No.017 特集:量子コンピュータの実像を探る

No.017

特集:量子コンピュータの実像を探る

Expert Interviewエキスパートインタビュー

量子物理学研究の歴史の上に、
新たなコンピュータの未来を描く

2018.05.31

ロナルド・ハンソン
(オランダ・デルフト工科大学 QuTech(キューテック)科学ディレクター)

量子物理学研究の歴史の上に、新たなコンピュータの未来を描く

量子コンピュータについては、アメリカやカナダでの動きが盛んに伝えられるが、実はオランダのデルフト工科大学は、関係者が注目する量子コンピュータの先端研究所QuTech(キューテック)を擁している。ここでは、量子コンピュータ、量子インターネットなどの分野で研究を行い、世界の企業との共同研究も多い。約30人の教授陣も関わっている。デルフト工科大学は、古くから量子物理学における研究で知られ、現在のQuTechの先端性もこの歴史に裏打ちされたものだ。QuTechの研究と戦略を率いる同研究所科学ディレクターのロナルド・ハンソン博士に聞いた。

(インタビュー・文/瀧口範子 写真/Jeroen Bouman)

── 現在、量子コンピュータは世界中で注目されているものです。アメリカではIBMやグーグル、そしてカナダのスタートアップのD-Wave Systemsなどによって研究開発が進み、その成果が期待されています。なかでもQuTech(キューテック)は、インテルやマイクロソフトと共同研究を進める組織で、大手テクノロジー企業が頼りにしている存在ですね。

はい。ではまず、我々QuTechの歴史を少しご説明しましょう。デルフト工科大学では、20〜30年前から量子効果やナノ構造に関する基礎研究が行われてきました。そして、教授たちの間では、これがいずれ量子コンピュータとして利用可能になるのではというビジョンがあったのです。2004年に、デルフト工科大学は、量子ビット*1を初めて開発するオランダの国家戦略プログラムの一部になりました。これは、量子コンピュータのためのビルディング・ブロック*2を作ろうという試みで、まだ基礎研究の段階でしたが、5〜6人の教授が共同で研究を始めたのです。このプログラムは10年続き、大きな成功を収めました。量子コンピュータの基本に対する理解と、何をビルディング・ブロックとすべきかの知見が、この時の研究によって得られたのです。そこで次のステップを考えようという段階に入ったのですが、アカデミックに研究をやってきた物理学の教授たちですから、実用的なテクノロジーを作ることはできません。実用化するためには、電気エンジニアリング、光学エンジニアリング、コンピュータ科学などの知識が必要でした。そこで、具体的な成果を出すため、これら全ての分野を統合し、明確なミッションを持つ組織が必要となったのです。

ロナルド・ハンソン氏

── 組織的、戦略的に、実用に結びつく研究を進める必要があったわけですね。

そうです。そこで、オランダ経済省と議論をしたところ、国としてもこの研究に関心を持ってくれました。こうして、国の補助金の元にQuTechが2013年に設立されたのです。QuTechは、デルフト工科大学とTNO(オランダ応用科学研究機構)との合同研究所です。国の研究機関であるTNOは、何千人ものエンジニアを抱えており、我々にはないエンジニアリングの専門知識を持っています。一方、デルフト工科大学側では、物理、電気エンジニアリング、コンピュータ科学、生命科学の教授らを一ヶ所に集め、量子コンピュータや量子インターネット*3の開発というミッションを設定したのです。当時、科学とエンジニアリングを結びつけた我々のような研究所は、世界でも珍しいものでした。

── 一般的には、まだ量子コンピュータがあまり知られていない時期ですね。QuTechでは、「フォールト・トレラント量子計算(FTQC)」、「量子インターネットとネットワーク・コンピューティング」、「トポロジカル量子コンピューティング」という3つのロードマップを設定しています。それぞれについて、簡単に説明していただけますか。

「フォールト・トレラント量子計算」というのは、量子ゲートウェイ方式*4でエラー訂正ができ、長時間稼働して大量の計算処理が可能な汎用的な量子コンピュータを作るための手法です。量子ビットを作るところから始め、それをチップに統合して質を高め、外部からのノイズに対しても自動的にエラー訂正して完璧に作動するようにします。これは、量子コンピュータ実現における最大の関門です。また、量子技術を用いた電子制御のあり方や、量子コンピュータが理解できなくても利用を可能にするための中間のソフトウェアやプログラミング言語の研究なども考えています。つまり、システムに盛り込まれるアーキテクチャーの全ての層を対象にしているわけです。

── 量子コンピュータが実際に広く利用されるためのスタックを、すでに照準に入れているということですね。ロードマップの二つ目にある「量子インターネットとネットワーク・コンピューティング」についてはどうでしょう。

「量子インターネットとネットワーク・コンピューティング」では、小規模な量子プロセッサー、大規模な量子コンピュータ、小規模な計算機能などを光子チャネル(光学的に接続された通信ネットワーク)で結んで、インターネットの量子版を作ることがゴールです。これは、通信のセキュリティーを高める技術とされており、すでに量子を利用したプロトコル(通信手順)が増えています。

── 量子インターネットは、量子コンピュータが実現されてからでないと使えないというわけではないのでしょうか。

そうではありません。量子インターネットのノード(ネットワークを構成する節点)は完全な量子コンピュータである必要はないので、ある意味では量子コンピュータよりも作るのが簡単です。すでにあるような量子ビットを繋げれば、多様な用途に使えます。当然、量子コンピュータと量子インターネットの両方があれば、ベターであることは間違いありませんが。

[ 脚注 ]

*1
量子ビット: 量子計算の最小情報単位。従来の古典コンピュータにおけるビットは1か0のいずれかの状態しかとれないが、量子ビットは「重ね合わせ」の性質により、その両方の状態をとりうる。
*2
ビルディング・ブロック: 量子アルゴリズムを構成する基本要素。
*3
量子インターネット: 一対の量子粒子が同期する「量子のもつれ」という物理現象に基づき、一つの量子ビットの特性を測定することで、もう一方の量子ビットの状態を確定できることを利用した、情報伝送の仕組み)
*4
量子ゲートウェイ方式: ゲートの組み合わせによっていかなる計算も可能にする量子回路方式。
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