No.003 最先端テクノロジーがもたらす健康の未来 ”メディカル・ヘルスケア”
Cross Talk

生命はシステムか、
ダイナミズムか?

福岡 ── 科学は可能なことを教えてくれますけれど、絶対にできないことも教えてくれますよね。例えば、永久機関*13というのは、過去ずっといろいろな人が作り続けたけれども「エネルギーの保存の法則」から絶対にできません。

同じように「エントロピー増大の法則」*14から、秩序あるものは秩序が壊れる方向にしか動かないのが分かります。そして時間もそちらの方向に流れる。生命という高度な秩序は、何とか動的平衡によってエントロピーを排除して生きながらえるので、人間の場合はメンテナンスを特にしなくても、平均的に70~80年は生きられるのです。

──生命になぜ寿命があるんでしょうか。

福岡 ── テロメア*15説とか、細胞の分裂限界説とか、いろんな説や理論がありますけれども、一番の根本は、エントロピー増大の法則には決して逆らえないからです。つまり、秩序あるものは秩序がなくなる方向にしかいかない。多少は遅くしたり、長らえることはできるかもしれないけれども、不死にすることはできません。

個体が次々と死んでいくのは、その個体だけを見ると悲しいことだし、医学にとって患者の死は敗北に見えることもあるかもしれない。けれども、生命の全体の流れから見ると、死というのは最大の利他的な行為なんです。ある個体が死ぬから、新しい個体がその場所を継いでいくわけだし、死んだ個体の分解物を他の生物が利用できるのですから。

それが38億年の間、地球上では連綿と続いてきました。生命が死ななかったら、進化もないし、多様性も生まれなかったでしょう。だからやっぱり死というのは、あらかじめ生命にとって準備されたものだと私は思うんです。

──福岡先生の「動的平衡」論に対して、阿部先生の感想はいかがですか。

阿部 ── 私は生命はシステムだと思っていますが、おそらく見方の違いだけだと思います。システムと言っても、サイバネティクスを提唱したウィナー*16の言うような、単純なシステムではないんですね。ダイナミックに動いているシステムですし、1つのシステムではなくて、2つ以上のシステムが絡まっている複雑系ですから、当然カオスになっています。初期値依存性*17にどんどん変わって揺らいでいるけれど、あるアトラクター*18の中には収まっているようなシステムなんです。人間はまさしくそうなんですが、人間の精神もそういうふうに理解できるような時代になったのではないか、と私は先ほど言いたかったんですね。

福岡 ── 生命をシステムと捉えるか、ダイナミズムと捉えるかは、二項対立のようにも見えるけれども、見方の違いでもあると言うのは面白いですね。何をシステムと呼ぶかという定義の問題でもある。それは本当にカオスであり、どういうふうに振る舞うかは予測できないようになってしまう。

しかし、ある初期値を与えて、その中で阿部先生はアトラクターとおっしゃいましたが、そのいくつかの変数というか、要素ですよね。その振る舞いによって、あるいはその要素と要素の因果関係によって、ものすごく複雑なプログラムになるんだけれども、最終的には記述可能であると。つまり、時間の変数として各要素の振る舞い方を記述すれば模倣できる、と考えるのがシステムの考え方だと思うんです。

生命をシステムとして見なしきれるか、私はちょっと懐疑的です。生命の振る舞い方の中には、全く初期値が同じでも、あるいはその後いろいろ与えられた条件が全く同一でも、違う状態というのがいっぱいあると思うんです。時間の関数としてすべての変数の振る舞いが予言できたとしても、その結果が違う。これは私の勝手な見解なので生物学者の共通の理解では全然ないのですが、因果律だけでは説明できないようなことが生命の中にあるような気がしています。

阿部 ── ハードウェアとソフトウェアを別々に考えられるようになり、古典的な人間機械論は有効でなくなったのが現在です。つまり、デカルトはもう要らないよとなった今、医用工学には何ができるのか。人工臓器もただ作ればいいという時代ではなくなりました。

