No.006 ”データでデザインする社会”
Scientist Interview

データと可視化

──最近は、データを用いた情報グラフィックスが非常に重要性を増しているようですが、その背景にはどんな理由があるとお考えですか。

重要性が増したというよりは、「人気が高くなってきた」と言った方が正しいでしょう。情報グラフィックスが増えたのは、最近になって人々が急にビジュアルに関心を持つようになったわけではありません。人はいつもことばとビジュアルの両方で理解を行う存在でした。ただ、近年はテクノロジーの力によって情報グラフィックスが簡単に作られるようになりました。以前ならば手書きで長時間かかったものも、それなりのソフトウェアを利用すれば簡単に生み出せるのです。しかも、特にデザインやアートのスキルがなくてもできます。また、もうひとつの理由はインターネットです。このメディアにおいては、テキストだけで説明するよりも、テキストと情報グラフィックスとの組み合わせで説明した方が、コミュニケートしやすいのです。

──データ・ジャーナリズムにも注目が集まり、報道における情報ビジュアル化も増えています。しかし、意味のあるデータを探し出し、それを分析し、加工し、さらにグラフィックスにビジュアル化するというのは、それぞれ専門の技能を必要とすることのようにも思えますが、ソフトウェアによって簡単にビジュアル化できるようになると、本来の情報グラフィックスのあり方を軽んじてしまう危険はないでしょうか。

複雑さがどの程度なのかにもよるでしょう。それでもある程度までは、どんなジャーナリストもデータの相関や回帰など、統計の基本を習得して、統計の概念を理解すべきだと私は思います。それ以上になると、データやテクノロジーに長けた専門的なジャーナリストが、コンピュータ・アシスティブ・レポーターとしてニュース編集室に1〜2人いるのが望ましいと思います。もっと大規模になると、たとえばニューヨーク・タイムズ紙のように、グラフィックス部門に専門の統計家が何人もいるというかたちになります。ただし、こうした統計専門家もただの冷たい数字を扱う人間というよりは、ジャーナリストの目や脳を持った統計家であることが求められます。数字からストーリーを物語ることが必要なわけですから。

──ジャーナリストは文章を操れても、数字を扱うことはあまり得意でないかもしれません。

データや統計においてもそうですが、科学的方法論の重要性を理解することは、非常に大切です。つまり、仮説を立てるところから出発し、それを覆すようなものも含めてデータや証拠を集めて分析し、最後に仮説を証明する、あるいはそれとは別の結論にたどり着くという方法論です。自分が持っている推論に合ったデータだけを求めたり用いたりするようなことがよくありますが、これはデータを取り扱う際の落とし穴と言えます。

──データや情報のビジュアル化に際して、他にはどんな落とし穴があるでしょうか。

よく言われるのは、「patternicity(パターン化特性)」と呼ばれるものでしょう。つまり、人がどんなものにもパターンを見いだそうとしてしまう癖のことです。こんな例があります。「ジャーナリズムを専攻した学生の28%は、ジャーナリズム以外の職業を選ぶ」という統計です。これを耳にすると、学生を手塩にかけて教育した教授たちはがっかりするはずです。しかし、この数字は何と比べて、いつ、どこで、といったさまざまな背景と一緒に語らなければ意味はありません。たとえば、「数学を専攻した卒業生の33%は、数学とは無関係な職業を選ぶ」といった別の数字があれば、「28%はそれほどひどいことではないんだな」と思う。あるいは、何年も前からの経年の数字と比べると、割合が上下していたりして、特に悪いわけではないとわかる。また、最近は新聞業界が縮小し、雇用が減っていることを加味すれば、28%の卒業生「しか」別の職業に就かないのだと、ネガティブなストーリーが突然明るいものになったりする。

──本来、孤立した数字だけでは、何もわからないということですね。

また、経年の棒グラフが細かく変移していても、いちいち驚くことはありません。それは誤差の範囲での動きであって、何か重要なことを示すものではないことがほとんどだからです。要は、すぐに結論に飛びついてはならないということです。このパターン化特性ということばは、科学史家マイケル・シャーマーの『The Believing Brain(信じやすい脳)』という本に出てくるもので、人は意味のないノイズの中にもパターンを見いだそうとする、という意味です。

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