No.018 特集:スマートコミュニティと支える技術

No.018

特集:スマートコミュニティと支える技術

スマートコミュニティの未来

クロストーク ”テクノロジーの未来を紐解くスペシャルセッション”

スマートコミュニティの未来

鈴木 悌介
鈴廣かまぼこ株式会社 
代表取締役副社長
東 博暢
株式会社日本総合研究所 
プリンシパル

東日本大震災は、エネルギーに関する大きな疑問を突きつけた。資源に恵まれない日本が、これまでずっと頼りにしてきた原子力発電に、これからも頼り続けるべきなのか。この疑問を出発点として、まず自社のエネルギー環境を変え、さらには地域での活動に踏み出したのが、鈴廣かまぼこ株式会社で副社長を務める鈴木悌介氏である。小田原箱根商工会議所会頭も務め、エネルギーの地産地消システム普及に取り組む鈴木氏を、株式会社日本総合研究所主席研究員で次世代都市開発研究に携わる東博暢氏が訪ね、エネルギーを軸とした、これからのまちづくりのあり方について議論を交わした。

(構成・文/竹林篤実 写真/黒滝千里(アマナ))

かまぼこメーカーの先進性

東 博暢氏

── コンサルタントとして活躍される東様は、ご実家が飲食店をされていたそうですね。

東 ── 大学院では物理を専攻し、その後はシンクタンクに就職しておりますが、幼い頃からの環境の影響でしょう、食に対しても強い関心があります。先ほどもお店(鈴廣かまぼこの里)でいろいろ拝見した中で、スイカのかまぼこが印象的でした。

鈴木 ── そう言っていただけると光栄です。当社はちょっと変わっていまして、そもそもかまぼこメーカーといえば海の近くに工場を建てるものです。当社も以前は小田原の街中で海に近いところにあったのですが、昭和37年にわざわざ現在の、海から少し離れた箱根の入り口に移ってきました。

東 ── 私は今37歳ですから、私が生まれるかなり前のことですね。移転には、どのような狙いがあったのでしょうか。

鈴木 ── 先代から聞いた話ではいくつか理由があったそうで、以前の土地では工場を拡張する余地がなかったのに加えて、この地には、かまぼこづくりに欠かせない良質で豊かな地下水があったこと、さらには業態転換も目論んでいたようです。当時のかまぼこメーカーといえば基本的に製造卸業でしたが、将来を考えて小売への進出を考えていたのでしょう。

東 ── 今から約半世紀も前の段階で、BtoBからBtoCへの展開に踏み切られた。それではここに移転された当初から、今のようなお店も構えられていたのですか。

鈴木 ── いわゆるドライブイン形式のお店を作り、かまぼこを作っている工場をガラス張りで店から見えるようにしていました。当時は今のように多様なレジャーなどなかった時代です。首都圏から箱根や熱海にバスで遊びに来る人たちには、かまぼこ工場も珍しいから見に来てくれるだろう。店まで来てもらえれば、鈴廣かまぼこのファンになってくれる人も出てくると考えたのです。今でいうブランディングにも取り組んでいて、東京の百貨店にも積極的に出店していました。

東 ── 創業して150年あまりもの歴史ある企業でありながら、常に先進的な取り組みをされています。まさに社是の「老舗にあって老舗にあらず」を実践しておられるわけですね。

人口減少社会、日本の進むべき道

鈴木 ── いろいろな取り組みを進めているのは、強い危機感の裏返しでもあります。かまぼこは絶滅危惧食品であり、国内消費量はピークだった昭和50年の約半分にまで落ち込んでいます。大きな市場の変化の中で、もはや単に新製品をどんどん出したり、店を増やしたりすれば売れるような時代ではありません。自ら新しい需要を創り出していくことが必要だと思うからです。

東 ── マクロな流れで見ても、日本が緩やかな衰退期に入っているのは明らかな事実であり、人口は2100年には明治初期と同じぐらいまで減ります。ちょうど私が大学生の頃には、かつて「Japan as No.1」と称賛された日本のメーカーの経営がどんどん傾き始めていました。

鈴木 ── 東さんの世代といえば、思春期には既にインターネットが普及していたのでしょうか。

東 ── 私は1980年生まれですから、Before Internet, After Internetの狭間の世代です。ちょうどインターネット・バブル*1だった頃にアメリカにいて、現地でよく耳にしたのが資本主義の終焉でした。インターネットにより世界中がつながり、世界中が成熟してくると金融至上主義ではない、新たな資本主義が台頭してくるのではないかという話です。翻って日本を見れば、GDPの約6割を家計消費が占める経済構造において人口が減少するのだから、現在の資本主義の尺度で考えれば経済は今後シュリンクする一方です。そうなったときに、日本の産業界はどうあるべきかと考えるようになりました。

鈴木 ── 私自身経営に携わるようになり、自社だけが良ければ良いという理屈は通らないと考えるようになりました。この考え方は全ての地域で言えることで、自分の家族だけなんとかなればという考え方や、あるいは日本だけなんとかなればという考え方は長続きしない。そんな思いを決定的に強くしたのが2011年3月11日でした。

[ 脚注 ]

*1
インターネット・バブル: 1990年代末期から2000年代初期にかけて、アメリカ合衆国の市場を中心に起った、インターネット関連企業の実需投資や株式投資の異常な高潮である。ITバブルとも呼ばれるが、英語では「dot-com bubble(ドットコム・バブル)」と呼ぶ。
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