目の中に入れる白内障治療の眼内レンズみたいなものは確かに物質のみです。でも、もっと複雑なものを作ろうとすると、形だけ作っても決してできないんですね。中にどういうソフトを詰め込むかがすごく大事になってくる。体の持っているシステムのソフトと、人工臓器のソフトをどういうふうに合わせるかが、重要な研究課題になってきています。ハードも大事だけどソフトも大事という、おそらく生物学もそちらの方向に向かうんでしょう。

福岡 ── 最終的に科学は言葉で説明しないと出口に行かないわけですから、言葉で説明することが求められます。生命はシステムなのか、ダイナミズムなのか。仮にダイナミズムだとしても、要素を枚挙できただけでは分からないわけだから、それはどのようにしたら記述できるのか。

実験科学としての研究は若い人たちに委ねて、今後は哲学として生命を考えたい。私は「生命とは何か」という命題を、自分自身の言葉で考えていこうと思っているところです。

[ 脚注 ]

*1
機械論:自然界の諸現象を、因果法則による機械運動として解釈する立場。「人間は、精神と肉体が分かちがたく結びついた機械」としたデカルト(フランスの哲学者・数学者)の説は、17世紀における科学の発達を背景に大きな影響を及ぼした。18世紀にフランスの医師、ド・ラ・メトリが著した『人間機械論』で唯物論的に先鋭化する。
*2
渥美和彦(1928年〜):東大名誉教授。専門は医用工学。補助人工心臓の実用化技術で実績がある。お茶の水博士のモデルと言われている。
*3
クリスチャン・バーナード(1922年〜2001年):南アフリカ共和国の心臓外科医。1967年、世界初となるヒトからヒトへの心臓移植手術を成功させた。
*4
阿久津哲造(1922年〜2007年):元テキサス・ハート・インスティテュート教授、元テルモ会長。1958年、世界で初めて開発した人工心臓で、イヌを約1時間半の間、生存させた。
*5
ウイリアム・ハーヴィー(1578年〜1657年):イギリスの解剖学者、医師。血液循環説を唱えた。
*6
MPC(MethacryloyloxyethylPhosphorylCholine)ポリマー:生体膜の構成成分である、リン脂質極性基(ホスホリルコリン基)を有するポリマー。抗血栓性などの生体適合性を有し、分子設計が自由に施せる素材。
*7
CFD(Computational Fluid Dynamics):流体の運動をコンピューター内で観察する数値解析・シミュレーション手法。計算流体力学とも呼ばれ、従来は風洞実験が行われていた航空機や自動車、船舶などの設計現場で活用されている。
*8
心臓の制御における系統:「基本的には心臓を動かしている系統と、血管を動かしている系統の2つに分かれます。ただ、その血管系にもフィードバック系とフィードフォワード系があるんですね。α系、β系と呼びますが、それがどうなっているのか未だによく分からない。基本的には代謝に関係しているのはβ系というのが分かってきたので、今はβ系で制御してヤギが自分で人工心臓をコントロールする系を作れてはいるのですが、まだ心臓の制御系も解明されていないことが多いんです」(阿部氏)
*9
動的平衡(dynamic equilibrium):20世紀前半のアメリカの生化学者、ルドルフ・シェーンハイマーの発見した「生命の動的状態(dynamic state)」という概念を、福岡教授が拡張した理論。生命とは、平衡状態を目指す動的な流れであると提示した。
*10
ヒトゲノム計画:ヒトのゲノム(遺伝情報)の全塩基配列をコンピューターで解析するプロジェクト。1990年に米国のエネルギー省と資源省によって発足し、予定より2年早い2003年4月14日に解読完了が宣言された。
*11
リケッチア:宿主となる他の生物の細胞内でのみ増殖が可能な寄生体。ダニなどを媒介とし、ヒトに発疹チフスや紅斑熱を起こす。宿主細胞から取り出すと死滅する。
*12
チューリングマシン:1936年にイギリスの数学者・計算機科学者、アラン・チューリングにより考案された仮想機械。今日使われているコンピューターの理論的背景になった。
*13
永久機関:外部からエネルギーを供給されなくても、永久に仕事を行い続ける理論上の装置。エネルギー保存の法則(熱力学第1法則)と矛盾する。
*14
エントロピー増大の法則:エントロピーとは熱力学で、対象とする系内の状態を現す量の一つ。自然界ではエントロピーが増大する方向の現象だけが起こり、秩序ある状態はいつの間にか乱雑な状態になるということをこの法則は示している。
*15
テロメア:真核生物の染色体の末端にある構造で、DNAの分解や修復から染色体を保護する役割を持つ。ヒトの細胞では分裂を繰り返すごとにテロメアは短縮され、やがて個体の老化の原因となるという説がある。生殖細胞とガン細胞は例外で、テロメラーゼと呼ばれる活性酵素により無限の分裂を繰り返す。
*16
ノーバート・ウィナー(1894年〜1964年):アメリカの数学者。20世紀半ばに「生物と機械間でのコミュニケーションと制御」を目的に、生理学、機械工学、システム工学を統一した学問「サイバネティックス」(Cybernetics)を提唱した。
*17
初期値依存性:カオス理論においては、初期値のわずかな差が時間の経過とともに拡大して未来に大きく影響するため、決定論的なシステムでも未来の予測が不可能としている。初期値敏感性とも言う。
*18
アトラクター:引き付けるもの、という意味で「ある力学系がそこに向かって時間発展をする集合」を指す。決定論に従う力学系は関数によって記述できるため、その運動は位相空間における軌道の落ち着く場所(=アトラクター)として表現できるという考え。

