地球外生命を探査するテクノロジー
宇宙は生命に満ちた世界か?
- 2013.05.31
今、地球外生命を探す試みが世界的に注目を集めている。その背景にあるのは、さまざまな科学分野における新発見や新技術の登場だ。天文学では系外惑星が次々と発見され、地球上でもこれまでの常識を越えた生物群が見つかっている。地球外にも生命が存在すると考える研究者はもはや珍しくない。
地球外知的生命体からの信号を探すSETI
16世紀に発明された望遠鏡は、人類の世界観を大きく変えることになった。夜空に望遠鏡を向けると、惑星の回りを衛星が回っていることがわかり、こうして得られた知見が地動説へとつながっていったのである。
生命の存在する世界が地球のほかにもあるかもしれない、そう人々が考えるようになるのはごく自然なことだったといえよう。18世紀から19世紀にかけては、天王星、海王星が発見され、また19世紀には火星に運河があるという説も広まった(これはのちに誤りだったと判明するが)。火星や金星を舞台にした作品が続々と生み出され、知性を持った地球外生命体、いわゆる「宇宙人」はエンターテインメントの定番アイテムになっていった。
やがて、与太話だった「宇宙人」は科学的探究の対象となり始める。19世紀末、交流送電技術の発明者でもあるニコラ・テスラは電波を用いて宇宙人と交信できると考えて実験を行い、火星人からの電波を受信できたと信じていた。テスラの実験結果は勘違いだったと考えられているが、電波を使って地球外生命と交信できるというアイデアはその後の研究に引き継がれることになる。
1959年、MIT(マサチューセッツ工科大学)のフィリップ・モリソン博士とCERN(欧州原子核研究機構)のジュセッペ・コッコーニ博士が、1.4GHz帯の電波を使って地球外知性体(ExtraTerrestrial Intelligence)と交信する可能性についての論文を学術誌"Nature"に発表し、研究者の注目を集めた。1.4GHz帯を選んだのは、宇宙で最も豊富な元素である水素が発する周波数であり、かつ宇宙空間や惑星の大気でも減衰が少ないから。知性体ならこの周波数で交信するだろうという仮定に基づいていた。翌年の1960年には、フランク・ドレイク博士が最初のSETI(Search for ExtraTerrestrial Intelligence)、すなわち地球外知的生命体探査である、オズマ計画を開始する。オズマ計画では、口径26mの電波望遠鏡を使い、くじら座タウ星とエリダヌス座イプシロン星の観測を行った。
ドレイク博士は「ドレイク方程式」の考案者でもある。これは、私たちの銀河系に存在する通信可能な地球外文明の数を推定するための方程式で、惑星を持った恒星系の割合、惑星で生命が実際に発生する割合、発生した生命が知的生命体にまで進化する割合、星間通信を行うような文明の推定存続期間などの変数を掛け合わせる。変数の妥当性やどう値を設定するのかについては議論の対象となったが、ドレイク博士は私たちの銀河系に存在する通信可能な地球外文明の数を「1よりもはるかに大きい」と推定。こうした楽観的な予想がその後のSETIを後押しした。のちに『COSMOS』(一般向けTV科学番組)や『コンタクト』(地球外知的生命体との接触を描いたSF)で知られるようになるカール・セーガン博士なども参加して広い範囲を対象にした観測が行われ、米国以外の天文台でもSETIは熱心に進められた。
SETIの主流は地球上の電波望遠鏡で宇宙からの電波を受信して解析する「パッシブSETI」だが、地球から電波やモノを宇宙に向けて送り出す「アクティブSETI」という試みも行われている。1972年打ち上げの探査機パイオニア10号、1973年打ち上げのパイオニア11号には、人類からのメッセージを絵で表現した金属板が搭載された。1977年打ち上げのボイジャー1号、2号は黄金色のレコードを搭載し、これには地球上のさまざまな言語や画像データを収録されている。ちなみにボイジャー1号、2号は、パイオニア10号、11号(パイオニアからの応答はなく、すでに運用は停止している)を追い抜き、現在も太陽系外に向かって進んでいる。