No.021 特集:デジタルテクノロジーが拓くエンターテインメント新時代

No.021

特集:デジタルテクノロジーが拓くエンターテインメント新時代

Expert Interviewエキスパートインタビュー

心のケアとデジタル技術の意外な相性の良さ

清水 あやこ氏

── ビデオチャットもビデオゲームもデジタル技術を利用したメディアです。心のケアとデジタル技術は、相性がよいのでしょうか。

仮想空間であるゲームの舞台の中では、現実ではなかなかできないような様々な体験ができます。キャラクターと一緒にゲームの世界で起きる様々な問題に挑み、登場人物から背中を押されながら勇気を振り絞って行動し、最終的にヒーロー体験を得ることができます(図5)。舞台やストーリーの中に心理学の知見を落とし込んでおけば、ゲーム内での体験から、日常生活を生きる自信を芽生えさせることもできます。また、たとえゲーム内であっても、恋愛しているキャラクターから役立つ情報を教えてもらえば、より頭に残りやすくなるでしょう。

ゲームの舞台では、現実世界ではできない体験ができる
ゲームの舞台では、現実世界ではできない体験ができる

[図5]ゲームの舞台では、現実世界ではできない体験ができる
出典:HIKARI Lab

こうした、目的に合った心の動きを生み出すことは、作られた世界だからこそできることなのです。現実世界の中では、同様の効果を期待できる環境を作り出すことは簡単ではありません。そういった意味では、心のケアとデジタル技術の相性は、かなり良いと言えます。

── あえて実際の人を相手にせず、架空のキャラクターと一緒に様々な体験ができる点が重要なのでしょうか。

作り物の世界の中で、日常とは違う経験ができたり、苦手な場面を練習できることが重要なのです。

たとえば、人との関わりに大きな不安を抱える人は、人と話すこと自体に臆病になったり、億劫(おっくう)に感じたりします。ところが、従来のカウンセリングでは、「実際に人に会って話してみてください」といった宿題を出されて、できたかどうかを確認しながらケアを進めていきます。考えてみれば、人と関わることができないから悩んでいるわけです。苦手なことを克服するためにはチャレンジした方がよいと頭では分かっていても、実際に行動するとなると、葛藤があったり、なかなか体が動かなかったりして当然です。

これが、会話する相手が仮想空間の中の架空のキャラクターならば、会話のハードルが下がり、気楽に会話できるようになることでしょう。継続的に繰り返すことも苦痛ではないと思います。

── デジタル技術を使ったメディアでは、血の通った実践的体験ができないと思いがちです。しかし、心のケアでは、あえて現実世界や人との関わりがない舞台で挑戦や経験を積んだ方が、効果が期待できる場合があるということですか。

そう思います。ただし、ゲーム中の世界だけで完結してしまうと、いくら経験を積んでも意味がないので、しっかりと実生活に反映できるようにしておく工夫が必要になってきます。そこで、かなり重要になるのが、ゲーム内のキャラクターとの信頼関係です。ゲームのプレイヤーが信頼しているキャラクターが、ゲームの中でできたことを現実の生活の中で試してみようと、背中を押すことがとても大切なのです。行動する勇気を奮い立たせる方法を仕込んでおけるゲームを使った心のケアは、これまでのカウンセリングにはなかった発想からのアプローチだと思います。

10代の若者の自殺を防ぐために制作された

── SPARXは、元々、どのような経緯で開発されたのでしょうか。

SPARXが開発されたニュージーランドは、先進国の中で10代の自殺率が最も高い国でした。地理的に隣の家までの距離が遠く、簡単に相談することができない生活を送らざるを得ない人が多いことが原因となっているとする指摘もあります。しかも、簡単に医療機関などに相談できない地域も多く、きめ細かな心のケアができない状況なのだそうです。

そうした状況を解決するため、オークランド大学の精神科医のチームが中心となり、国家プロジェクトとして開発されたのがSPARXです。現在は、スクールカウンセラーなどの勧めで多くの人が利用し、ニュージーランドの厚生労働省のホームページから、誰でも無料でプレイできるようになっているようです。

── 開発者たちは、心のケアをするための手段として、なぜゲームを選んだのでしょうか。

対象が10代の若者ですからカウンセリングには抵抗があり、ゲームにすれば興味を持ってくれるのではないかということだったようです。制作されたのが2012年ですから、グラフィックスなどは、現在の日本のゲームに比べると古さを感じるのですが、ゲーム内で使われている音楽には、現地で有名なヒップホップ・グループのラップが使われるなど、10代の人たちがクールだと感じるように作られています。

心のケアを受けること自体のハードルが高かった

── 清水さんは、SPARXの存在をどこで知り、なぜ自ら手掛けようと思われたのでしょうか。

SPARXが公開されて間もなく、そのアプローチのユニークさから日本でも話題になりました。私も、SPARXを紹介する報道記事を通じて、その存在を知りました。その当時、私は大学院で臨床心理学を勉強していたのですが、心のケアを求めている人がケアを受けるための行動を自発的に起こしにくいことが課題だと感じていました。たとえ、気持ちの不調を自覚していたとしても、すぐに精神科の医療機関に掛かるという人は少なく、我慢してしまって、状況が悪化してしまうことが多いように感じます。もっと早い段階でケアできれば深刻化することなく回復できるのですが、そのためには何らかの新しい手法が必要だと考えていたのです。そんな時にSPARXの存在を知り、ゲームという方法に可能性を感じました。

── 確かに、精神科を受診したりカウンセラーに相談したりするというのと、ゲームをしてみるというのでは、実際に行動する際のハードルの高さは天と地ほどの差があるように感じますね。

元々、ゲームはエンターテインメントですから、かなり入り易いと思います。カウンセリングに行く、お医者さんに掛かるためには、まず外に出て、知らない世界の会ったこともない専門家を訪ねなければなりません。その行為自体を怖いと感じて当然だと思います。ゲームならば、外に出向くまでもなく、手元で気軽に試すことができます。

TELESCOPE Magazineから最新情報をお届けします。TwitterTWITTERFacebookFACEBOOK