No.011 特集:人工知能(A.I.)が人間を超える日
連載02 魅惑の赤い星へ。人とロボットが挑む火星探査の最前線
Series Report
ローウェルが描いた火星の地形図の図
[図2] ローウェルが描いた火星の地形図。彼はこの溝のように見える地形を、火星人が造った「運河」だと思い込んだ(Image Credit: NASA)

その影響を受けた作家のH・G・ウェルズ(1860~1946)は1898年、火星人が地球に攻めてくるという内容のSF小説『宇宙戦争』を発表。1938年には米国で、この小説をもとにしたラジオドラマ番組が放送されたが、それを聞いた多くの人が、実際に火星人が攻めてきたと信じてしまったという逸話も残っている。20世紀も半分近くが過ぎた近代になってもなお、人々は火星を恐れていたのである。それは、それだけ火星のことを理解していなかったということの裏返しでもある。しかし同時に、このころ急速に進歩した科学・技術の力によって、いよいよ人類は、火星をより深く知ることができるようになった。火星を恐怖ではなく、好奇心の目で見る時代がやってきたのである。

成功率わずか3割足らず、死屍累々だった初期の火星探査

1957年10月4日、ソヴィエト連邦(ソ連)は人類初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げに成功。翌1958年1月31日には、米国も人工衛星の打ち上げに成功し、人類は宇宙に探査機や人を送り込む能力を手に入れた。望遠鏡を通してではなく、直接現地に出向いて探検ができるようになったのである。

火星探査でまず先行したのはソ連だった。1960年から1973年まで、2年2か月おきに複数の探査機を続々と打ち上げた。地球と火星との位置関係から、火星探査機の打ち上げに適したタイミングが2年2か月ごとにしか訪れないためである。しかし失敗の連続で、まともに成功したものはひとつもなかった。

一方の米国(NASA)は、失敗も多かったものの、1964年には「マリナー4」を火星のすぐそばを通過させることに成功し、その表面を撮影。1971年には「マリナー9」を火星の周辺を回る軌道に投入することに成功し、火星表面の約70%を撮影した。1975年には2機の「ヴァイキング」探査機を打ち上げ、翌1976年に火星の地表に着陸させることに成功した。これにより人類は初めて、火星の地面と大気に触れて調査することが実現した。

マリナー9の図

[図3] マリナー9

(Image Credit: NASA)

ヴァイキング探査機の実物大模型の図

[図4] ヴァイキング探査機の実物大模型。傍らに立つのは、宇宙科学の啓蒙で活躍した故・カール・セーガン博士

(Image Credit: NASA)

ここまでで、米ソはあわせて23機の火星探査機を打ち上げたが、成功したのはわずか6機で、成功率は約26%に過ぎず、またそのうちソ連はすべて失敗に終わっている。

そのソ連は1988年に、再起をかけて2機の探査機を打ち上げる。これは火星そのものではなく、その衛星のフォボスの探査を狙ったものだった。しかしこれまた2機とも、フォボスにたどり着く前に故障し、失敗に終わった。ソ連から宇宙技術の大半を引き継いだロシア連邦は1996年に新しい探査機を開発するも、打ち上げに失敗し、地上に墜落。2011年にはフォボスから土や砂といった土壌サンプルを持ち帰ることを目指した「フォボス・グルント」を打ち上げるが、地球の周回軌道を脱出し火星へ向けた軌道に乗り移ることに失敗した。つまりソ連・ロシアは現在まで、火星探査に一度も完全な成功を果たしていない。

NASAはヴァイキングの成功後、しばらく火星探査から遠ざかっていたが、1990年代から復帰。失敗もあったものの、初の火星探査車(ローヴァー)「ソジャーナー」の成功などで大きな成果を残し、2000年代に入ってからも精力的に火星探査を続けている。

初の火星探査車(ローヴァー)の「ソジャーナー」の図
[図5] 初の火星探査車(ローヴァー)の「ソジャーナー」
(Image Credit: NASA)

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