No.015 特集:5Gで変わる私たちのくらし
連載01 オーガニックな電子機器が変える未来の生活
Series Report

現実世界と仮想世界を円滑につなぐ

先に、無機物ベースのエレクトロニクスでは、「素子を小型化し、これを惜しみなく大量に使って、機器の多機能化と高性能化を図る」という開発コンセプトで、電子機器を進化させてきたと述べた。しかし有機エレクトロニクスでは、この基本的な開発コンセプトが大きく変わる。それは、「有機物の多様な物性を生かした特性を持つ素子を既存の道具に付加し、現実世界と仮想世界の情報のやりとりを円滑化する」というものだ。

ものづくりや物流、医療・ヘルスケア、農業など様々な分野への応用に向けて、IoTを活用した情報システムの開発が進んでいる。こうしたシステムでは、現場の状態や人の動きなどを検知するセンサのような入力素子や、それをモニタリングするディスプレイのような出力素子の役割が、今まで以上に重要になってきた。これらは、現実世界と仮想世界をつなぐ情報の出入口になる。ここで上手に情報を収集したり、伝えたりすることが、IoTシステム全体の価値を高めるための大前提となるのだから、その重要性が高まるのは当然だ。

センサには、温度・加速度・圧力・歪み・照度・電流・電圧、電界などの物理量、pH・物質の濃度、水分量などの化学量といった、単一のパラメータを計測するセンサのほか、画像を取り込むイメージセンサや音を取り込むマイクのように複合化した現象を検知するセンサなど、様々なものがある。同様に、出力素子にも、光、音、動きなど様々な出力媒体を扱うものが存在している。

ありのままの状態を知るのは結構難しい

これまでの素子開発では、入力素子では計測・検知するデータの正確さを、出力素子では画素数や音域など精緻さや表現の豊かさを追求することが多かった。ところが近年、正確さや精緻さよりも、モノや場所、人のありのままの状態を知り、さりげなく訴えかけるデータの入出力を重視するようになってきた。ありのままの状態の計測・検知、さりげない訴えかけとは、どのようなことを指すのだろうか。この点を端的に示す具体的な例を挙げて説明しよう。

大病院での精密検査に使うMRI(磁気共鳴画像診断装置)は大きく、高価で、扱いが難しい検査装置である。これは巨大で高度なセンサの進化形と言えるものだ。しかし、得られる情報は正確で極めて有用ではあるが、日常生活の中で気軽に体の状態を調べられる手段とは言い難い。しかも、検査中の被験者は閉ざされた部屋の検査台の上に括りつけられて、耳障りな検査音の中で長時間過ごすことになる。非日常の極みのような状況であり、このことがMRIで日常生活に近い体の働きを知ることを困難にしている。子供は怖がって、検査自体ができない場合もあるそうだ。このため、MRIのメーカーは、ありのままの状態を検査できるようにするため、涙ぐましい努力をしている(図5)。

子供が安心して検査できるように工夫したMRI子供が安心して検査できるように工夫したMRI
[図5] 子供が安心して検査できるように工夫したMRI
MRIメーカーのフィリップスは、人間工学など高度な英知を結集して被験者をリラックスさせる雰囲気作りをしている。その工夫が見られるのが、検査室の天井の調光や、壁に映し出す風景、流すBGMだ。そして、ボアと呼ばれる狭い空間でも、映像と音楽を楽しみながら検査を受けられる仕組みと、検査中の雑音を軽減する技術を、ソリューションとして販売している。
出典:フィリップスのニュースリリース

この例は、センサでデータを取得するという行為自体が、対象の状態を変えてしまう可能性があることを示している。同様のケースは、多くのIoTシステムのセンサ周辺で散見される。センサが妙に大きかったり、重かったり、高温や騒音、電磁波を発したり、人が違和感を受けたりと、測定対象の状態に影響を及ぼす原因は多々ある。また、出力においても、精緻な情報が必ずしも利用しやすい情報になるとは限らない。例えば、カーナビに表示される地図が細かすぎても、運転に役立つ情報を探しにくくなるだけだ。情報が多すぎると、画面を注視しなければならなくなり、かえって危険である。

IoTシステムの応用には、ありのままの情報の取得や、さりげない訴えかけがとても重要になるものが多い。機械の不具合の発生を事前に察知して対処する予知保全を行うためには、工場内にある稼働中の機械の動作に影響を与えることなくデータを取る必要がある。また、病気になりかけの状態を察知するには日常生活の中での生体情報を知り、生活習慣を矯正するためにさりげなく働きかける仕組みが必要だ。

ありのままの状態を知り、さりげなく訴えかけるためには、入出力素子にどのような機能が必要になるのか。一言で言えば、存在感を消すことに尽きる。この要求に応える技術こそ、有機エレクトロニクスなのだ。既にある、どんな形状のモノの表面にも、そのモノ本来の動きを妨げることなく、電子的な機能を付加できる可能性がある。無機物ベースのエレクトロニクスでは、なるべく素子や機器を小さく作って、違和感がないように機能を組み込むしかない。しかし有機物ベースであれば、あたかもモノや人の表面に描き込んでいるかのような自然さで電子的な機能を付加できる。

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