No.015 特集:5Gで変わる私たちのくらし
連載02 あらゆるモノに知性を組み込むAIチップ
Series Report

不揮発性メモリで、もう一段の飛躍

脳型チップは新しいコンセプトの半導体チップであり、技術的な伸びしろはまだ十分ある。現在は、多くの企業や大学、研究機関が、様々なアイデアを投入して、さらなる高性能化や低消費電力化に取り組んでいるところだ。

特に研究開発の事例が増えているのが、脳型チップ内の記憶装置となるメモリの不揮発化である。TrueNorthは、学習結果を反映したニューラルネットワークを記憶するメモリにSRAMを使っている。SRAMは電源をオフ状態にすると記憶が消えてしまうため、利用している間は、常時電源を供給する必要があった。これを、電源を切っても記憶が消えない不揮発性メモリに替えることで、さらなる低消費電力化が実現する。

ユタ大学とHewlett-Packard社が共同開発している脳型チップ「ISAAC」では、メモリに抵抗変化型メモリ(ReRAM*7)を採用する。また、産業技術総合研究所やパナソニックセミコンダクターソリューションズなども、ReRAMを採用した脳型チップの実現を目指す。一方、IBM社は、メモリ素子の材料の相*8が変化することで抵抗値が変動する相変化型メモリ(PCM*9)の活用を検討している(図6)。

相変化型メモリ素子を利用した脳型チップの試作品
[図6] 相変化型メモリ素子を利用した脳型チップの試作品
出典:IBMのホームページ

学習機能の組み込みも視野に

不揮発性メモリの採用は、現在の脳型チップの最大の課題の解決策になる可能性も秘めている。その課題とは、学習機能の搭載だ。AI関連処理には、データから処理方法を学ぶ学習処理と、学習した結果に基づいて入力したデータを分類したり傾向を抽出したりする推論処理があるが、TrueNorthは推論処理だけしか実行できない。あらかじめGPUなどを使って学習しておいた学習済みパラメータをチップに移植して、推論処理を実行する。しかしこの方法では、チップを搭載している機器での学習ができないため、利用シーンが限定されてしまう。

ReRAMを使うチップも、PCMを使うチップも、外部からパルス(信号)を繰り返し受け取ることで、メモリ素子の抵抗値が変化する特性を活用している。材料や素子構造を最適化することで抵抗値を連続的に変化させ、これを学習の習熟度として活用するための技術開発が進められているのだ。TrueNorthでは、シナプスのつながりの強さをデジタル値で記憶しているが、これをアナログ値である抵抗値の違いで表現できれば、メモリ素子を流れる電流値でアナログ回路的に積和演算を実行できるようになるという発想である。この構造や原理は脳内のニューラルネットワークと似ており、記憶と演算が一体化した構造になるため、実現すればノイマン型から完全に決別できる。

さらに、ほとんどパルスを加えなければ抵抗値の変動が小さく、頻繁に加われば大きく変動するようにできれば、これを学習に利用可能となる。推論処理を実行する脳型チップ自体に学習処理機能を付加できるため、利用シーンが広がるのだ。ただし、採用するメモリの材料に応じて、抵抗値の変化特性に合った学習アルゴリズムなどを開発する必要があり、技術的なハードルは高い。

究極のメモリ素子で記憶と演算を一体化

東北大学国際集積エレクトロニクス研究センター(CIES)は、ノイマン型ベースのAIチップにも、脳型チップにも適用できる、低消費電力化に向く不揮発性メモリ技術を開発した(図7)。磁気トンネル接合(MTJ*10)素子と呼ばれる、1ビットのデータだけを記憶する極小ハードディスクのようなメモリ素子を、AIチップの記憶装置として利用する技術である。

東北大学が開発したMJT素子の構造と動作原理(上)およびAIチップへの応用(下)
[図7] 東北大学が開発したMJT素子の構造と動作原理(上)およびAIチップへの応用(下)
出典:上は東北大学のニュースリリース、下は東北大学の資料をもとに加筆作成

MTJ素子は、同じ不揮発性のフラッシュメモリや抵抗変化型、相変化型などと比較して、読み出し/書き込み速度、最大書き換え回数、演算器を構成するCMOS回路との整合性などの面で優れている。0.5n~10n秒と高速な書き込み速度は、学習内容をアップデートする時間の短縮や、エッジ側に学習機能を組み込む上で有利になる。抵抗変化型の106回よりも9ケタも高い1015回の最大書き換え回数は、学習回数の上限を引き上げ、より的確な判断を下すAIチップを育てるのに向く。さらに0.3~0.4Vと低電圧でデータを書き込めるため、ロジック回路と混載利用しても昇圧せずに利用できる。

また同大学は、記憶装置をMJT素子で構成したノイマン型ベースのAIチップを試作し(図7下段の①)、記憶装置の中でアクセスする部分だけを起動させることも可能にした。これにより、搭載した全MJT素子のうち0.05%のみを起動させ、画像認識処理をわずか600μWで実行できることを確認している。さらに、演算装置のすぐ横に記憶装置となるMTJ素子を分散配置した脳型チップも試作し(図7下段の②)、第1世代のAIチップよりも3ケタ高い電力効率、2ケタ高い集積度を実現できることを実証した。

AIチップの進化は、まだ始まったばかりだ。おそらく今後数十年掛けて、段階的に高度化していくことだろう。脳型チップについては、現状では人間の脳の構造や動作原理が完全には解明されていないため、汎用性を損なうかたちでしか実現できていない。しかし、IoTシステムや自動運転車などの技術が発展するか否かは、AIチップの進化に掛かっているのだ。

[ 脚注 ]

*7
ReRAM: Resistive Random Access Memoryの略。電圧の印加によって電気抵抗の変化を利用した半導体メモリのことを指す。
*8
相: 相とは、液体、固体、結晶構造といった物質の状態を指す。相が変わると、様々な物理特性が変化する。
*9
PCM: Phase Change Random Access Memoryの略。結晶相は低抵抗で、結晶構造が崩れたアモルファス相は高抵抗になることを利用した半導体メモリ。
*10
MTJ: Magnetic Tunnel Junctionの略。MTJ素子は、磁性層/障壁層/磁性層の 3層を基本構造とし、それぞれの厚さが数nm以下の極めて薄い層によって形成された微小なメモリ素子。2つの磁性層の磁化が互いに平行のときMTJ 素子の抵抗は低くなり、反平行のとき抵抗が高くなる。電流の印加により、片側の磁性層中にある原子のスピン方向を変えて、磁性を反転させる。

Writer

伊藤 元昭(いとう もとあき)

株式会社エンライト 代表

富士通の技術者として3年間の半導体開発、日経マイクロデバイスや日経エレクトロニクス、日経BP半導体リサーチなどの記者・デスク・編集長として12年間のジャーナリスト活動、日経BP社と三菱商事の合弁シンクタンクであるテクノアソシエーツのコンサルタントとして6年間のメーカー事業支援活動、日経BP社 技術情報グループの広告部門の広告プロデューサとして4年間のマーケティング支援活動を経験。

2014年に独立して株式会社エンライトを設立した。同社では、技術の価値を、狙った相手に、的確に伝えるための方法を考え、実践する技術マーケティングに特化した支援サービスを、技術系企業を中心に提供している。

URL: http://www.enlight-inc.co.jp/

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