Profile

福岡 伸一(ふくおか しんいち)※写真左
生物学者

1959年東京生まれ。農学博士。専攻は分子生物学。1982年京都大学農学部食品工学科卒業、1987年京都大学大学院農学研究科食品工学専攻博士後期課程修了、1988年ロックフェラー大学ポストドクトラル・フェロー(分子細胞生物学研究室)、1989年ハーバード大学医学部ポストドクトラル・フェロー。
1991年京都大学食糧科学研究所講師、1994年京都大学食糧科学研究所助教授、2001年京都大学大学院農学研究科助教授、2004年青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授、2011年青山学院大学総合文化政策学部教授、現在に至る。
著書に第29回サントリー学芸賞を受賞した『生物と無生物のあいだ』のほか、『プリオン説はほんとうか?』『動的平衡』など多数。近刊に『生命と記憶のパラドクス』がある。

阿部 裕輔(あべ ゆうすけ)※写真右
医用工学者、医師

1957年新潟生まれ。医学博士。1984年弘前大学医学部卒業、同年日本大学医学部第2外科学教室無給助手(外科研修医)、同年東京大学大学院医学系研究科博士課程(第2臨床医学)入学(1987年中退)。
1987年東京大学医学部付属医用電子研究施設臨床医学電子部門助手、1999年東京大学大学院医学系研究科医用生体工学講座助教授、2007年同准教授、現在に至る。
人工心臓やレーザー医学など、主として先端ME(医用工学)診断治療技術の研究と開発に従事。ウィーン大学との国際共同研究やチェコ・マサリク大学との国際共同プロジェクトなどに参加。1995年、ヤギを用いた完全置換型人工心臓動物の532日の生存を達成した(現在でも動物実験の世界記録)。

Writer

神吉 弘邦

1974年生まれ。ライター/エディター。
日経BP社『日経パソコン』『日経ベストPC』編集部の後、同社のカルチャー誌『soltero』とメタローグ社の書評誌『recoreco』の創刊編集を担当。デザイン誌『AXIS』編集部を経て2010年よりフリー。広義のデザインをキーワードに、カルチャー誌、建築誌などの媒体で編集・執筆活動を行う。Twitterアカウントは、@h_kanki

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