連載01
ダウンサイジングが進む社会システムの新潮流
Series Report
日常的に生体情報を気軽に計測する新たな医療
現時点で、医療とヘルスケアにおけるイノベーションの先頭を走っているのが、アメリカ・Appleのスマートウォッチ「Apple Watch」に関連した一連の取り組みであろう。
Apple Watchは、常に手首に装着して使用するウェアラブル機器であり、そこには活動量や心拍、心電図(日本では現時点で機能が使えない)、血中酸素濃度など生体情報(バイタルデータ)を計測するセンサーが搭載されている。そこで取得したデータを解析することで、ヘルスケアの成果や健康状態を誰にでも分かりやすく可視化することができる。計測できる生体情報の種類は、新製品が投入される度に増え続けており、その機能は進化し続けている。
Apple Watchをはじめとするウェアラブル機器で計測できるようになった心電図や血中酸素濃度などは、これまで病院などに置かれた医療用検査装置を使わないと知ることができない情報だった。ダウンサイジングしたことで、手首に巻いていつでも、どこでも計測できるようになったのだ(図2)。
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これまでにも、医療用検査装置をダウンサイジングする動きはあった。例えば、口から入れていた胃カメラ(経口内視鏡)は、鼻から入れる(経鼻内視鏡)へとダウンサイジングして検査の負担が軽減し、現在では薬を飲むようにして使用するカプセル内視鏡も開発されている。
ただし、Apple Watchなど現在のウェアラブル機器と、こうした従来の医療装置のダウンサイジングの間には、質的に大きな差がある。これまでは、ダウンサイジングによって使い勝手や患者の負担軽減が実現していたが、それを医療機関が使用する点では変わりなかった。これに対し、Apple Watchなどは医療の領域で使われていた機器を、一般の人々が日々利用できるヘルスケアの領域で使う機器へと変えた。
もちろん、医療用検査装置に比べれば計測精度は高くはない。しかし、病院では測れない日常生活の中での生体情報の変化を知ることができるようになった。ここにイノベーションが起きる素地が生まれたのである。これは、同じく専門家だけが扱っていた大型コンピュータをダウンサイジングして、一般人が仕事や趣味にも利用できるパソコンが生まれたのと似ている。
日常的に生体情報を気軽に計測する新たな医療
医療用検査装置が一般の人々が利用するヘルスケア機器になることで、医療の研究や臨床の進め方が一変しつつある。
まず、日常生活の様子をモニタリングできるようになることで、慢性病のケアや生活習慣病の予防などをキメ細かく行うことができるようになった。高血圧症や糖尿病などは、毎日の食事制限や規則正しい服薬が重要になる。しかし、医師や看護師などの目が行き届かない病院外での生活をキメ細かくケアすることは困難だ。また、食生活の偏り、喫煙や過度の飲酒、運動不足、睡眠不足、ストレスなどは様々な生活習慣病の原因となる。これらを効果的に管理するためには日常生活の中での生体情報のモニタリングが欠かせない。これまで管理できなかった生活の中でのケアが、ウェアラブル機器を活用することで可能になる。
日本でも、患者のケアにウェアラブル機器を活用する医療機関が出てきている。例えば、慶應義塾大学 医学部では、Apple Watchで測定する心拍数や活動量、さらにはiPhoneに接続した携帯型血圧計などのデータを収集し、患者のケアや診療に活用している(図3)。さらに、Appleが提供する「CareKit」と呼ぶフレームワークを使用して、患者が保有するiPhoneやApple Watchで内服状況などを確認する試みも行っている。
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デジタル化による医療関連情報の一元管理でテーラーメイド医療が視野に
一般に、ウェアラブル機器などで計測したデータは、デジタルデータとして収集し、蓄積、解析して利用している。デジタル技術は、質が異なる情報を一元管理するのに適した技術である。この特徴を生かすことで、新たな診断や治療法を見つける視点が得られるようになる。
近年では、電子カルテなどの普及で医療情報のデジタル化が進んできた。一般の人が日々計測する生体情報もデジタル化していれば、両者を融合させて、これまでの病院での検査だけでは洗い出せない病気の要因を見つけ、診断や治療法の探求に役立てることができる。また、心電図や血中酸素濃度の動きを個々に追うのではなく、活動量や心拍数など他のデータの動きとの相関を知ることで、正確な診断を下すための判断材料は増える。
人の体の病気の診断や治療は、工業製品の故障解析や修理よりも、はるかに難しい。一定の仕様の範囲内で作られている工業製品とは異なり、一人ひとりの体質や体の構造、体力、遺伝的要因など個体差が極めて大きいからだ。医師が適切な診断や治療を行うためには、こうした個体差を、いかに正確に見極めるかが重要になってくる。多様な医療情報や生体情報、さらには遺伝情報などをデジタル化しておけば、それらの情報を一元的に扱い、そこから病気の要因につながる傾向をコンピュータやAIで探り出すことができる。そして、究極的には患者の個体差に合わせた、テーラーメイド医療の可能性が見えてくる。