No.017 特集:量子コンピュータの実像を探る

No.017

特集:量子コンピュータの実像を探る

連載01

ネット革命第2波、ブロックチェーンの衝撃

Series Report

第1回
信用を、権威に頼らず互いに保証する

2018.04.28

文/伊藤元昭

信用を、権威に頼らず互いに保証する

仮想通貨の基礎技術であるブロックチェーンを、様々な産業分野の取引や契約に広く応用しようとする動きが活発化してきた。その熱気は、さながらインターネットが世に知られるようになったばかりの1990年代後半の状況に酷似している。ブロックチェーンは、その仕組みの分かりにくさと、最初の応用である仮想通貨の乱高下や流出事件などネガティブなイメージからか、取っ付きにくい技術とみなされがちだ。しかし、その潜在能力は取引や契約といったビジネスを行う上で切り離せない行為を根底から覆す、生活や社会システム、企業や国のあり方を一変させるほどのインパクトを持つ技術である。本連載では、第1回でその仕組みと特徴を、第2回で既存のビジネスや社会活動に与えるインパクトを、第3回でブロックチェーンが生み出す新たな応用の広がりを、それぞれ紹介する。

仮想通貨向け技術の応用が、あらゆる契約・取引へと拡大

既に、契約、取引といったビジネスに欠かせない行為を伴う様々な用途で、ブロックチェーンを応用する動きが広がっている(図1)。検討されている用途の中には、カーシェアリングや不動産の売買、保険、遺言信託など生活に密着したものから、クラウドファンディングやサプライチェーンの管理、行政の可視化・効率化、著作権や特許権の管理、選挙など社会システムや政府、企業のあり方を一変させるようなものもある。

[図1] 仮想通貨向け技術として登場したブロックチェーンが、人や組織の間で交わされる様々な行為を根底から変えようとしている
作成:伊藤元昭
仮想通貨向け技術として登場したブロックチェーンが、人や組織の間で交わされる様々な行為を根底から変えようとしている

しかし、ブロックチェーンという技術は極めて複雑で、仕組みと効果が分かりにくい。そのため、この技術に秘められた可能性に心酔する高感度なイノベーターたちと、仮想通貨に関連した謎の技術と考える多くの人たちの間では、温度差が極めて大きいのが現状だ。この状況は、1990年代前半のインターネットが知る人ぞ知る軍用技術だったころの雰囲気と酷似しているように感じる。まずは、ブロックチェーンの仕組みと特徴について、エッセンスの部分だけをかみ砕いて説明したい。最近は、ブロックチェーンに関する詳細な解説書が数多く出回るようになった。さらに深く知りたい方は、それらで補うことをお勧めする。

ブロックチェーンは、Satoshi Nakamoto と名乗る正体不明の人物が書いた「Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System」と題した1本の論文の中で初めて提唱された(図2)。登場の経緯からして謎めいている。仮想通貨という新しいコンセプトの通貨を生み出すために、新規の技術体系を構築した用途先にありきの技術だったのだ。そして、当初は仮想通貨実現のための手法にすぎなかったブロックチェーンは、短期間で発展・体系化され、今や広く応用可能な技術へと発展している。これは、実用性の高い18世紀の工学の問題であった「最速降下曲線*1問題」を解くための手法として、オイラー、ニュートン、ライプニッツなど名だたる天才たちが変分法*2という新しい数学のアイデアを提唱し、それを発展させることで現代の工学に欠かせない解析数学の大黒柱へ発展させていった経緯と似ている。

[図2] Satoshi Nakamoto 氏が書いた「Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System」
出典:ビットコインのホームページ
Satoshi Nakamoto 氏が書いた「Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System」

信用を保証するのに、政府の力も偉い人の口添えもいらない

Nakamoto氏は、仮想通貨に(1)第三者機関を必要としない直接取引の実現、(2)非可逆的(元に戻すことができない)な取引の実現、(3)少額取引における信用コストの削減、(4)手数料の低コスト化、(5)二重支払の防止といった特徴を付与するための手法として、ブロックチェーンを編み出した。

仮想通貨には、従来の通貨とは大きく異なる特徴がある。正当性を裏付ける役割を担う人や金融機関、政府など権威と信用がある第三者がいなくても安全な取引や契約ができる点である。正当性は、ITシステムの仕組みと、取引に参加する人が保証する。

例えば、日本で流通している1万円札は世界有数の印刷技術を駆使した工芸品と言えるほど精緻な紙幣である。しかし、その製造原価は約20円にすぎない。そんな低コストの紙切れが1万円の価値を持つと誰もが納得する理由は、発行元である日本銀行という権威ある機関が、「この紙切れには1万円の価値がある」と保証しているからだ。私たちは日本銀行を信頼して、1万円札を使っていると言える。クレジットカードも従来の電子マネーも、基本的には紙幣と同様に第三者の与信を得て貨幣代わりに使えている。

これに対しブロックチェーンを基にした仮想通貨では、日本銀行のような存在は不要になる。信用は、ITシステムを介した取引に参加する全員の合意で生み出す、というのがブロックチェーンの基本理念である。これは、政治体制が君主制から直接民主制へと一足飛びに飛躍したのと同等のパラダイムシフトであり、経済史上に特筆できる大事件と言えるものだ。

信用を基にやり取りしているのは、貨幣だけではない

現代社会には、人や法人、政府機関などの権威や信用を基にして行う取引や契約がたくさんある。

例えば、土地の所有権や特許権を主張できるのは、政府が定めた法とそれを確実に順守する行政機関があるからだ。それでも、土地の所有を証明する手立てと、所有を万人が認める合意形成の手段の不備から発する土地争いや領土問題は、古今東西絶えることがない。また、携帯電話のキャリアと契約して、消費者が安心してサービスを受けられるのは、政府が定めた商法を各キャリアが遵守すると信用しているからだ。ところが、契約相手となる企業が本当に信用に足る相手なのかは、「信じるしかない」としか言えない。この辺りの不明確さを担保して消費者を保護するためには、様々な法律の規定が必要になってくる。

これに対し、ブロックチェーンを使った取引や契約では、その正当性を保証するために、中央銀行も、法も、機関も、権威や信用のある法人も原理的に不要になる。ブロックチェーンの理念を具体化したITシステムとそこに参加する人さえいればよい。しかも、取引や契約の対象は、必ずしも貨幣に限らない。データや情報、権利、サービスなど、ありとあらゆる価値ある物事が対象になり得る。こうした特徴を知るにつれ、ブロックチェーンの応用には思いのほか広がりがあり、現代社会の仕組みを根こそぎひっくり返す可能性を秘めた抜き差しならない技術であることが感じられてくる。AIの発達によって、弁護士や税理士などの仕事がなくなるなどと話題になったが、ブロックチェーンの活用によってこれらの専門家が扱っていた取引や契約の作業自体が専門家不要の状態になってしまう可能性があるのだ。

[ 脚注 ]

*1
最速降下曲線: 物をころがした時、一定区間の間を最も短時間で転がり落ちるようにする曲線のこと。例えば、滑り台を作る時、始点と終点を最短距離で結んでも、最も短時間に滑り降りることができるわけではない。滑り出しの初期になるべくスピードが高まるような曲線にした方が、短時間で終点に着くことができる。指定した始点と終点に合った、最速降下曲線を表現する数式を求める問題が、最速降下曲線問題である。
*2
変分法: 一定の条件下で、ある値を最小にする最適な関数を求める方法。微分などの方法では、関数が与えられ、その最大値や最小値を求めることを目的とする。これに対し、変分法では最適な関数(式の形)を求めることが目的になる。
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