No.019 特集:医療ビッグデータが変える医学の常識

No.019

特集:医療ビッグデータが変える医学の常識

Expert Interviewエキスパートインタビュー

宮田 裕章氏

中国:国家と企業が一体となったデータ運用

もう一つ考えなければならないのは中国です。中国では国家と企業が一体となって、あらゆるデータを徹底的に集めることができます。ただし、それが単純なディストピア*3かというと、必ずしもそうではなさそうです。

社会信用スコアというものがあり、社会にとってプラスになることをするとポイントが加算減算されるようになっています。

日本の自動車免許は、減点法でポイントを減らしていきますが、中国では、例えばゴミを分別して捨てるとポイントがプラスという側面もあります。また、ガソリン車を使わずに自転車を利用するといった低炭素行動をすると、木を育てるポイントももらえます。ポイントにより実際に植えられた木が、育っている所を見に行くというツアーもあるなど、善行を引き出すような仕掛けもあるのです。

また信用スコアは本人だけでなく、子供の進学をはじめとする周囲の人々にも影響を及ぼし始めています。そうなると今後中国では、この可視化された「信用」が高い人がお金を持っている人よりも尊敬されるようになるかもしれません。

今まで「お金より大切なものはある」ということを言っても、これを明確に形にして共有することは困難でした。

中国ではこれがまず信用という形で、国家単位で共有されはじめています。資本主義は貨幣を軸に回ってきたんですが、今後はデータによって、さまざまな価値(信用だったり、それは善行なのかもしれないですが)が共有され、交換される社会が到来するかもしれません。

ポスト資本主義の可能性が中国にはありますが、価値を決める軸が国家からの一元的なトップダウンによるものであるところには危うさがあります。

日本はどうする?

前述した通り、GAFAもEUも中国も、それなりにインパクトのある概念を打ち出していますが、それぞれの視点に意義と課題があります。

GAFAに代表されるような企業主導モデルは、市場価値の創出については優位性があります。一方で巨大プラットフォーマーによるデータ覇権主義に陥りがちなモデルが、公共的な側面を有するヘルスケア分野においてどのようにバランスをとるのかは課題でしょう。

アルコール依存症の方に、アルコールを勧めるようなアドテクノロジーの今後を考える必要があります。EUについては前述した通り、個人の権利の尊重だけでは捉えられない価値を考える必要があります。

囚人のジレンマ*4のような、双方負けの状況を生まないような運用をどのように創出するのかが課題です。中国では企業と国家が一体となった取り組みにより、「信用中国」など新たな価値を生んでいますが、国家の価値へ過重なバランスは、監視社会への進行とともに価値の多様性を失うリスクが有しています。

日本は個人の尊重(EU型)、市場価値の創出(GAFA型)、社会における価値の実現(中国型)の長所をバランス良く導入することが良いと思います。日本のヘルスケア分野でも、「保健医療2035」*5という厚生労働省と民間が一緒に作成したビジョンがあります。

[図2] 日本型VALUE CO-CREATION SOCIETY(価値共創社会)の理想
出典:慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室
日本型VALUE CO-CREATION SOCIETY(価値共創社会)への移行の背景

これまでの厳しい社会契約モデルだと、本人と国家の契約という考え方の中で、健康についても自己責任論に向かってしまいます。しかしながら個人と国家というレベルの間には実際には、職場や家庭、趣味の集まり、地域社会などさまざまなレイヤーがあります。

このようなさまざまなレイヤーで個人を支えていこう、“主体的な選択を社会で支える”という理念が「保健医療2035」にも掲げられており、類似の考え方は多くの提言に共通したものです。

そして、「社会を変革しなければ、日本はもはや先のない国である」という事実は、逆説的に日本の強みでもあります。今は各国とも転換点になる中で、現状の延長線上で発展を考えることが可能な諸外国と異なり、日本は社会全体の構造を変えないと先がありません。超高齢化、少子化、低い経済成長、人口減少など、全てがネガティブな方向に向かっている国が日本なのです。

