No.017 特集:量子コンピュータの実像を探る

No.017

特集:量子コンピュータの実像を探る

Expert Interviewエキスパートインタビュー

── 量子コンピュータは、だいたい何年後に実用化されるのでしょうか。

質問をどう定義するのかによって、回答が異なります。ほとんどの人は、5年後には何か面白いことが量子コンピュータでできるようになっていると言いますが、私自身はその時点でできることは限られると見ています。多量の量子ビットを搭載したチップが実現し、多様な問題解決ができる量子コンピュータの実現には10年以上かかるでしょう。もちろん少量の量子ビットでも従来のコンピュータを超越できるのですが、それでできることはあまり面白くありません。100ビットの量子コンピュータであっても従来のコンピュータより優れていることはわかっていますが、一体量子コンピュータはどんな問題を解決するのに役立つのか、ということが見えてこなければ意味がないのです。例えば、生化学プロセスをシミュレーションするのに使えそうだと予想されているものの、一体どれほどの量子ビットがあれば有効に利用できるのかが現時点ではわかっていません。まずは、多くの人に役立ち、かつ従来のコンピュータでは不可能だったことをデモできるでしょうが、その後はグレーゾーンになる。おそらく10年後に量子コンピュータとスーパーコンピュータのハイブリッド的な使い方が出てきて、さらにその10年後に量子コンピュータがシミュレーションやある種の計算処理を行うようになるでしょう。

── そうすると、何をもって量子コンピュータが確立したと言えるのでしょうか。

それは、利用方法にあるものです。従来のコンピュータでは不可能なことを成し遂げたというだけでは、まだ研究の領域内の概念実証にすぎません。社会にとって何か役立つ成果を生み出してこそ、確立した技術と呼べるのです。そのためには、まだまだ時間がかかります。

背後のタンクは、ヘリウム液化装置。量子チップを冷却するために、以前はよく使っていた。
量子コンピュータのための極低温冷却装置

── どのように利用されれば理想的だと考えますか。

その問いにお答えするのは難しい。というのも、量子コンピュータというのは、技術上のスタックで実用的にできることを変えるものではなく、もっとコアの部分、つまりコミュニケーションや情報処理を行う最も基本的な方法が異なるからです。そこでの変化が、実用的な利用方法をどう変えるのか、予想がつきません。その違いというのは、ひょっとすると無限かもしれないし、ほんのわずかでしかないのかもしれない。それほど、従来の方法とは違っているのです。ただ、自然は量子力学の法則に従って変化しますが、従来のコンピュータでは特定の分子以上のことは理解できませんでした。その一方で、量子コンピュータには、その見えないところを解明できる可能性があります。もしそれが実現すれば、生化学、素材、薬品、医療、気候などに役立てるでしょう。しかし、そう断言するのは時期尚早です。

── すでに量子コンピュータをめぐるエコシステムのようなものはできつつあるのでしょうか。それぞれの業界で量子コンピュータの可能性を見出して、その利用を目指した動きは広く起こっていますか。

それはいいご質問です。確かにエコシステムは広がりつつあります。最初は、インテルのような技術のベースに関わるところから始まり、その後、スイッチ、電子関連の会社が加わりました。ただ、それだけならば従来のコンピュータと変わりません。しかし、ここ数年は量子コンピュータという概念の認知度が高まっていて、自分たちのビジネスにどう影響があるのかを知りたいと、様々な業界の人々がQuTechにもやってきます。先ほど申し上げたように、どんな問題解決に使えるのか現状では不明なので、はっきりした回答はできません。けれども、議論することは可能です。こうした議論を10年後に始めたのでは、遅すぎるでしょう。ですから、今こそがエコシステムを作り始める時なのです。

── この分野に関わる研究者には、どのような素質が求められると思いますか。

量子の世界は、我々がこれまで体験してきたものとは根本的に異なるものです。「量子のもつれ」などということを実際に体験することは不可能ですから。けれども、先述したQuTechの1.3キロの量子のもつれの証明実験を通して知ったのは、全てのことが繋がっているようにも見えるということです。また、興味深いことに、我々の体内にも分子があって、量子のもつれがなければ人間は死んでしまう。それほどにもコアな問題に取り組んでいるのです。それを、目に見え、人々の役に立つ形にするということに、私は大いに惹かれます。

© Noriko Takiguchi
QuTechQuTech

ロナルド・ハンソン氏

Profile

ロナルド・ハンソン(Ronald Hanson)

QuTechの創設教授の1人。フローニンゲン大学で応用物理学の修士号、デルフト工科大学で博士号を取得。カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校でポスドクを経た後、デルフト工科大学で自身の研究室を開設した。専門は量子のもつれの制御技術で、量子光学、固形物理、核磁気共鳴、量子情報理論、ナノ・ファブリケーションなどの領域を広く統合する。研究における受賞も多い。

Writer

瀧口 範子(たきぐち のりこ)

フリーランスの編集者・ジャーナリスト。
上智大学外国学部ドイツ語学科卒業。雑誌社で編集者を務めた後、フリーランスに。1996-98年にフルブライト奨学生として(ジャーナリスト・プログラム)、スタンフォード大学工学部コンピューター・サイエンス学科にて客員研究員。現在はシリコンバレーに在住し、テクノロジー、ビジネス、文化一般に関する記事を新聞や雑誌に幅広く寄稿する。著書に『行動主義:レム・コールハース ドキュメント』(TOTO出版)『にほんの建築家:伊東豊雄観察記』(TOTO出版)、訳書に 『ソフトウェアの達人たち(Bringing Design to Software)』(アジソンウェスレイ・ジャパン刊)、『エンジニアの心象風景:ピーター・ライス自伝』(鹿島出版会 共訳)、『人工知能は敵か味方か』(日経BP社)などがある。

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