No.016 特集:宇宙ビジネス百花繚乱

No.016

特集:宇宙ビジネス百花繚乱

Visiting Laboratories研究室紹介

はやぶさの開発に30代で参加

TM ── 先生のこれまでのお仕事の中で、最も力を入れていたものは何ですか?

吉田 ── 二つありまして、一つは小惑星探査機「はやぶさ」の開発です。はやぶさは岩石のサンプルを持ち帰ることがミッションでしたが、私は小惑星の表面で岩石を採取するメカニズムの開発や探査機の動きの解析などを担当しました。なぜ自分がその担当に選ばれたのかというと、当初ははやぶさにロボットアームを搭載する可能性もあったからです。結果的には、はやぶさにロボットアームは使われず、サンプラーホーン(図3)で収集することになりました。そして実際に、サンプラーホーンを押し付けて、飛び散った粒子を集めることに成功し、1500個以上の微粒子を持ち帰ることができました。

[図3] 「はやぶさ」サンプラーホーン(小惑星表面に接触する部分)の開発モデル
©ISAS/JAXA
「はやぶさ」サンプラーホーン(小惑星表面に接触する部分)の開発モデル

吉田 ── はやぶさは1996年に開発が始まり、2003年に打ち上げられました。この期間、私は継続して開発に携わっています。はやぶさが帰還したのは2010年ですから、開発に7年、打ち上げから帰還まで7年もかかる長期のプロジェクトです。これにはJAXAの研究者だけではなく、多くの大学の研究者も参加しました。このオールジャパンの国家プロジェクトを経験させてもらえたことは、その後の研究にも非常に役立っています。

[図4] 「はやぶさ」の小惑星タッチダウンの際のシミュレーション画像
写真提供:東北大学吉田研究室
「はやぶさ」の小惑星タッチダウンの際のシミュレーション画像

TM ── はやぶさプロジェクトに参加する以前の経歴を教えてください。

吉田 ── 大学院を出たのが1986年で、博士号を取ったのは1990年、東北大学に移ったのは1995年です。1994年には1年間ポスドク研究員としてアメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)に行っていました。私は1960年生まれですから、はやぶさプロジェクトが始まったのは35〜36歳のときです。

人工衛星の製作にもチャレンジ

吉田 ── 私にはもう一つ力を入れていた仕事があります。はやぶさプロジェクトと時期は少し重複するのですが、1999年頃から大学の研究室で超小型の人工衛星キューブサット(CubeSat)を創ろうというブームがありまして、その流れで人工衛星の製作にも挑戦しました。キューブサットは10cm×10cm×10cmを1U(ユニット)とする大きさで、重量は1kgです。2003年に日本で最初に打ち上げられたキューブサットは、東京大学の中須賀先生や、東京工業大学の松永先生のものでした。私とこの2人は同世代で、互いに協力しながらも競い合う関係にあります。私は東北大学で開発した人工衛星を2009年に打ち上げましたが、これはキューブサットよりも大きな50cm×50cm×50cm程度の大きさ(図5)で、50kgの重量がありました。

[図5] 東北大学第1号衛星「雷神」開発時の集合写真
写真提供:東北大学吉田研究室
東北大学第1号衛星「雷神」開発時の集合写真

吉田 ── 2009年の初打ち上げ以来、2012年、2014年、2016年、2017年と衛星を打ち上げ続け、2018年〜19年の打ち上げを目指して、さらに3機の衛星開発を進めています。これらのプロジェクトは宇宙機関が行うものとは異なり、「超小型」と呼ばれますが、大学が扱う規模の予算(大型衛星の1/100の金額)でも宇宙空間できちんとしたミッションができることを実証する試みとなりました。始めは国の支援をいただいて技術開発を行ってきましたが、現在は外国政府や民間企業とのコラボへと展開しています。

TM ── どのようなことを行う衛星ですか?

吉田 ── 衛星から見た地球の画像を撮ることが主なミッションです。つまりリモートセンシングです。ひと昔前までは、衛星を打ち上げられる国は限られており、また国家プロジェクトでなければ衛星を飛ばすことはできませんでしたが、今は大学や民間レベルでもそれが可能になり、ベンチャー企業が立ち上がってきています。衛星により撮影された世界中の画像からは、地形や地表の様子などのさまざまな情報を読み取ることができます。2016年に打ち上げたDIWATA-1(ディワタ・ワン)衛星は、フィリピンの研究機関との共同研究として開発したもので、フィリピンにとっての第一号衛星になりました。打ち上げ後の運用も順調で、フィリピン国土の様子を撮影しデータを蓄積中です。フィリピンは台風被害が多いので、宇宙から国土の様子を見ることは農林水産業にとっても重要になります。

このプロジェクトのために、フィリピンから衛星の作り方を学びたいという若者が実際にうちの研究室に来て、私たちと一緒に手を動かしながら衛星の設計や製作を学んでいます。人材育成がこの人工衛星プロジェクトの目的の一つで、英語ではこうした人材育成をキャパシティ・ビルディング(Capacity Building)と言います。最近はフィリピン以外の国からも引き合いがあり、受け入れ始めている状況です。

吉田 和哉教授

衛星運用でアジア諸国との国際協力が進む

吉田 ── フィリピン衛星DIWATA-1のこれまでの成果について言いますと、たとえば1991年にピナツボ火山が噴火した時には広範囲に渡り火山灰に覆われ、緑が見えなくなってしまいましたが、私たちの衛星による調査では山腹に緑が回復していることを詳細に確認できました。また、最近は山間部で樹木の伐採が進んでいるため、土砂の流出が見られる地域が増えており、海に土砂が流れ込む様子も衛星から観測できます。このように、フィリピンでは国土や環境保全に関する応用が多くなされています。

フィリピンは島が多い国ですが、それはインドネシアも同様です。我々は、インドネシアやマレーシアとも話し合いを始めています。

TM ── 衛星を打ち上げるロケットは日本のH-IIAロケットですか?

吉田 ── はい。ただしDIWATA-1衛星の場合は、JAXAに依頼していったん国際宇宙ステーションに運び、そこから地球を回る軌道に投入してもらいました。

TM ── 宇宙ステーションまでの輸送にもH-IIAロケットを使うのですか?

吉田 ── 国際宇宙ステーションまで荷物を運ぶ方法は大きく三つあります。一つは、日本の「こうのとり」と呼ばれる物資の補給を専門とする宇宙船を使う方法で、これは種子島からH-IIBロケットで打ち上げられます。もう一つは、アメリカから国際宇宙ステーションまで飛んでいく無人補給機を利用する方法。三つめは、ロシアのロケット「ソユーズ」を利用する方法です。この中で、ソユーズだけは有人でも打ち上げ可能です。DIWATA-1衛星は、2016年1月にJAXAに引き渡したのち、最も早く打ち上げられるロケットとしてアメリカの無人補給機シグナス宇宙船に乗って、2016年3月に国際宇宙ステーションへ運ばれました。

TELESCOPE Magazineから最新情報をお届けします。TwitterTWITTERFacebookFACEBOOK