例えば高齢化問題であれば、北欧をモデルにすればいいのではないかという意見がありますが、実際に日本の現状は北欧より深刻です。

例として共同研究を行っているスウェーデン研究者達のからは「日本って大変ですね。我々は少子化といっても出生率はそれほど低くなく、人口は移民もあって増えてます、高齢化といっても日本ほどではありません。頑張ってくださいね。」、というコメントを頂きました。日本の未来は、どこかの地域を手本に後に続くというアプローチではなく、独自に切り開かなければならないのです。このような観点から個人の価値、市場の価値、社会の価値という“三方に加えて、未来もよし”という視点が日本に必要になります。

持続可能な社会といった未来への軸も入れて社会を共創していかなければなりません。Society5.0に掲げられている“ともに創造する未来"という視点も、このような現状に基づくものです。では次に、その価値をどう作るのかを考えていきましょう。

[図3] Society5.0に掲げている“ともに創造する未来”
出典:慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室
Society5.0に掲げているともに創造する未来

(後編:「日本のとるべき“第3の道”とは?」に続く)

[ 脚注 ]

*3
ディストピア:ユートピア(理想郷)に対する概念で、暗い社会を意味する。
*4
囚人のジレンマ:ゲーム理論の一例。共犯関係にある二人の囚人に対して、以下のような提案が出される。「一人が自白し、もう一人が黙秘した場合、自白した方は釈放され、黙秘した方は懲役10。二人とも自白した場合は懲役5年。二人とも黙秘した場合は懲役1年」。二人が最大の利益を得るためには黙秘するべきだが、相手の裏切りを恐れて二人とも自白してしまうというジレンマが生じる。
*5
保健医療2035:2015年に厚生労働省が定めた、日本が2035年に健康先進国になるための提言書。

宮田 裕章氏

Profile

宮田 裕章(みやた ひろあき)

慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室 教授

東京大学院医系研究科健康・看護専攻修士課程了、同分野 保健学博士(論文)、早稲田大学人間科学学術院助手、東京大学大学院医学系研究科 医療品質評価学講座助教を経て、2009年4月より東京大学大学院医学系研究科医療品質評価学講座 准教授、 2014年4月より同教授 (2015年5月より非常勤)、2015年5月より慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室 教授、2016年10月より国立国際医療医研究センター国際保健政策・医療システム研究科 科長(非常勤)。

社会的活動として、厚生労働省 参与、日本医師会 客員研究員、厚生労働省 保健医療2035策定懇談会構成員、厚生労働省 保健医療分野における ICT活用推進懇談会 構成員、厚生労働省 データヘルス時代の質の高い医療の実現に向けた有識者検討会 構成員、厚生労働省 新たな医療の在り方を踏まえた医師・看護師等の働き方ビジョン検討会 構成員、厚生労働省 保健医療分野における AI 実装推進懇談会 構成員、大阪府 2025年万博基本構想検討会議メンバー、福岡市 福岡市健康先進都市戦略策定会議 メンバー、静岡県「社会健康医学」基本構想検討委員会メンバー、沖縄県 健康・医療産業活性化戦略策定業務検討委員会・ワーキンググループ委員。

Writer

津田 建二(つだ けんじ)

国際技術ジャーナリスト、技術アナリスト

現在、英文・和文のフリー技術ジャーナリスト。
30数年間、半導体産業を取材してきた経験を生かし、ブログ(newsandchips.com)や分析記事で半導体産業にさまざまな提案をしている。セミコンポータル(www.semiconportal.com)編集長を務めながら、マイナビニュースの連載「カーエレクトロニクス」のコラムニストとしても活躍。

半導体デバイスの開発等に従事後、日経マグロウヒル社(現在日経BP社)にて「日経エレクトロニクス」の記者に。その後、「日経マイクロデバイス」、英文誌「Nikkei Electronics Asia」、「Electronic Business Japan」、「Design News Japan」、「Semiconductor International日本版」を相次いで創刊。2007年6月にフリーランスの国際技術ジャーナリストとして独立。著書に「メガトレンド 半導体2014-2023」(日経BP社刊)、「知らなきゃヤバイ! 半導体、この成長産業を手放すな」、「欧州ファブレス半導体産業の真実」(共に日刊工業新聞社刊)、「グリーン半導体技術の最新動向と新ビジネス2011」(インプレス刊)などがある。

http://newsandchips.com/

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