No.005 ”デジタル化するものづくりの最前線”
Topics
テクノロジー

熟練技能の体験システム

力触覚を人間に提示するディスプレイ技術のなかで特に難しいのが「位置と力の同時提示」だ。位置だけ、力だけ、と、どちらかだけはこれまでも実現していたが、藤本英雄教授は、同時提示できるマスター・スレーブ型の装置を世界で初めて開発した。

ものづくりの伝統技能とは離れるが、動きのある熟練技能のひとつとして書道での事例を見ていく。マスター側の筆軸の先端には、3つのボールがついており、装置の上部にある4台のカメラで動きを捉えるモーションキャプチャーを設置。力覚センサーは、筆につけるとケーブルが邪魔になるので、半紙の下に、4点のセンサーで計測するフォースプレートを設置。力がかかる強さとバランスを計測する。

[動画] 書道技能体験システム

マスター側の筆を書道の先生が持ち、実際に半紙に文字を書く。するとスレーブ側の筆を持った生徒の手は勝手に動く。同時に隣で先生が書いている文字を見ていると、あたかも自分が書いているかのようだ。先生がどこで力を入れて書いているのか、書道特有のはらいやかすれなど、力を抜きながら筆を動かす力覚も感じることができる。さらには、1画目から2画目に移るときなどに、空中でどのように筆を運んでいるかも感じ取ることができるのだ。

書道技能体験システムの写真
[写真] 書道技能体験システム
書道 軌跡データ 力覚データの表の写真
[写真] 書道 軌跡データ 力覚データの表
フォースプレートの写真
[写真] フォースプレート

これは技能体験システムであり、バーチャル書道ではない。書道の先生の動きをデータ化するので、記録して残しておけば、当然、いつでもどこでも再現可能である。実際に体験してみるとわかるが、隣で先生がマスターロボットをつかって書いていない状態で再生された動きのみだと、ただ自分の手が勝手に振り回されているような感触で、なんという字を書いているかもわからない。最低でも、先生が書いている様子を撮影した映像を見ながら体験するということが必要となるだろう。

また、人間国宝の書の達人が書いた書をデータ化しておいて再現すれば、同様の文字が浮かび上がるかといえばそんな簡単な話ではない。例えば筆先は柔らかいので、墨汁をつけるたびにその形状は微妙に異なる。書く人は、その状態を見極めながら、書くたびに、それらの情報を見て対応している。例え書道の師範代でも、何回も書いていると、同じ字でも少しずつ異なるものだ。条件によってニュアンスが異なるのは当然であり、それも含めて「技」である。直接、隣で見て体験して、情報を補うことが大切なのだ。技の伝承では、成果物ではなく、プロセスが重要なのである。

力触覚を伝承し、伝統技能を廃れさせないために
忘れてはならないこと

技能の伝承は、ただデータ化して保存するだけでは意味がない。コレクションではないので、使ってこそ価値が見いだせる。一方で、訓練や習熟にいたるプロセス自体が失われていることも確かである。そういった意味では、伝統技能をデータ化することで、多くの体験の場を提供できるようになることには意味がある。熟練した技能の映像を見、そして力触覚を感じることは、大きな進歩になるに違いない。

しかし忘れてならないのは、それだけで熟練した技能を得ることはできないということだ。例えば京都市と京都工芸繊維大学は、伝統みらい研究センターを設立し、伝統技能を形式知に変換することで、新しいものづくりへと挑んでいる。この最終目的は人材育成だ。やはり徒弟制度と同様に、体験したことを自分で訓練し、習得すること。日本が持っていたものづくりの本質は、そこにあるのではないのだろうか。

Writer

大草 朋宏(おおくさ ともひろ)

フリーランスエディター。雑誌社を経て、2002年からフリーランスとして活動。カルチャー、音楽、ローカル、エコなどを中心に取り扱う。

Copyright©2011- Tokyo Electron Limited, All Rights Reserved.