡らせるのは難しいのですが、この改良型AAVベクターならばうまく入るのです。この手法は特許化しています。既にネズミでは治療効果を確認しており、今後は人に応用しようと考えています。
ただし、実用化に向けては、極めて高い臨床試験でのハードルを越えなければなりません。アルツハイマー病の患者さんは数が多いので、膨大な人数を対照とした試験を行い、十分なデータを得る必要があります。しかも回復したことを確認するのには、何年も追跡調査しなければなりません。こうした臨床試験に、ものすごい時間と資金が必要なのです。このため、超高齢化社会できわめて重要な病気ですが、残念ながら臨床試験が後回しになっています。
治療法の確立が渇望される難病、ALSの治療に道
── 何とかならないものか、という感じですね。
もっと緊急性が高く、遺伝子治療の安全性を端的に示せる治療対象として重視しているのが、運動神経が死滅する病気であるALSの治療への応用です。
ALSの本当の原因は、よく分かっていません。しかし、東京大学医学系研究科の郭伸先生が、運動神経が死滅する原因としてADAR2と呼ぶ酵素が減っていることを発見しました。そのADAR2をなくしたネズミではALSと同じように運動神経が脱落することを明らかにしました。そこで、私の開発したAAVベクターにADAR2を作る遺伝子を組み込んで血管から注入すると運動神経の脱落が抑制できることを確認しました。ALSの治療に道が拓いたのです。
血管からAAVベクターを入れると、全身に回ってしまって非効率です。そのためサルを使って、背中から針を刺して脊髄腔内から導入する実験をし、脊髄から脳へときれいに導入できることを確認しました。脊髄が人と同じくらいの長さのブタでも確認済です。ALSを治療するAAVベクターは現在作製中であり、1年後には臨床試験をしたいと考えています(図5)。遅くとも来年中には治験を始めることができると思います。