No.014 特集:テクノロジーとアートの融合
Laboratolies

文化は「型」であるという気づき、そしてスランプ

TM ── 無意識の流れに意識が向くようになったというご自身の中での変化は、研究や作品に影響したはずですよね。

土佐 ── 私が文化とコンピュータという発想に入っていく契機となったのは、MIT(マサチューセッツ工科大学)で「禅コンピュータ」(Art of ZEN)の研究をしたことでした。禅の入門は山水画を描いていくことです。禅林文化の精神性をユーザーに合わせてインタラクティブな装置で表現しようと思いました。禅コンピュータでは、石、山、月など、12個の素材を配置することによって山水画が描かれます。さらに、山水画には西洋にはない東洋独特の「三遠(さんえん)」という3種の遠近法の構造がありますが、そういったことをユーザーが知らなくてもコンピュータが裏で計算して、アイコンを配置していくだけで山水画的なものがつくられる仕組みです。このとき、デジタルの筆で墨絵を描けるようなインターフェースにしたらまるで意味がないんですね。コンピュータの良さは、手の技能を通さずに頭でイメージしたものを、そのまま目の前に表出できることにあります。絵が下手な人でも描けることが重要なのです。

Art of ZEN
[図2] Art of ZEN
写真提供:土佐研究室

土佐 ── ユーザーは自分でつくったデジタル山水画の中を旅して彷徨います。山に関係のある俳句を詠んだり、川に関係のある禅問答をしたりしながら散策していくうちに、次第に自分の心が覚醒していく。MITがあるボストンの人たちは、禅をただのリラクゼーションだと思っていたのですが、禅コンピュータのおかげで、禅には、禅問答などの教えがあることを理解してもらえました。

TM ── コンピューティングの力で文化を伝えるという手法がユニークですね。最も苦労したのはどういった点だったのでしょうか。

土佐 ── 禅問答をインタラクションさせるのが大変でした。ATRのカオス*4研究者と一緒に開発したのですが、山水画の舞台、禅のマスター(師匠)、ユーザーという3つのカオスを設定していて、それらを裏でインタラクションさせているんです。3つのカオスがどう動くかで次のインタラクションが決まります。例えば、京都の妙心寺には有名な「瓢鮎図(ひょうねんず)」の掛け軸がありますが、それに関する禅問答は「ぬるぬるのナマズを口の細い瓢箪(ひょうたん)でどう捕まえるか」というもので、明確な答えはありません。それに対し、どうユーザーが振る舞うかを見ているんですね。

この研究を通じて、日本文化を「型」で見るという方法を知ることになりました。京都大学へ来てさらに日本文化のコンピューティング研究を進めますが、この作品を最後にコンピュータをベースとしたインタラクティブな作品制作は、やめてしまいました。なぜなら、ここからもっと大きなアートへ行こうと思ったからです。

TM ── インタラクションの手法をやめても、コンピュータなどのテクノロジーを使い続けたのはどうしてですか。

土佐 ── 現代の最新技術を使うのがアートの定義であることに変わりはなかったからです。ただ、ちょっと理屈のほうに傾き過ぎたかな、と。それまでの作品は説明がないとすべてダメなんですね。作品を見た瞬間に鑑賞者が涙を流すといったことも一切ありません。それで2011年から2012年にかけて、いわゆるスランプに入りました。

TM ── それは研究者としてですか? それとも表現者として?

土佐 ── 研究者としてはそのままの路線で問題なかったと思うのですが、表現者のほうでうまくいっていない実感がありました。禅をきっかけに言葉によらない世界に気づけたわけですから、もっと表現者としての自分を深めることができると考えたのでしょうね。

[ 脚注 ]

*4
カオス: カオスとは「混沌」「無秩序」の意。不確定要素の多い現実の世界において、(コンピューターでは無限桁を扱えないため必然的に発生する)数的誤差により予測できないとされる複雑な様子を示す現象を扱うのがカオス理論。1960年〜70年代に研究が進んだ。

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